第百三十九話 解決はしたが
気絶した女性の髪を掴んでマタイは外に出ようとした。
何か悪いことが起きる気がした。不安になったので、ユウトは尋ねた。
「手にした女性をどうするんですか?」
「首を刎ねるんじゃよ。首だけにしたほうが持ち運びしやすい。どうせ町に帰ったら死刑にするんじゃろう。礼をはいらんよ。昼食をおごってもらったからサービスじゃ」
とんでもない内容をサラリと言う。ユウトはマタイを慌てて止めた。
「待ってください。冤罪かもしれないですよ」
軽く天井を仰ぎマタイは考えていた。
「間違いないんじゃがのう。儂が手柄欲しさに無実の人間を殺したと思われるのも心外。いいじゃろう、町に帰って吟味させる」
犯罪者の輸送と取り調べが発生した。犯罪者は逃げないようにマタイに監視させる。
マタイだけに任せると危険なので、ダミーニを付けておく。
北の村に常時待機させていた馬でユウトはフブキと一緒に町に帰った。
馬を飛ばしたので夕方前には町に到着した。フブキは許可を求めてきた。
「駐屯軍を通すと時間が掛かります。手の空いている冒険者を雇って護送隊を組織してよろしいでしょうか?」
次々と予期しない出費が増える。だが、もう後には引けない。
館の金庫から金を出してフブキに渡す。
冤罪の可能性がないかフブキに尋ねる。
「捕まえた人間は本当にインセクト・マスターでしょうか?」
フブキの顔は苦い。
「現時点ではわからないです。ただ、マタイ老は適当な人間を捕まえたわけではありません」
捕まえた人間に不審な点があったが、ユウトは気付かなかった。
フブキは見立てを語る。
「村から敵のいる屋敷には近い。敵が待ち伏せするなら、どこかに見張りがいるはずです。ただ、村人に化けるのは難しい」
指摘は理解できる。もし、ユウトが村の人間を案内に連れていたとする。
村は広いが村人同士は顔を知っている。最近になって移住してきた人間がいればわかる。
ユウトたちに怪しいと疑われれば、その時点で捕らえられる。
「村で俺たちの動きを知るのなら、旅人がよく利用する料理屋がいいわけか」
「潜伏する側にとって古い店は危険です。常連がいる場合は興味をもたれ話し掛けられます」
マタイが店を選んでいた理由はわかった。だが、選択の決め手がわからない。
「選んだ店に敵のスパイがいるかなんて、どうしてわかるんです?」
「混雑時だったからでしょう。人間を観察できる時間がマタイ老にはあった」
頼んでいる料理のメニュー。食事の進み具合。座っている人の位置。人の会話。そういう細かいところを観察してマタイは敵を絞っていった。観察眼が優れているのならおかしい人間には気付く。
だが、わからないこともある。
「敵が特定できたとしますよ。でも、候補は四人いました。誰がインセクト・マスターかなんてどうやって判定したんですかね?」
小首を傾げつつフブキは認めた。
「敵が誰かを絞り込むのはできます。ですが、誰がインセクト・マスターかは私には判断が付きません。マタイ老には何か引っかかるものがあったのでしょう」
フブキにわからないのなら、どうしてマタイがわかったのか謎だ。
蟲を使って仲間にサインを出していたのかもしれない。だが、ユウトには全く見抜けなかった。
マタイが店を決める時に匂いの話をしていた。マタイはインセクト・マスターの手口を熟知していた。だから、匂いが決め手になったのかも知れない。
「蟲を呼ぶために使う香に特徴でもあったのかな? だとすると、かなりマタイは博識ですね」
「いったい何が専門なのか? と疑いたくなるほどマタイ老は物知りですよ」
ラジットが建築家とマタイを紹介してくれたが、他の知識も充分だった。
三度、マタイを使ったが、有能であることは間違いない。
マイナス面を差し引いても充分にお釣りがくるとユウトは判断した。
四名は駐屯軍に引き渡された。次の日には酒場から女性がやってきてマタイのツケをユウトに請求する。ただ、請求額がマタイの申告額より一割ほど高い。
「マタイさんから聞いた額より多いですが、間違いないですか?」
ツケを払ってもらえると安堵したのか酒場からきた女性の機嫌がよい。
「あっていますよ。ツケを請求した時にマタイさんは利子を付けて払うと約束してくれました。請求額には利子分が入っています」
一割の利子であれば高くはない。店に迷惑を掛けているので、ユウトは素直に払った。
さらに三日してフブキが報告にやってきた。
「駐屯軍により厳しい調べを受けた女性一人と男三人が自白しました。四人は雇われただけの人間です。極東の国の間者に関する詳しい情報は持っていませんでした」
雇われた人間なので報酬以上の忠誠心がなかった。
でも、「知らない」は嘘ではないだろうか。
「やけにアッサリと認めましたね。もっと粘るかと思いましたよ」
「マタイ老が四人に取引を持ち掛けたためでしょう」
権限を与えてないことは止めてほしい。後始末はユウトがしなければいけない。
「また勝手なことをしますねえ。駐屯軍のレルフ中将が怒るでしょう」
フブキが顔をしかめて語る。
「いえ、もう怒っていません」
フブキの言い方が気になった。
「なんですか、もう、って?」
フブキがしかめ面のまま教えてくれた。
「最初、レルフ中将は取引の件を知り、マタイ老を牢に入れるつもりでした。ですが、マタイ老は敵の間者四人と一緒に逃亡しました」
あまりの成り行きに思わず椅子からユウトは立ち上がった。独断が過ぎる。
「なんですって! どうしてそれを早く教えてくれないんですか」
苦り切った顔でフブキは教えてくれた。
「次の日に帰ってきたからですよ。本物のインセクト・マスターを連れて」
ドサリとユウトは椅子に腰を下ろした。
フブキはさらに付け加えた。
「インセクト・マスターは男であり、捕まえた四人とは別人です。極東の工作員の幹部に近い人物でした」
四人は敵に雇われた者なので犯罪者ではある。だが、インセクト・マスターでなかったのなら、捕まえた時点では誤認逮捕だ。されど、結局はインセクト・マスターが捕まったのならマタイに文句は言いづらい。
道中で「捕まえられなかったら首をやる」とマタイは約束した。だが「今日」とは一言も言っていない。
酒場からツケの請求がきたのもマタイの計算だったと思えてくる。マタイは酒場でインセクト・マスターを捕まえてツケを払うと約束していた。インセクト・マスターに極東の諜報員から連絡がいく。
ツケがユウトから酒場に払われる。偽者を間違えて捕まえたとインセクト・マスターは安心した。結果、心にできた隙をマタイに突かれ捕まった。
マタイはできる人物だが、下手をすると手に余る。マタイを雇うと決めたユウトだが、心が揺れた。