第百二十九話 襲撃
今年の夏は事件が多い。全然、休まる気がしない。
それにまだ大イベントのお見合いがある。こちらは静かすぎて気になる。
そう思っていると、夏の盛りが過ぎた頃に兄のニケがやってきた。
ニケは元気そうだった。体重も増えたのか少しふっくらしていた。
「元気そうでなによりです。仕事はどうですか?」
「順調だよ。王国が瓦解した時に先が真っ暗になったが、今は地理院で地図の再作成と検地の準備をしている」
嫌な動きだ。領地では人口は確実に増えている。それに伴い農地も増えた。農地が増えた時には届け出はしている。だが、百姓が開墾した土地を過少申告しているのは間違いない。
ユウトも薄々は気付いていたが、百姓のやる気を削がないため多少は目を瞑っていた。
検地が行われれば、過少申告は露呈する。
「兄さんならわかってくれると思います。この地では教育水準は上がっているとはいえ、近隣の村までは行き届いておりません。高齢者になれば数を数えるのもおぼつかないです」
これは嘘だ。村に商人が頻繁に来るようになってお百姓さんは賢くなった。
怪しい商人に数を誤魔化されるような馬鹿は子供でもいない。
頭の良いニケはユウトの言わんとすることを理解してくれた。
「測量には専門的知識がいる。間違いはあるだろうが、正してくれるのなら問題はない。あまりに悪質ではない限り遡っての徴税をしない方向でミラ様と検討している」
税に関してミラが手心を加えてくれるとは意外だった。ただ、ミラも人間である。
領主様とユウトの結婚が破談になれば、態度を変えてくる可能性は捨てきれない。
ユウトが気を揉んでいると話題は見合いになった。
「お見合いだが延期になった。理由は領主様が皇帝陛下に謁見するためだ」
領主様との縁談に身を焦がしているわけではない。延期も問題ないし、庄屋の地位が保証されるのなら破談でもいい。
でも、皇帝への謁見ならもっと前から予定が立つはず。急に領主様が呼ばれたのなら注意が必要だ。
結婚後に国替えは困る。更に言えば謀反の疑いで改易になんてなったら、たまったものではない。ユウトの不安を肌で感じたのかニケが説明してくれた。
「マオ帝国には動きがある。新たに帝国に加わった新興貴族への処遇だ。領地替え、出征要請、公共事業等で新興貴族の力を削ぐ動きが出ている」
理解できる動きだ。マオ帝国はできて新しい国である。
多くのの国を併合したが、以前地方には旧貴族が力を持っている地域がある。
皇帝を中心に宮廷は反乱を未然に防ぐ政策に出た。
「この東の地にはどう影響しますかね」
「この地より極東の国への交易路が開けば東の地は大きく発展する。となれば、今までのようにはいかない。皇帝は親族に治めさせたいはずだ」
山への侵攻が進んでいるので皇帝は先手を打ったか。
領主様を呼び出したのは天封で国替えする。ないしは、皇帝の血族との婚姻により支配下に置く気だ。もし、領主様が皇帝の一族との結婚となれば、ユウトとの結婚はなくなる。
だから、領主様は見合い前に皇帝に謁見して真意を探ろうとしている。
「領主様のお気持ちが大事なので、俺との結婚がなくなっても俺は気にしません。泣く泣く身を引くとお伝えください」
領主様は皇帝の一族と結婚して欲しいがユウトの本心だ。性格のよい貴族なら万歳だ。
マナデイより格上の貴族なら取り入って、サイメイを守れる。
ホッとした表情でニケは有難がる。
「なんだか振り回して済まないが、納得してくれるのなら助かる」
「それよりも検地で張りきって怪我などないようにしてください」
最後に一言を加えてニケを帰した。
夏が終わりに近付いてきているのに涼しくならない。
ハルヒに会った時に何気なく質問する。
「暑い夜が続いていますが、お年寄りは大丈夫ですか」
ユウトの屋敷は氷結晶を使った冷房が入っているので暑くなかった。
氷結晶は高級品なので庶民の家では使えない。
「気温が下がらない夜が多いですが、窓を開ければどうにか眠れるので、まだ助かっています」
気になったので尋ねる。
「今年は蟲が多いでしょう。窓を開けて困りませんか?」
「蟲は多いですが、それにもまして蝙蝠が多いですね。きっと、蝙蝠が蟲を捕食しているのでしょう」
ハーメルが律儀に約束を守っている? 本当か?
マタイが怒らせたから、手を引いたとてっきり思い込んでいたが違うのか?
「怪しい、なんか怪しい」
「何がですか?」ときょとんとした顔でハルヒが尋ねる。
「こっちのことだよ」とユウトは誤魔化した。
約束を守る振りをしたハーメルが蝙蝠で諜報活動をしているのではないかと疑った。
その日の夜に眠っているとドアを叩く音がした。こんな夜更けに誰だと目を覚ます。
寝室のドアの外からサジの声がする。
「僧正様、大変です。蟲の大群に屋敷が囲まれました。虫除けの香が効きません。武僧たちが炎を持って焼き払っていますが追いつきません」
いかに武に優れた達人でも限界がある。小さな蟲が百万を超える規模で襲ってきたら苦戦する。
ユウトはここで妙だと気が付いた。
小さな蟲なら扉や窓の隙間から入れるはず。なぜ、屋敷内に入ってこない。
サジがユウトを急き立てるように促す。
「ここは危険です。避難するようにお婆様からの指示です」
ユウトはサジの態度に疑いを持った。部屋に蟲が入ってこないなら、ここは安全な場所だ。無理に移動させようとするサジの言葉はおかしい。
ユウトが無言になると、扉の下から何かがぞわぞわと入ってきた。
ベッド・サイド・テーブルからユウトは香炉を拾う。大量に入ってくる何かに投げつけた。
灰が散らばると羽虫が逃げ惑う。どうやら、屋敷内に暗殺者が入ってきた。安心させてから毒虫でユウトを殺すつもりだった。だが、羽虫は香炉の灰を浴びてパニックになった。
「僧正様、大丈夫ですか」
鎧戸の外から緊迫したママルの声がした。
窓を開けてママルを中に入れようとして、止まる。
「果たして窓の外のママルは本物なのか? 敵の暗殺は二段構えなのではないか」
ユウトは窓を開けなかった。
「俺は大丈夫です。それより使用人の安全を優先してください」
「馬鹿なことを言わないでください。僧正様の命が大事です」
偽物だなと確信した。ママルなら「仰せのままに」と答える。本当に危ないなら、窓をぶち破ってママルは入ってくる。混乱する羽虫が飛び交うので窓を開けたいが我慢した。
羽虫は煩く、窓はドンドンと叩かれるがママルの声はあれきりしない。
「火事だ!」と叫ぶ声がした。煙の臭いもする。火事は本当かもしれないが、慌てふためくと死ぬ。黙って待つと、窓が弾け飛んだ。窓の外には大鎚を持ったチャドが立っていた。
「逃げろ庄屋。俺に従いてこい」
確信はないが、チャドは本物だと感じた。化けるなら、もっとユウトに身近な人物になる。チャドはあまりに屋敷に来ないので化ける対象には不向きだ。
脱出するには今しかないと、ユウトは外に出た。
途端に外が騒がしくなった。ユウトの屋敷に効果を及ぼしていた音を操る魔法が切れたと知った。