第百十四話 マスター・ムン 対 フレッシュ・ゴーレム
肉塊の身長は三m、体重は七百㎏あった。全身は黒ずんだ血のような赤黒い色をしている。冒険者がさっとユウトを囲んで守りに入った。フブキが剣を抜くと、ムン導師が平然と歩いて前に出る。
「隊長は控えていてください。これくらいのフレッシュ・ゴーレム、私一人で充分です」
ムン導師は小柄なので余計にフレッシュ・ゴーレムが大きく見える。格闘戦なら負けが確定に思えた。ムン導師がすたすたとフレッシュ・ゴーレムの方に歩いて行く。フレッシュ・ゴーレムは無暗に動かず、待ちの体勢に入っていた。フレッシュ・ゴーレムの間合いにムン導師が入る。
フレッシュ・ゴーレムが大きく拳を振りかぶって打ち下ろした。一撃は当たればムン導師ほどの大きさなら一撃で殺せそうだった。素人のユウトでもフレッシュ・ゴーレムの初撃は囮に思えた。
フレッシュ・ゴーレムの一撃をムン導師はひょいとかわした。フレッシュ・ゴーレムの胸が膨らむ。フレッシュ・ゴーレムが息を吸い込んでいた。
ムン導師は手にしていた杖でフレッシュ・ゴーレムの両膝を軽く突いた。牽制にもならないほどの軽い一撃だった。だが、フレッシュ・ゴーレムは両膝から崩れて四つん這いになる。びちゃびちゃと音を立てて、フレッシュ・ゴーレムが毒の塊を地面に撒いた。
本来なら、ムン導師目掛けて吐き出すつもりが下を向く形になったので不発となった。フレッシュ・ゴーレムが頭を上げる。ムン導師が軽く今度はフレッシュ・ゴーレムの額を叩いた。フレッシュ・ゴーレムが突っ伏す形で倒れて動かなくなった。
ムン導師の攻撃は打撃と呼ぶには軽い。だが、魔法と呼ぶには詠唱がない。何をしたのかユウトにまるでわからない。おそらく、倒されたフレッシュ・ゴーレムもなんで倒されたかわからない気がした。武術でも魔術でもない強さを見た。
ムン導師が軽く杖を上げる。今度は何かを短く呟いた。青白い炎が扇形に広がった。炎はハーメルを巻き込むほどに広く伸びる。青白い炎に危険を察知したのかハーメルがさっと上空に逃げた。
ハーメルの背後に炎が拡がり辺りを照らす。闇の中にはまだ二体のフレッシュ・ゴーレムが潜んでいた。フレッシュ・ゴーレムは空を飛べないので青白い炎に触れる。フレッシュ・ゴーレムには揮発油でも塗られているのかのように炎が全身に広がった。
「あああ」と声にならない奇声を上げてフレッシュ・ゴーレムが崩れ落ちた。ムン導師が上空のハーメルを見上げて尋ねる。
「もう帰って良いかな。年寄の朝は早い。そろそろ眠くなってきた」
ハーメルはじろりとムン導師を睨んだ後にユウトをきっと見る。
「どうやら庄屋様は思ったより戦力を揃えられているようだ。貴方と正面からやり合うにはいささか不利だ」
認めてくれたのは嬉しいが、ハーメルはこちらの下に付くような男ではない。
「余興に付き合ったんですから、蝿蚊退治の件はお願いしますよ」
ユウトが釘を刺すとハーメルは微笑し返答する。
「よろしいです。約束は守りますよ。そうしないとこの地では生きてはいけない」
ハーメルの言葉は今後、ユウトの側から約束を持ちだすならしっかりと守るようにとも取れた。戦時下の約束なんてどこまで守られるかわからない。だが、ハーメルにはまだ利用価値がある。
ハーメルとの会談は終わった。結果から見ればムン導師を連れてきて正解だった。ママルやフブキでもフレッシュ・ゴーレムには勝てた。だが、ハーメルを圧倒して、軍事的優位を見せつけられたかはわからない。村で一夜を過ごす。
翌朝、ムン導師から提案があった。
「少し村を見ておきたいのでよろしいでしょうか」
何か気が付くことがあったのだろうか。一日では老婆ロードの効果は切れないので了承した。
「俺は仕事があるので先に帰ります。ムン導師は明日にでもフブキさんと一緒に帰還してください」
ユウトはキリンを飛ばして家に急いだ。三僧正会談の二日前には地徳派と天徳派の僧侶たちが街に入った。人徳派の高僧代表としてリーが派遣されてきた。リーがユウトに面会を求めると確認する。
「我ら人徳派は知徳派のウンカイ僧正を大僧正に推すと考えていいのですね?」
俺の考えは変わっていない。リーも変更を頼んできていないので、人徳派内部ではウンカイを推す高僧のほうが多いと見えた。
「会談の成り行きにもよりますが、ウンカイ様を大僧正に据える方向でいきます」
ここに来ての乗り換えは混乱を招く。また、土壇場で態度を変えれば地徳派のウンカイにも天徳派のアモンからも信用ならないやつと思われかねない。リーはユウトの言葉を聞き、安堵したように見えた。
僧正会談の準備をしていると、ママルが来客を知らせて来た。
「地徳派のウンカイ様が見えられています」
会談前の意思確認と見えた。応接室で会う。ウンカイは筋骨逞しい大男だった。頭は綺麗に剃っており、髭は黒々としていた。武僧のトップといった感じの五十男だった。僧衣も立派であり、いかにも金を持っていそうだった。
「お初にお目にかかる、ユウト殿。ウンカイです」
ウンカイは当たり障りのない世間話をしてから切り出した。
「三僧正会談ですが、人徳派は我が地徳派と足並みを揃えてもらえると考えていいですかな」
来たぞと思う。世間話をした限り敵意はなかった。また、嫌な感じも受けない。少し世俗に揉まれ過ぎかと思う。だが、教団運営は経営でもあり、政治でもある。マオ帝国内でそれなりの威光を保つためには綺麗事だけではやっていられない。
「キリンもウンカイ様を認めています。私はウンカイ様を支持します」
ユウトの言葉にウンカイは満足していた。
「ユウト殿が聡明なお方で良かった。マオ帝国は大きくなった。教団も大きくして信仰を帝国中に広めないと世は安定しない」
ウンカイは天哲教の拡張を夢見ていた。
ウンカイが帰ると、時間を置いてまたママルがくる。
「天徳派のアモン様が見えられています」
ウンカイ支持を決めているが、挨拶を欠かすわけにはいかない。敵は好んで増やさなくても勝手に増えていくもの。無用に増やしていけない。
アモンはウンカイとは対照的な青年だった。ユウトより一歳若く、身なりもこざっぱりしている。体格はほっそりとした細身である。剃髪しているが、髭は剃っていない。
威厳はない。ウンカイと違ってギラギラした感じもない。だが、神々しさがあった。武僧と呼ぶよりカリスマ青年僧といった感じだ。
アモンは挨拶も早々に本題を斬り出した。
「今の世は乱れている。私はこの世の乱れを正し天哲教を本来の姿に戻したい。それには是非とも人徳派に協力してもらいたい」
気になったので、率直に尋ねた。
「ウンカイ様ではダメなのですか?」
アモンは悲し気に首を横に振った。
「ウンカイ殿は信徒を導けない。あの方は権勢に憑りつかれている。天哲教は金儲けの道具ではない」
人徳派を使い金儲けをしているユウトには耳の痛い言葉である。天哲教の開祖はアモンのように理想を世に広めるための聖人だったかもしれない。だが、天哲教は大きくなりすぎた。多くの人の救いになるには政治の後押しが必要であり、金もいる。
「そうでしょうか? 助け合うにもお金があったほうができることが多い」
悲し気な顔でアモンは首を横に振る。
「人を救うのは教えです。金銭ではない。たとえ、貧しくとも人の道を進めばこそ安寧があるのです。天哲教は原点に戻ってやり直すべきです」
アモンは現状に不満があり宗教改革をしたいのか。だが、アモンのやり方では全ての僧や信徒は付いてはこない。教団も大きくならない。だが、付いてくる信徒には安寧がある。
アモンには賛同できない。だが、純粋なアモンをないがしろにすると宗教戦争になる可能性もある。そうなれば、人徳派も弱体化するので他人事ではない。ここはどうにか、アモンを宥めつつウンカイを立てねばならんのか。きっと、前大僧正のナム老師も苦労したのだろうな。
2023.2.21 ストックがなくなりました。しばらく本作品は休載します。