第百十六話 オールド・マスター・モンク 対 マスター・モンク
夕方になると、ママルが戻って来た。ママルの表情は暗い。
「厄介なことがわかりました。アモン様ですが、御自分の意思で宿を出て行った形跡がございます」
大僧正に慣れないなら、と会談から逃げたか。考えたくはなかった。だが、昨日の様子ではそんな素振りはなかったが。なんとか探して戻ってくれるように説得しなければならない。
「行き先はわかりますか?」
「わかりませんが、どうもキリンの乗っておられたもよう」
乗り逃げか、だがこの場合はキリンが背に乗せた事実が困る。キリンは天哲教の霊獣である。表向きはキリンがウンカイを選んだとしてユウトはウンカイを推した。
ここでキリンがアモンを伝説の聖地にでも連れて行ったとかになると、ユウトの思惑は外れる。時間稼ぎの上での巻き返しか、やるね。
「これはまずいね」とユウトは困った。
さてどうしたものかと考えていると、サジが入室してくる。
「ウンカイ様がお見えです。今後の事を話したいとのことです」
動きが早いな、とユウトは内心、舌を巻いた。キリンが動いたことでウンカイも黙っていられなくなったとみていい。情報が足りないので会うのは時期尚早。
だが、面会を避けると裏切ったと取られると、余計に悪い。
「ここへ通してください」
ユウトが決断するとウンカイはすぐに入って来た。ウンカイの表情は非常に渋い。
「ユウト様、アモン様が消えた件をいかが対処なさるおつもりか」
「行方を追っていますが、いまだ確証を得られずです」
それとなく誤魔化すとウンカイは鋭い視線でユウトを見据えた。
「アモン様は自らの足で宿坊から出て行ったとの報告がありました。行き先に心当たりはおありですか?」
ウンカイはユウトが隠しておきたいと思った情報を知っていた。
地徳派が抱える隠密集団の教団の目をウンカイが動かした、か。
キリンはユウトに懐いているので、ユウトと実はアモンと繋がっていると疑っているのかもしれない。
「いえ、行き先はわかりません。ただ、三日待って帰らなかった場合は、天徳派には僧正代行を立ててもらいましょう。それで会談を再開します」
太い眉を歪めてウンカイは確認してくる。
「ユウト様の案には賛成しかねます。アモン様が戻ってくれば何かが決まっても今までの議論は天徳派の意見でないとして、ひっくり返さされる恐れがあります」
ウンカイの憂いは当たっている。ユウトもアモンがいちど会談を延期させて巻き返しを図ろうとしているのではないかと予想していた。
ここで強行して物事を決めれば、天徳派は黙ってはいない。かといって、何もしないでは地徳派が怒る。ユウトは妥協案を出した。
「天徳派の代行が決まれば、天徳派代行、ウンカイ様、私で暫定の大僧正としてウンカイ様に暫定の大僧正をやってもらいたいと思いますがどうでしょう」
ウンカイはユウトの案をすぐに飲まなかった。かといって、顔は全くの拒絶でもなかった。ユウトはもう一押しした。
「天徳派とは私が明日にでも話を付けてきますので、一日待っていただきたい」
ウンカイの反応は悪い。
「天徳派の連中は頭が固い。果たしてユウト様の提案を受け入れるかどうか」
ダメならそん時はまた考えればよい。ユウトは本心を隠して堂々とした態度で頼む。
「任せてください。これでも私は人徳派の僧正です」
「そこまでおっしゃるのであれば」とウンカイは引き下がった。
最悪、こじれに拗れに拗れたら僧正を辞任して後はリーに後始末させよう。
僧正の地位は有難かったが固執するほどではない。
夕方にはキリンは帰ってきたが、背には誰も乗せていなかった。ユウトがキリンに会いに行っても、キリンは狸寝入りを決め込んで顔すら合わせない。
翌朝、ママルのみを連れて天徳派の宿に行く。天徳派のナンバー2と思われる僧侶が出てきた。僧侶は若くまだ二十に及んでいない。頭はしかり剃髪している。
体は瘦せ型だが、筋肉がついているので武僧だった。武僧は一礼する。
「私の名はサモンと言います。アモン様に使える筆頭武僧です。ユウト様、アモン様はいまだお戻りになられていません」
「何か思うとこがあったのでしょう」
「理由も行き先もわからないではいつ戻るかもわかりません。これでは大僧正が決められない」
「確かに」とだけサモンは応えた。「悪い」とも「すいません」もない。サモンはアモン以外の大僧正を認める気はないとみえた。でも、ユウトとて簡単に引き下がれない。
「そこでですが、今回はウンカイ様を暫定の大僧正として認めてはいかがでしょう。任期は二年として、任期終了後にアモン様がお戻りになっていれば、またその時に話しましょう」
涼しい顔してサモンは拒否した。
「暫定といえど、大僧正に相応しきお方はアモン様のみ。承諾はできません」
ハッキリしているなと思うが、先日の態度から予想はできた答えだ。ここから妥協させてこその人徳派僧正だ。ユウトがママルに一度、意見を求める。
「はてさて、どうしたものでしょう」
名案は望んではいない。独りよがりにならないための振りだった。
畏まってママルがユウトに提案する。
「では、神前の試合にて決めるのはいかがでしょう。天哲教の信徒に譲れないものがあるとき双方の合意があれば神前での試合で意見を決めます」
「なんか野蛮だな」とは思うが理解はできる。武を極めんとする僧同士の衝突ならいずれ血が流れる。ならば、ルールにのっとって最小限の流血で済ませようと採用された掟だ。
ユウトとしては問題なかった。ママルに勝てる武僧はいない。力で決めていいのならユウトが有利だった。だからこそ、提案をサモンは断ると思ったが、違った。
「この度のアモン様の行動をお許しいただけるのなら、いいでしょう。神前での裁定で決めましょう」
サモンがママルの実力をわからないのなら圧勝だと予想した。ここで異常に気が付く。天徳派の誰もが騒がず、止めない。
これだけ、武僧がいるのなら誰か一人はママルの実力に気が付いていいはず。
「もしかして、自信があるのか?」と不安になる。
とはいえ、人徳派のママルの提案なので止めるわけにもいかない。
大丈夫、ママルさんが負ける事態なんてない。ユウトはママルを信じた。
「では、神前の試合で決めましょう」
急遽、寺で神前試合を行う。全宗派の武僧が揃っての中、サモンとママルが立ち会う。人徳派も地徳派の僧侶もひそひそと囁き合うが、天徳派は意思統一ができているのか静かだった。
ママルを応援に来ていたサジにユウトはそっと尋ねる。
「サモンは強いんですか?」
サジは厳しい視線をサモンに送る。
「かなりできますよ。私では勝てないでしょう。どれほどの修行を積めばあの域に立てるのか想像も付きません」
天才か、でも天性の才能があるのはママルさんも同じ、きっと勝てる。
「始め!」とムン導師が審判になり合図を掛ける。
試合は静かに始まった。二人は互いに歩み寄る。お互いに手の届く位置で止まった。
お互いに素手だが、どちらが死んでもおかしくない空気が流れていた。
ママルが先に動いた。踏み込み正拳をサモンの腹に放つ。
サモンは身を捻って躱した。避け損ねたのか、サモンの服が破けた。
それでもサモンはママルの顔面に掌底を撃ち込む。
掌底はママルの顎にヒットしたかに見えた。ひやり、とした。
ママルは掌底が当たったタイミングで顔を捻り勢いを完全に殺す。
ママルはそのままサモンの腕関節を決めようとする。
素早くサモンは腕を振りぬいて逃れる。勢いでサモンの服の袖が破れた。
サモンはさっと距離を空ける。攻防はこれからと思ったが、サモンが宣言する。
「参りました。私の負けです」
腑に落ちない勝敗だった。サモンは腹への正しい拳を完全ではないが回避している。
関節技も防いだ。サモンまだ戦えるはず。
なのになぜ? とユウトは疑うと、サモンの鼻から鼻血が一筋、流れた。
鼻血が出ているのでどこかのタイミングで、サモンの顔にママルの一撃が入っていた。
威力、速度ともに不明だが、サモンは勝てないとみて降参した。
ママルは勝ったが、何が起きたか理解できた者が少ないので賞賛の言葉がない。
サモンが負けたが天徳派は静かだった。まるで、天徳派にとっては勝負の結果が見えていたのかようで、少し気味が悪かった。