第百二十八話 マタイ老
安心させてからの奇襲を用心する。一晩だけユウトは村に逗留した。杞憂に終わったのでユウトはキリンを飛ばして街に帰る。一仕事を終えたので風呂でもと思ったが、南東の村から急使が来ていた。
「村で大規模火災が発生しました。村の防壁が焼失。新たに建造中の家々にも多数の被害が出ております」
報告には驚きを隠せなかった。敵の攻撃を防いできたが遂に甚大な被害が出た。
街にいれば忘れそうになるが村のすぐ隣は敵国だ。
「敵の奇襲を受けたのですか? 死傷者の数はどれほどですか」
駐屯軍が出払っているので動員できる兵は少ない。場合によっては非情な判断が必要になる。少ない兵で助けに行くのは危険だ。撃破されたら敵の思う壺。
村を一つ見捨てられなかったせいで、他の二村も落とされたら街が包囲される展開がある。そうなれば被害は甚大だ。
急使は強張った顔で伝える。
「火災は敵の奇襲によるものではありません、死傷者も0です」
死傷者がいないのは良いが、不可解な事態でもある。
村の防火体制に不備があっての火災にしては、焼失範囲が広すぎる。
急使が背筋を伸ばし、声を張って要請してくる。
「至急、村までお越しください。これは庄屋様の判断を仰ぐべき重大懸案だとのフブキ様の判断です」
信じて任せたフブキが来いと呼ぶ。ならば行かねばならない。何か異常な事態が起きている。街であれこれ考えるより現場に向かったほうが早い。
ユウトはキリンを飛ばして、南東の村に急いだ。村には昼過ぎに着いたが妙だった。空から見ればわかるが、火災にしては焼け方が綺麗である。まるで、測って焼いたような綺麗さだ。
また、再建のための資材がすでに揃っている。再建用の資材の発注をユウトは認めていない。建築現場が燃えたのに資材置き場の資材はすっかり残った、ではおかしい。
ユウトが年寄役の家に行くと、フブキが出迎えた。
フブキの顔はとても苦い。まるで敵の罠に嵌って部隊をそっくり失った将のようだ。
敵の仕業ではないのにこの顔はなんだろう。いったい何が起きたんだ。
「庄屋様、こちらへ。現在この家の中にはマタイしかいません。状況はマタイからお聞きください」
直感的にこれはマタイが何かしたなと感じた。だが、ユウトを裏切って放火したならフブキが黙っていない。フブキは一命を懸けてもマタイを討とうとしたはず。
前評判ではフブキよりマタイのほうが強いので、マタイと戦えばフブキは負ける。
どちらかが死んでいるのならわかるが、二人とも生きているのがまた不可解だった。
家の中の応接室に行く。皺々の顔をした老人がいた。外見的に百を超えていると教えられても不思議な気はしない。
マタイは小男であり、体格も良くない。ユウトでも斬りかかったら殺せそうに細い。服装は旅人が着る厚手の服だが、かなり使い込んでいる印象があった。マタイの丸顔にはネズミのような長い髭が数本生えている。また、顔は酒に酔っているように赤い。
酒の臭いがしないので飲んではいない。とすると、顔は生まれつきだ。
一見すると路地裏にいた小悪党が耄碌した感じである。とてもラジットが推挙してくる人物には見えなかった。
マタイはユウトを見ても立ち上がらない。代わりに腰に提げていた双剣をテーブルの上に置く。マタイが武器を外したのでユウトも外そうとするとフブキが止める。
「庄屋様は武器を外すのではなく、抜いてください。また、座ってもいけません。状況によっては庄屋様がマタイを斬らねばならないので」
これはもうマタイが何かやったのが確実だった。フブキはマタイの双剣をさっさっさと回収した。マタイを見下ろす感じは嫌だったが、フブキの提案なので立ったままでいた。
マタイが笑って白状した。
「村に火を放ったのは私です」
自白だが驚きはしない。フブキの一連らの態度からなんとなく予感があった。
「事情を説明してください。場合によっては斬らねばならない」
ニコニコした顔でマタイは語る。
「それはありがたい。納得がいくなら、斬らないと取れますからな。でもそれでいいんですか? 放火は大罪、権力者の事情で法を変えれば、民は権力者に取り入る方法のみに腐心しますよ」
自分が助かる道を塞ごうとする言動は理解できないが、言う事はもっともだ。ラジットはマタイをユウトに推挙した。だが、ラジットは同時にマタイにもユウトへの仕官を薦めた。
マタイはユウトの人物を計っている。ユウトは想いを語った。
「何か勘違いされておられますね。私は権力者の事情に振り回される民の側です」
帝国では庄屋の位置づけは支配層。だが、旧王国の伝統では民を纏める代表だ。
マタイはユウトを恐れず、遜りもしない。馬鹿にしてもいない。
「貴方は領主や皇帝に従わず、利用しようとするのですか? であれば、お止めなさい。強く大きい者は小さき者を滅ぼすのに容赦がない。小さき者は必ず滅ぼされる」
言いたいことはわかるが、そんな一般論はここでは不要。
「魚は自分よりはるかに大きな海に棲みます。ですが、魚が海に滅ぼされたこともなく、また海がなければ生きてはいけない。違いますかね」
マタイの表情は晴れやかであり、ユウトとのやりとりを楽しんでいた。
「庄屋様が魚なれば法を説くのは無意味ですな。ですが、魚には人は裁けない」
マタイはユウトに統治者としての法と権力について在り方を尋ねている。
「魚でも住処を荒らす漁師の舟に体当たりぐらいはしますよ。漁師といえど、船から落ちれば死ぬこともある」
「小魚には無理でも大魚なら漁師を殺すこともあるでしょうな」
フブキがムスッとした顔で口を挟む。
「老い先短い老人との無駄話はお止めください。いまマタイに寿命で死なれたら私が困る」
フブキを怒らせる気はない。現場で一番困っているのはフブキだ。
マタイも同感なのか話を説明に戻した。
「私は山の民が隠した建材を発見しました。これをそっくり頂く必要があったのですが、村人が協力してくれませんでした。なので、村人が建材を欲しくなる状況を作ったのです」
誰しも危険な山には入りたくない。だが、村を守る壁がなくなったのなら別だ。再建を急がねば身が危ない。となれば、山にも入る。だが、話はそう上手くはいかない。
「村人が率先して山から建材を運んだのですか?」
「それはもう喜んで運んでくれましたよ。手間賃をきちんと払いましたから」
おかしい、村にそんな余剰金を残してはいない。
村の年寄役や百姓代がユウトのように隠して蓄財をしていたとも考えられない。
「どこにそんな金があったのです? まさか、後から払うと空手形を切ったのですか」
「もらえるかどうかわからない金に飛びつくほど百姓は馬鹿ではありませんよ」
ますます持って不可解だと思っていると、フブキが教えてくれた。
「村人に払った手間賃はハーメルからマタイが奪いました」
ふんと鼻を鳴らしてマタイが言い返す。
「人聞きの悪い。あれは賭けに勝って私がもらった金です。だから、私の物です。私の金を村人に配って何が悪いんですか」
両者の言い分は食い違うが、正しいのはフブキだろうと思った。
マタイはユウトの視線から言いたいことを察したのか付け加える。
「ハーメルはハッキリと言いましたよ。奪えるものなら奪ってみろ、と。これはもう、奪えたら私の物にしていいという意味です。なら、手に入れたら私の物です」
やってくれたなと思った、山の民が盗んだ建材は回収できた。
敵の建築資材として使われるよりはいい。
村人も嫌々ながらも協力した。依頼は達成してくれたが、余計な敵が増えた。
「ハーメルは怒っていませんでしたか?」
「それはもうカンカンでした」と、フブキは認めた。
マタイが進言する。
「私から助言があります。ハーメルとは敵対しないほうがいいです。なので、あとは庄屋様がハーメルを宥めてください」
言っていることが滅茶苦茶だ。
「なぜですか? 襲われたら困るからですか?」
嬉しそうにマタイは説いた。
「いいえ、ハーメルは良いカモになってくれるからです。ハーメルは知的な紳士を気取っているが熱くなり易い。なんだかんだで、あと三回はカモれるでしょう」
バンパイア・ロードをカモにしようとは普通は考えない。
だが、マタイならやれる気がした。なるほどラジットが推挙してくる男だ。