第百三十四話 拳の間合い 剣の間合い
ライエルが箒を構える。色々な達人を見てきたユウトにはわかった。ライエルの剣は素人の剣ではない。幾多の戦場で人を斬り続けた剣だ。サジもライエルの構えを見て表情が引き締まる。
サジはゆっくりとライエルの死角へと動いていく。ライエルの濁った眼はサジを見ていない。見えている目もサジの動きを追っていない。
ライエルの右後方にサジが陣取った。サジが踏み込んだ。サジが下段蹴りをする。ライエルの身を心配しての下段蹴りではない。ライエルの機動力を奪うための蹴りだ。
視界が制限されているライエルの片足を潰す。そうすれば、ライエルは攻撃手段が限られる。あとはフットワークを活かして確実にライエルを倒す。
障碍者相手に容赦がないとは思わない。サジはライエルが手加減できる相手ではないと感づいている。
ライエルは片足をフイと上げる。絶妙なタイミングだった。サジの蹴りが宙を切った。ライエルは残りの足を軸に体を反転する。
箒を振るいサジの顔を狙う。サジが箒を手で払った。勢い余って箒の先が折れた。折れた箒の先から破片がサジの顔に飛んだ。
目を瞑ったサジだが危険と判断し下がった。
サジが避けた先に折れた箒の残りが飛んできた。ライエルがサジの行動を読んで投げた箒だ。
避けられずにサジの顔に箒の柄が当たった。サジは姿勢を崩さず、構える。
「それまで、お前の負けじゃ」
声のした方向を見ると、ママルが立っていた。
サジはママルに言い返す。
「顔に箒の柄が当たっただけです。刃物なら躱していました」
どんよりとした顔でママルは首を横に振る。
「情けない孫じゃ。ライエル殿がその気になれば折れたほうでお前の目を潰せた」
折れた箒は先が尖っている。ライエルはサジに怪我をさせないように配慮していた。
目をきちんと開けるようになったサジは箒をしっかりと見つめた。
ママルがサジに追い打ちをかける。
「敵に情けを掛けられた上に、負けていないと強がるなら続けろ。ただし、今度は目ではすまんぞ」
ママルの言葉を聞きサジは態度を改めたかに見えた。
「私が驕っていたようです」
サジはライエルに近付き握手を求める。ライエルが握手を返した。
勝負が終わったと思ったが違った。ライエルがサジの懐に入る。ライエルは持ち上げるようにサジを投げた。サジが地面に転がった。ライエルはすかさずサジの喉を踏んでいた。
大人げないと思い、ユウトは声を上げる。
「やり過ぎですよ、ライエルさん」
やれやれの顔をママルがしていた。ママルはサジの助けに入らない。ママルは嘆いた。
「今のは孫が悪い。孫はライエル殿を投げようとした。喉を潰されない、優しさに感謝しなさい」
まるでわからなかったが、ライエルが身を守ったのなら、怒れない。
それにしても、片手で徒手格闘のプロである武僧を投げるとは見事なものだ。
「ライエルさんを雇いましょう」
ユウトが決断すると、ライエルがサジに手を差し出す。
今度はサジが手を借りて立ち上がった。サジの顔には悔しさが滲んでいた。
「少しは腕を上げたと思って慢心していました。全然ダメですね」
ライエルはサジに声を掛ける。
「若いのだからまだ先はある。死に急がなければ、だが」
嫌味ではない。正直な評価だ。
ユウトがライエルに給金の額を伝える。ダナムに払っていた額と同額を提示した。
額を聞いてライエルの顔が少し曇った。
「庄屋殿、その額はいささか高いのではないか?」
「ライエルさんには期待しているので額に間違いはありません。多過ぎるというのなら働きで返してください」
ユウトの返事にライエルの顔が少しだけ和らぐ。
「戦場にはもう立たないつもりでいた。だが、どうやら運命の女神は是が非でも俺を戦場に送りたいらしい。いいだろう、給料分は働こう」
ハルヒのおかげで良い人材が入った。やはり、ハルヒは町になくてはならない逸材だ。
夕方、ハルヒと食事に出かける。ハルヒの恰好から格式の高い高級店ではないと想像できた。想像は当たって。着いた先は繁華街から離れた場所にある料理屋だった。
両隣は八百屋と穀物商が入っている。ちょっと離れた所には酒屋と乾物屋がある。住宅近くにできたミニ市場といったところだ。
料理屋の看板は新しい。最近できた店だ。店先は綺麗なのが好感が持てる。
中に入ると、小さな店内には二十人の客がおり、満席に近い。
客の恰好からして庶民がちょっと贅沢をするためにくる店屋だ。悪くはない。
「予約していたハルヒです」と伝えると、個室に案内された。
ドアを開けると個室は衝立で区切られ二つに分かれている。高級店ではないのでいたしかたない。
ハルヒとユウトが席に着いた。四角いテーブルは広目で、席は四つあった。食器は四人分、出ている。あと一人はマタイだとして、もう一人が気になった。
料理屋の入口のドアに付いた鈴の音がする。マタイがやってきた。マタイの服装はいつもと違う。洒落た羽帽子に、赤のゆったりした服。靴は革靴だ。手には大きな紫の袋を持っている。袋は角ばっているので、中には箱が入っている。
恰好はいつもよりきちんとしているが、着飾ったマタイは詐欺師に見えるから不思議だ。
マタイに続いて、一人の青年が入ってくる。年齢はユウトと同じくらい。黒い髪に薄い褐色の肌。マオ帝国領の出身者に見えた。服装は気慣れた感じのクリーム色の上下の服を着ている。服の袖には緑色の龍の刺繍があるので、安い服ではない。
誰だろうと、ユウトが不思議に思っていると、マタイが紹介する。
「庄屋様、こちらは芸術家のムドウさんです。今日は是非、紹介したくてお連れしました」
別れさせ作戦のターゲットとの面会だった。とすると、ここが別れさせ工作の現場だ。和やかな雰囲気ではあるが、展開によっては男女の修羅場の予感がする。
「初めまして、庄屋のユウトです。マタイさんの紹介ならきっと仲良くなれるでしょう」
ユウトは顔では笑っていたつもりだった。だが、心の中はムドウをどうしてくれようかと、憎しみが渦巻いていた。ハルヒをたぶらかすなんてとんでもない。ムドウは是が非でもやり込めてやりたい。