第百五十二話 夜がくる
敵が撤退したところでドリエルが戻ってきた。ドリエルが入ったところで門を閉める。
危ういところもあったが終わってみれば、完全勝利だ。
柔らかい顔でライエルが報告する。
「武僧が三名、怪我をしました。傷は浅いので死ぬことはありません」
ユウトは気になったのでライエルに尋ねる。
「敵はこれで素直に撤退しますか? 腹いせに村人を殺したりしませんか」
「村人への攻撃を否定はしません。だが、村人を殺したり、家を焼いたりすれば、邪教徒も極東の国もこの地では信頼を完全に失う。東の地での活動はやりづらくなる」
ライエルの言葉は素直に取れば可能性の否定。だが、もし敵が愚行に走ってもユウトが有利になるだけとの非情な読みである。
ユウトにとっては後はサジが援軍を連れて来るまで、待てばいい。しかし、トリスタン家の事情は異なる。
リリアがやってきてユウトに頼む。
「敵は村人を襲わないと私も予想します。ですが、不確かな思いで行動したくはありません。村人を館に入れていいでしょうか?」
ライエルの顔を見ると渋い。
西の村は統治するのはトリスタン卿であり、不在時の管理者はトリスタン卿の家族だ。
ユウトは懸念事項をリリアに告げる。
「館から出て村人に避難を告知するのは危険です。敵が隠れていた場合は捕まりますよ」
リリアはニコっとする。
「問題はありません。緊急時にはラッパを吹いて村人に知らせます。ラッパが聞こえたら館に集合するように村で決まっています」
常に有事に備えるとはトリスタン卿には感心する。
「避難する村人に紛れて、敵が侵入したらどうします?」
「小さな村なので全員の顔を知っています。怪しい者がいれば私が止めて確認します」
規模の小さい村なので村人全員が顔見知りなのはわかる。村人の中に裏切り者がいても、集団生活になれば迂闊に活動できない。
「家が焼けたなら俺は支援できます。ですが、村人が亡くなればできることはない。ラッパをお願いします」
リリアはドリエルにてきぱきと指示を出した。
「お兄様の出番です。ラッパを吹いてください。避難指示です。ラッパの演奏終了後はそのまま物見櫓に待機です。見張りをお願いします」
ドリエルが頷いて、館に中に入る。
リリアは母親にも指示を出した。
「お母様は食事の手配をしてください。調理はしなくていいです。誰かがおかしい動きをしないか監督をしてください」
一番下のリリアが仕切っているのだが、アイラ夫人は素直に従った。
ドリエルと入れ違いで射撃用の胸当てをした、メアリがやってくる。
リリアが姉にも命令した。
「お姉さまは井戸と食料庫の見張りをお願いします」
メアリもまた素直にリリアの指示に従った。リリアはユウトに声を掛ける。
「私は門の前で怪しい人が入らないか、チェックします。警備に武僧を四名ほど回していただけると助かります」
「武僧を貸すのはいいです。ですが、気になります。トリスタン卿が不在の折はリリアさんが采配を振るうのですか」
「勘違いなさらないでください。当家の跡継ぎはドリエル兄様です。ただ、我が家では適性により役割が決まっているだけです」
トリスタン家では平時と有事の切り分けができている。有事に際しては家の中の人縁関係より能力に応じた役割を優先する。頭ではわかるが、ここまで徹底している家は聞いた覚えがない。
リリアの足がパタッと止まった。リリアが振り返って詫びる。
「謝らなければいけないことがあります。私は一つ嘘を吐きました。メアリお姉さまがロシェ閣下とはお会いした過去はありますが、勝負した事実はありません」
リリアが嘘の申告をしていたことについては咎める気はない。狙撃策を提案された時にユウトは迷った。ユウトの背中を押したのはリリアの言葉である。また、結果は最良のものとなった。
「全てが上手くいったので怒れませんね。私もこの目で見るまではメアリさんの腕は信じられなかったのですから」
リリアは微笑む。
「ご理解いただけて、嬉しいです」
トリスタン一家とは今後は懇意に付き合う必要性を感じた。西の村は貧しいかもしれないが、東の地ではもっともよく機能している村だ。西の村に欠点があるとすれば、経済担当がいないことだ。
町から投資をすればきっとこの村は良くなる。また、トリスタン一家とは付き合って損はない。
村にラッパの明るい曲が流れる。単純に音ではなく曲だった。おそらく、曲の種類により意味が違う。
曲なら村人は簡単に記憶できるが敵が真似るのは難しい。演奏する技術がある人間がいても、譜面がないと同じにはならない。
ラッパの曲が響くと村中から人が集まってきた。見れば同じ赤い袋を持っていた。また、武器も携帯している。
集合にかかった時間から推測できる。急いで必要な品を袋に詰め、一緒に武器を持ち出したとは考え辛い。避難時には持ち出すものが決まっており、あらかじめ準備されていた。
町でも防災の観点から避難用の袋を準備する家はある。だが、村単位で徹底しているのとは驚きだ。
計画を作るのは容易いが、周知徹底するのは難しい。トリスタン卿の指導力は半端がない。村人は食事が済むと、率先して見張りに立った。
ライエルがユウトの傍にきて意見をかたる。
「先ほど村人に武器を見せてもらいました。きちんと手入れされています。村人は職業軍人ほど強くはないでしょう。ですが。徴兵すれば短期間の訓練で戦えます」
女、子供、老人を除けば成人男性は七十名くらいいる。これに武僧が加われば、朝までは充分に持ちこたえられる。
「敵はもう諦めて敗走しますかね」
「いや、わかりません。町からの援軍が到着するまで安心してはいけません」
援軍を待った。早ければ日が落ちたくらいに到着するはずだった。
だが、夜になっても到着しなかった。遅ければ明日の早朝と予想していたので、許容範囲ではある。人も増えたので館が落ちるとは思えない。だが、ユウトは夜の闇に不安を感じていた。