第百三十七話 山の中へ
秋風が吹き気温が下がってきた。蝿や蚊も寒さのせいで大部分はいなくなった。
町では納税の準備が始まる。今年は豊作が見込まれるので、東の地はより豊かになる。
ハーメルには冒険者を雇って書状を出した。返事はない。
冒険者の話ではハーメルの従者には渡したとのこと。でしばらく様子を見る。
リシュールが税収の予測を書いた紙を持ってくる。
数字を見るとユウトの心は華やいだ。
「結構いい数字が出ましたね。豊作貧乏にはならないですよね?」
ペコリとリシュールは頭を下げる。
「軍による山への侵攻は順調です。兵も増員されているので食料の需要は充分にあります」
お百姓さんの所得が増える現状は好ましい。地域が豊かになれば町も潤う。
涼しい顔でリシュールはユウトに尋ねた。
「今年はいかほど税を中抜きしますか?」
前年より多く抜きたいところ。だが、検地が進んでいるのなら多額の税の横領は危険だ。
「ミラによる検地は進んでいますか?」
「順調と聞いております」
検地には兄のニケも絡んでいるので、危険は冒したくない。
かといって、中抜きをしないと充分な裏金が確保できない。
「前年の半分ほどにしたいのですが、行けますか?」
リシュールが危ないと進言するなら止めるつもりだった。
ニコリと笑ってリシュールは保証する。
「それぐらいなら問題ないでしょう」
経済が回っているので、年明けの商工業者からの税収は期待できる。
農作物からの税の中抜きは無理のない範囲にしよう。
来年も乗り切れそうだと安堵したところで、リシュールが報告してきた。
「庄屋様、マオ帝国に新たな動きがあります。新しい村を山の中に作る話が出ています」
マオ帝国軍の進軍は順調だ。前線を押し出すために山の中に村を作る。方針は理解できる。さりとて山の中の村の維持は大変だ。敵地への入植なので、山の民が黙っていない。
「村の管理はどうなるかわかりますか?」
「領主様の直轄地になる予定と聞いております。庄屋様が管理を任されるでしょう」
いつ燃やされるかわからない村の管理は難しい。かといって、断れる立場にはいない。
「山のどの辺りに村はできますか?」
「いくつか候補地になっている場所がありますが、全て標高が高い山頂に近い場所です」
ユウトは不安になった。高い位置にあれば、見通せる範囲は広い。敵の動静を探るにはいいが、開墾は難しい。山頂に近いと食料も水も確保が大変になる。山の麓の村までの道があっても、冬場に雪が降る。いつも使えるわけではない。
「冬場は飛竜でなければ物資を運べない。また、町から兵を送るのも難しいな」
リシュールが見解を披露する。
「現時点では村の管理は大変でしょう。極東までの道が拓ける。ないしは、山の民との関係が改善されれば、宿場として発展するでしょう」
ハイリスクでハイリターンな投資になるが、決定権は庄屋のユウトにはない。
予想できる展開はユウトに村の開発費用の調達が命じられることだ。
村の開発が上手くいかなければ、出費がかさむ。
「こういうことがあるから、裏金が必要なんだよな」とユウトは心の中でぼやいた。
リシュールが帰って何日かすると、センベイがやってくる。
「敵のインセクト・マスターの居場所がわかりました。ただ、囮の危険があります」
「こちらに尻尾を掴ませる。それで捕まえに行くと待ち伏せに遭うのか」
ありそうな手ではある。かといって、逃がせば来年の夏にまた蟲に振り回される。
危険だがこの機に排除したほうがいい。
蟲は山の中でこそ力を発揮する。来年にはできる山の中の村が危ない。
「マタイさんに連絡を取ってください。対策を協議します」
ラジットが推薦したマタイだが、まだ二度しか活躍していない。もう一度くらい試さないと真価がわからない。問題も多い人物なので本当に使えるか見極めないと後で泣きをみる。
マタイは昼過ぎにやってきた。マタイの顔は赤く、息からは酒の匂いがする。
「朝から飲んでいたのですか?」
「さすがに朝からは飲まない。昨日の夜から飲んでいる」
もっとダメだろうと呆れるが、大酒飲みとは聞いているから驚きはない。
「町に害を為すインセクト・マスターを捕まえたいです。何か良い策がありますか?」
「策はいらんが、金がいるな」
殺虫剤か何かを使うのだろうか?
簡単に市場で買える品なら問題ない。材料から作るのならすぐには手に入らない。
不安なのでユウトは確認した。
「何が必要なんですか? 敵に時間を与えると逃げられますよ」
笑ってマタイは答える。
「何も買わんよ。儂が溜めた酒場のツケを払うのに金を使う。そろそろ払わんと顔を出せんくなる」
ふざけた老人だとは思うが、冗談と思えないのがまた嫌だ。
「ボーナスが欲しいと要求されるなら、見合う分の働きをしてください。それで、どうやってインセクト・マスターを倒すんです?」
軽い感じでマタイが答える。
「正面から行って倒す」
大軍で正面から戦う。できるのなら確実だが、人員はどうするのかが問題だ。
「駐屯軍を動かすんですか? それとも、冒険者を雇うんですか?」
マタイは胸を張って意気揚々と語る。
「そんな面倒なことはしなくていい。儂が一人いれば充分じゃ」
敵がいくらいるかわからない場所に一人で乗り込む。普通なら自殺行為だ。
金だけ貰って働かない気か。さすがに、金の持ち逃げをしたら解雇だけでは済まない。
ユウトの心を読んだのかマタイが提案する。
「儂への報酬は後払いでいいぞ」
マタイはユウトの心の内を読んだが、ユウトにはマタイの考えが読めなかった。
「後払いならいいでしょう。それでツケはいくらあるんです」
マタイのツケは老人が作るにしては大きな額だが、ユウトにとっては些細な金額だった。不安ではあるが、マタイを試すつもりでマタイに頼るとユウトは決断した。