第百三十六話 願いごと
部屋の中は暗く出口がわからない。後ろにある衝立の向こうからは話し声がピタリと止んでいる。部屋の中がぼーっと薄明るくなった。
マタイ、ハルヒ、ムドウがぼんやりと輝いてる。ユウトもぼんやりと光っていた。
どこかの異空間に飛ばされたようだった。
ユウトが驚いていると、魔神がムドウをジロリと見る。
「私を解放したのはお前だな。これから一つ質問する。正しい答えを言えたら、お前の願いを一つ叶える。ただし、私を騙そうとした時は連れて行く」
あまりのことにユウトは言葉を失った。ハルヒを見るとやはり驚いていた。マタイもまた口をあんぐりと開けている。マタイの場合は演技の可能性があるのでわからない。
ムドウの目には信じられないものを見た表情があった。
ムドウも魔神が現れた展開を驚いている。
何が何だかわからない中、魔神が質問する。
「男よ。お前が心から愛している女性の名を教えろ」
魔神の質問でわかった。これは別れさせ工作だ。ハルヒの名を呼べば魔神に消される。かといって、本当に愛する女性の名前をいえば、ハルヒに嘘がばれる。
ムドウがどう出るかユウトは気になった。
一度、目を瞑ってからムドウは目を開く。ムドウは笑ってから、答えた。
「よくできた出し物ですね。僕は皆さんに騙されませんよ」
ムドウは「答えない」を選んだ。魔神が本物か偽者かわからないとの判断だ。
現状では魔神の出現がなんらかのトリックととも考えられる。だが、違ったら困る。
すると、魔神は次にハルヒに向き直った。
「女よ。お前が心から愛している男の名を教えろ」
ハルヒは三秒ほど躊躇って答える。
「ムドウさんです」
魔人はハルヒに尋ねる。
「お前は正直に答えた。願いを一つ聞いてやろう」
「なら、ムドウさんを連れていかないでください」
「いいだろう」と魔神は答えると消えた。部屋が一瞬暗くなる。光が戻ると、先ほどの料理屋にいた。
喧騒が聞こえる。だが、テーブルの上にあった壺はなくなっていた。
ユウトの口から正直な感想が出た。
「何だったんだ、今のは?」
「夢だったんでしょうか」と、ふわっとした顔でマタイが口にした。
ムドウとハルヒは無言だった。食事会に嫌な空気が流れていた。
鶏肉の揚げ料理が運ばれてくる。だが、料理には手を付けづらい流れだ。
場の空気を嫌ってかハルヒが動いた。
「料理が冷めてしまいます。皆さんに、取り分けますね」
「火事だー」と誰かが叫ぶ、途端に個室の外が騒がしくなった。
ドアの向こうから煙が入ってきた。
店にいた男の客の緊迫した声がする。
「厨房から火が出たぞ」
料理の油に引火した、逃げねば危ない。
マタイが叫んでドアを開けた。
「逃げるぞ。外だ」
途端に煙が流れ込んできた。
バタバタと店のドアから人が出て行く。ユウトもハンカチで口を押えて脱出した。
外に出ても煙が酷いので、離れる必要があった。
野次馬や他の店からも逃げる客が出ているので、人が多い。
ハルヒ、マタイ、ムドウの姿が見えなくなっていた。逸れたかと苦く思った。
このまま道端で待っていても会えるとは限らない。また、先の火事がユウトを狙う者の仕業かもしれない。襲撃の事態も考慮してユウトは人混みに紛れた。
そのまま目立たないように足早に館に帰った。ハルヒもマタイもすぐに、館に帰ってこなかった。
次の日に、センベイを呼んで尋ねる。
「昨日の火事で犠牲者は出ましたか」
素っ気なくセンベイは答える。
「いいえ、出たとしても一人でしょうね」
センベイの言わんとすることはわかった。火事で犠牲者が出たとしたらムドウだ。
だが「出た」と断言しなかったので、ムドウの生死は不明だ。
火災に巻き込まれた風を装っての暗殺。暗殺で解決するのならそれでもいい。
極東の国の間者もユウトを暗殺にきている。ならば、ユウトが暗殺を躊躇う道理はない。
「報告ありがとうございます。下がっていいですよ」
センベイは軽く会釈をして下がった。後日、ハルヒと会ったが浮かない顔をしていた。
ムドウが死んだのなら、死んだと泣いていそうなもの。
何も言ってこないところを見ると、ムドウはハルヒの前から消えた。
危険を感じて国外に逃亡したのか、どこかの山奥に埋まっているのかわからない。
ハルヒの視点で見るとする。ムドウは魔神の問いにハルヒの名を答えられなかった。
調子のよい事を散々囁いていたムドウはハルヒと顔を合わせづらくなった。
本心がムドウはばれて逃げたとも取れる。推測だがアメイとマタイがムドウを結婚詐欺しだと事前に匂わせたのかもしれない。
真相がどうであれハルヒを騙していたムドウが消えてくれれば、ユウトとしては問題ない。
アメイとセンベイからは懸念事項としてムドウの生存は知らされていない。それならば、ユウトとしてはこれ以上、探らないほうが賢い。
知らなくていい事実は世の中にはいっぱいある。ユウトもハルヒも同じだ。それにユウトにはやる仕事がまだたくさんある。終わったことは気にせず、前を向いていかねばならない。