第百四十四話 噂が気になる
ウインの表情は冴えない。顔を見て研究が上手くいっていないと想像できた。
研究費は充分に渡している。他に学者が必要と要求していたので金が足りなくなったのかもしれない。
金は確保できているのだが、なんでもかんでも請求されたのではたまらない。
ウインが口を開いた。
「庄屋様にご報告があります。キリンの旗の研究力のために、退官した学者の二人に声を掛けました。どちらも実績があるので、成果が期待できます」
良い報告にしてはウインの顔が変だ。全然、嬉しそうではない。
ユウトが怪訝に思っていると、ウインの話が続いた。
「人員ですが、研究者をあと一人、補助者をあと一人、入れたいです」
研究に金が掛かるのはわかるが、人員が増えるのは避けたい。
研究に関わる人が多くなれば、それだけ秘密が漏洩する危険が出る。
「拒否するとどうなりますか? 研究がまるで進まなくなりますか?」
「研究は学者の二人が加わるので、進むでしょう。研究の先を見るのなら、後進の育成が必要です」
人がいなくなれば雇えばいい。やって欲しい仕事はキリンの旗の研究である。教育ではない。だが、ウインは「先を見る」と発言した。
「先ってなんですか? 必要なものですか?」
「必要です」とウインは強い口調で言い切った。
「キリンの旗を研究してわかりました。この技術には先があります。成功すればキリンの謎の解明が一歩進みます。また、新技術は世界の在り方を変えます」
思わせぶりな言い方だ。されど、研究中に思わぬ発見があるのもまた然り。
マオ帝国には特許制度はまだない。しかし、成功すれば実績を持って大学を誘致できるかもしれない。宮廷が有用性を認めれば、巨額の資金を引っ張れる。
明るい未来に見えるが、現状では絵に描いた餅だ。投機に近い話だ。飛び付く態度は無謀だ。
ウインは強く主張する。
「キリンが身近にいる状況なんて他にありません。今なら誰よりも先に新発見ができます。残念な状況ですが私が生きている内に完成する保証がありません」
ウインも高齢である。いつ死んでもおかしくはない。
研究を引き継ぐ人がいないと、ウインの死亡と同時に研究が止まる。
ウインが新技術について語らないのでユウトは尋ねた。
「ハッキリと新たに見つかる可能性について教えてくれない理由はなんですか?」
ウインの顔が曇る。
「結果が出ると太鼓判を押せないからです」
なんで問題なのかユウトに疑問だった。
「新しい技術なら失敗がある。成功するとは限らないので投資はしない。そんな消極的な理由は、投資をしない理由にはならないでしょう」
ユウトの言葉をウインは疑った。
「本当ですか? 研究に理解があり過ぎて疑わしいです。大学に勤めていた頃は成果が出なければ追い出されるのが普通でした」
姉から以前に聞いたが、大学には学閥がある。戦争も頻繁にあったので、成果主義が幅を利かせていた。派閥の権力争いと成果主義が結びついた結果、旧王国では革新的な研究ができなくなっていた。
「失敗に寛容だと思われても困ります。ですが、ウインさんはキリンの旗を完成させた実績がある。俺がゴーサインを出して失敗したら、俺の責任です」
ウインの顔には疑いの色があったが、発見の先にあるものを説明してくれた。
「キリン旗の研究の先には、ロードを作りだす転職の書の製造法があります」
ロードを作り出す転職の書は存在する。だが、今までに転職の書の製造法を解明した人間はいない。
「これはやるだけ無駄かな」とユウトは苦く思った。だが、威勢よく失敗を認めると発言した。それなのにやっぱり出せないと答える態度はウインの信用を失う。
熱っぽくウインが語る。
「転職の書の理屈がわかれば世界は大きく変わる。オーバー・ロードの能力の秘密にも近づける」
興味が湧いた。オーバー・ロードは存在する。接触はあったが、いまだオーバー・ロードの思考は読めない。また、味方とも限らない。
転職の書の作成方法がわからなくても、オーバー・ロードの力の解明に役立つのなら研究する価値がある。ロード職を次々と生み出すオーバー・ロードは敵になれば脅威そのものだ。
オーバー・ロードの弱点がわかるなら、研究しておいたほうがいい。でないと、どこまでユウトが成功しても、最後に滅ぼされるかもしれない。
「研究者と補助者の予算は認めます。ただし、条件が二つあります」
強張った顔でウインが尋ねる。
「失敗したら命がない、と」
「そんな無茶は要求しませんよ。一つは研究費の支出を今後はチェックします。もう一つは研究者と補助員が信頼に足る人物か調査します」
「そんなことですか」とウインは安堵していた。
学者にしては些末なことだが、ユウトにとっては重大事項だ。必要な研究ではあるが、放っておけば費用が高騰しかねない。また、オーバー・ロード関連の技術なら誰しもが欲しがる。
転職の書の製造法が極東の国にでも渡れば危険だ。また、オーバー・ロードの弱点がわかる研究であれば、オーバー・ロードが黙ってはいない。必ず妨害してくる。
ウインは研究の価値はわかっている。だが、危険性がわかっていない。だからここ研究に関与する人間は吟味する必要があった。
好きな研究に予算が付いたのでウインは気分よく帰った。こうなってくると、裏金のプール金が足りるか怪しい。かといって、臨時徴税や新税の導入はしたくない。
どこまでいっても金の心配が尽きない、とユウトは憂鬱になった。
次の日にユウトは南西の村に向かう。南西の村もまた貧しい村である。作物は育ちにくい。今年は小麦が獲れているはずだが、北西の村でも問題が起きていた。
なので南西の村に何も問題が起きていないとは限らない。また、北西の村には顔を出したのに、南西の村に顔を出さないと、ないがしろにされたと南西の村の人にひがまれる。
キリンを飛ばして南西の村に寄った。年寄役の老人が出迎えてくれる。年寄役の血色がよく、表情も明るい。問題は起きていそうにない。
思い込みは禁物なので尋ねた。
「何か困ったことはありませんか? 北西の村では野菜に被害がありました。生活が苦しいと聞きました。ここは大丈夫ですか?」
ニコニコして年寄役は答える。
「小麦のできはまずまずです。いつもなら山から冷たい風が吹くと凶作になります。ですが、今年はほどよく冷えて野菜は育ちました」
凶作を運んでくる冷たい風が今年は救いになった。農業は自然相手なので何が起きるかわからない。
葉物野菜の不足は町での需要が増えたことと、北西の村の野菜が不作の複合要因だ。来年は野菜の作付けを増やさないといけない。
年寄役の家で歓迎の茶が振舞われた。茶といっても、東の地では紅茶や緑茶は高い。南西の村では薬草を乾燥させた健康茶が主流だった。
年寄役と世間話をしているが、南西の村では問題は見られなかった。
そろそろ帰ろうかと思うと、女将さんが何かを思い出した。
「この村はなんともないのですが、西の村に嫁にいった娘から便りがありません。西の村は大丈夫でしょうか?」
年寄役は顔をしかめて女将さんを注意する。
「庄屋様を困らせるな。西の村は庄屋様の管理する村ではない」
指摘は当たっている。西の村は領主様の直轄領ではない。騎士が治める領地だ。口出しすれば村を管理する庄屋か騎士が気を悪くする。
下手をすれば越権行為だと怒られる。だが、問題が起きているのなら、把握しておかないと、町に影響が出る。何もなければいいんだが、とユウトは気を揉んだ。