第百二十四話 雨
夏の暑い日なので遺体は傷み易い。亡くなった翌日から雨が降っていた。
葬儀の手伝いに来たサイモンが空を見て判断を尋ねてきた。
「天気ですが三日は回復しないでしょう。大雨による洪水はないでしょうが、風は出ています」
「遠くに住むダナムの親族の到着が遅れる、か」
やむなくユウトは葬儀を出し火葬を決めた。僧侶の祈りの後に、友人が集まり故人を偲ぶ。外で降る雨は激しくはないものの夜更けになっても雨は降っていた。
遺体の番をするために十人の友人たちが残っていた。
残っていたサイモンが杯を片手に語る。
「庄屋様、天もダナムさんの死を悲しんでいるのでしょう」
サイモンは東の地の猟師なので天候を読むことにかけては信頼ができる。
ユウトが東の地に赴任してから、三日以上雨が続いた記録はない。
最近は暑く雨が少なかったので、作物には恵みの雨となるが、不安でもある。
「何か異常が起きる前触れですかね」
「この地には七年か八年周期で長雨が降ることがございます。雨自体は問題がないのですが、冬がちと心配です。長雨のある年は雪が多い」
マオ帝国軍は去年の冬に確保していた砦をほぼ奪われていなかった。
レルフも残っていたのでユウトは尋ねた。
「軍の進み具合はどうですか?」
サイモンの話を聞いていたのかレルフの顔は冴えない。
「進軍に関しては負け戦の報告がない。司令部は順調に山を横断するルートを確保している。砦は補強され道の整備も進んでいる」
順調だからこそユウトは不安になった。
「今年の冬が大雪になると危険ですね。去年より行動が制限される。なまじ、奥まで侵攻できたために、大損害を出す可能性がありますね」
奪った地域を奪い返されるならまだいい。
勢いに乗って東の三村が襲われたら、ユウトは対応を迫られる。
「戦争は軍人さんのお役目ですが、俺はこの地の平和が愛おしい」
反戦的な言葉が口から出たが、レルフは咎めなかった。
レルフ個人としても山脈越えの軍事行動を無謀と考えているのかもしれない。
「レルフ閣下は極東攻めをどうお考えでおられますか」
酔っているのかレルフの顔は赤い。
「吾輩は軍人だ。決まれば命令に従う」
杯の酒を飲むとレルフが続ける。
「北から極東の地に回り込むにしても雪の問題は避けては通れない。また制圧した北の国々では豪族は独立心が強い。いつ反乱が起きてもおかしくない」
北の平野から回り込もうにも、退路を断たれる可能性があるのか。
「では、南からはどうです」
「南回りで行くなら砂漠地帯の横断になる。これも危険だ。大軍を持って進めばすぐに水が足りなくなり自滅する。砂漠のモンスターも手強く簡単には進めん」
砂漠を横断する交易路は存在する。だが、商隊なら進めても、軍隊規模となると難しいのか。
マオ帝国人は暑さに強いと聞く。だが、それは高温多湿の環境であり、砂漠の暑さとはまた違う。
「なら、海路を使って攻めるのはどうですか」
ユウトは旧王国領から出たことはない。だが、街には極東の交易品を扱う店があった。父の話では海路で港まで運ばれた品が陸路で届いていた。
苦い顔でレルフが問題を教えてくれた。
「海軍による上陸作戦も難しい。極東の国は海運国家の盟主だ。他の島国と連携して大規模な艦隊を組織できる。おそらく、海軍力だけなら帝国に引けをとらない」
マオ帝国は巨大でも大部分は陸軍なんだな。
海軍を養成して大規模海戦を行うには金も時間もかかる。
「どのルートを取っても極東攻めは問題があると」
「だからこそやり遂げれば偉業となる」
権力者の実績のための戦争は庶民が困るのだが、今は乱世。
国を盗らなければ、自分の国が盗られる。
ユウトとしては山脈越え以外のルートをお願いしたいところだが、こればかりは庄屋には無理である。
ユウトは仮眠を取り明日に備える。ダナムを荼毘に付した。葬儀は小さいが心の籠った葬儀だった。フブキが参列できないのが残念だが、仕事を投げ出してきたらダナムが化けて出そうだ。
葬儀が終わって帰る前にレルフを捕まえて相談した。
「閣下、お話があります。街の人間から兵士の態度がよろしくない、との苦情があります」
レルフの顔が渋くなる。レルフも兵士の風紀の乱れに気付いている。
ならば、とユウトは遠回しにお願いした。
「この街にはお年寄りが多い。何かと若者の行動に厳しい視線を向ける者が多い。何か対策はないでしょうか」
「吾輩も頻繁に注意しているのだが、あまり効果を上げておらんのだ」
もしかして、レルフを老将だと思って軽んじているのか、ならば悪い兆候だ。
力による規律をユウトは仄めかした。
「ロシェ閣下ややダナムさんならすぐに鉄拳制裁だったでしょうね」
レルフもダナムと同じくらいには強い。フブキが抜けた今、剣を抜けば駐屯軍でレルフに勝てる者はいない。権威と力があれば軍人は従うとユウトは予想していた。
レルフが不機嫌な顔でユウトの意見を否定した。
「庄屋殿の意見は古い。美しくもない。吾輩には吾輩のやり方がある」
美意識があるのなら、無理に勧めても無駄だ。ここが軍人しかいない野営地なら問題なかった。だが、街の人の目があるので、美意識がどうの、時間を掛けてとは言ってられない。
これはこちらで何かの手が必要だな。
ユウトはアメイの家を訪ねた。アメイは家におり、庭仕事をしていた。アメイの家の庭は狭いが、草がぼうぼうと伸びていた。しっかり者のアメイにしては珍しい。
アメイが手を休めて、使用人に茶の準備をさせる。
「しばらく家を留守にしていたら、草が伸び放題になっていました。このままでは隣の家から苦情がきそうなので草を抜いていました」
使用人がやればよいと思うが、草むしりは重労働。
使用人に払っている給金は知らないが、重労働まではさせられないとの判断だ。
「お尋ねしたいのですが、村の近くに倒すと武勇が響く手頃な魔物とかいませんかね?」
アメイはユウトの言葉に不信感を露わにした。
「何か良からぬことを考えていますか?」
「いえ、レルフ閣下に手柄を立てさせて、街の風紀を守ろうとしているだけです」
レルフが部下に高圧的に出られないなら、部下に働きを見せ敬意を抱かせればよい。上官が強く、怒れば怖いと知れば従う気にもなる。
アメイはユウトの言葉を聞くと納得した。アメイは街で起きる問題がわかっており、ユウトの考えを即座に理解する頭を持っていた。