第百十二話 マーメイド・マミー 対 アサシン
マリクを追い払った翌日のことだった。気分転換にお昼を摂るために外に出た。庭先でセンベイが商人と話していた。商品なのか人が入れそうな大きな桶を商人は背負っている。センベイは断ろうとして困っていた。物売りの類は頻繁に館に来る。
以前はママルが断っていた。だが、三僧正会談の準備で忙しいのか、センベイの仕事になっていた。商人はしつこくどうにか売ろうとしている。センベイも断っているが強い態度が取れないのか、商人は帰らない。
商人がユウトに気付くと、縋るようにユウトに声を掛けてきた。
「旦那様、どうか私を助けると思って商品を買ってください」
桶に入っているので、酒か味噌、いいとこ漬物の類かと思った。
「食料品や酒は決まった商人から買うのでいりません」
きっぱりと断ったが、商人が食い下がる。
「商品は食料品ではありません。人魚のミイラです。薬としてお使いできます」
薬売りはたまに売りに来るが、人魚のミイラを売りにきた男は初めてだ。人形のミイラなんて胡散臭いので偽物かもしれない。だが、興味があるといえば興味がある。
ユウトが逡巡すると、商人は値段を伝えてきた。
「金貨十枚でどうでしょう。ミイラは延命効果がある強壮剤として強い作用があります。とくに、人魚のミイラは価値が高く滅多に手に入りません」
ミイラが本当に薬の材料になるかどうかは怪しい。また、金貨十枚の値段も高すぎる気がする。おおかた、猿と魚を繋いで乾燥させた偽物だろう。
話のネタには面白いが、この手の冗談に付き合うのに金貨十枚は馬鹿げている。センベイがユウトの袖をそっと引く。商人から離れた場所に移動すると、センベイが耳打ちする。
「僧正様、買ってはいけませんよ。ほぼ偽物です。本物の人魚のミイラが金貨十枚で買えるわけがありません。もし、本物だとしたら出所が怪しい品に違いありません」
なんと、本物なら金貨十枚は安いのか。いや、待てよ。偽物ならいい。だが、盗品ならまずい。ここで商人が他に持って行って盗品が市場に出たら問題だ。真贋だけは確認しておいたほうがよいか。
「品物を見せてください。本物なら購入を検討しましょう」
桶を開けて中を見ると、中には絹に包まれた人魚のミイラがあった。ミイラは子供なのか頭から尾っぽまでで百二十㎝しかない。素人目には見た限り本物の気がする。
ミイラの鑑定を誰に頼むか迷ったが、薬の事なら治療術士パメラが詳しいので、小間使いを派遣した。念のために、兵士詰所にミイラの盗難届が出ていないかの確認にも人を送った。
ユウトが食事から帰ってくると、パメラが来ていた。パメラは既に鑑定を終えていた。
館の中で二人で内緒の話をした。
「庄屋様、人魚のミイラはおそらく本物です。保存状態がいいので、あのサイズだと金貨五十枚はするでしょう。大都市の競りで買えば金貨百枚はいくかもしれません」
本物なのか? ならなんであんなに安いんだろう? 商人が偽物だと思って偶然、本物を手にしたのだろうか?
パメラの表情が曇る。
「先ほど鑑定しましたが何やら不吉な物を感じます。寺院で供養したほうがよいかもしれません」
呪われた品で祟りがあるなら考えものだ。人魚のミイラが市中に流れると騒ぎを起こす。盗品なら没収したい。
兵士の詰所に送った小間使いが帰って来る。
「庄屋様、人魚のミイラの盗難届は出ていません」
高価な品なので盗まれたら届けが出るはず。変わった品なので売れば足が付きやすい。すると、商人は気付かずに危険な物を売りつけられた可能性が捨てきれない。仕方ない、こちらで回収して処分しよう。
ユウトは人魚のミイラを金貨十枚で買う。気持ちが悪いので、館や倉庫に入れないで庭の隅に置いておく。雨は降りそうにないので、濡れる心配はなかった。ママルが帰ってきしだい寺に運んで供養するつもりだった。
金を払った後、執務室で仕事をする。ミイラのことなど忘れて仕事をしていると、いつの間にか外が暗くなりかけていた。開け放たれた窓から入る光が弱い。魔法で灯を点けたところで、館内がとても静かな事態に気が付く。嫌なものを感じたので人を呼ぶ。
普段ならママルか使用人がすぐに来る。使用人がいないなら武僧が来る。だが、その日に限っては誰も来ないどころか、返事もない。危険を感じたので壁に掛けていた剣を取る。
剣はインテリアとして置いてあるが、立派な魔法の武器である。キーワードを唱えないと抜けないが、抜けば切れ味は抜群である。
剣を抜き、ママルを呼ぶが誰もこない。嫌な汗が背中を流れる。何かが廊下を進んでくる音がする。地面を這いずる音がするので人間ではない。ユウトは剣を構えた。普段の鍛錬が試されるが、心細かった。
扉を静かに開くと、人の頭が現れた。顔は見覚えがある。人魚のミイラの顔だ。ただ、顔は牡ライオンのように大きく変化しており、続いて現れた体も大きい。体はずんぐりと膨らんでいた、三百㎏はありそうだった。全長も二・五mはあった。
大きな獣を相手に剣一本では不安だが、一人でやるしかなかった。ミイラは虚ろな目でユウトを見据える。ミイラの目が光った。
途端にユウトは呼吸が苦しくなった。まるで、部屋の酸素が瞬時に消えたかのようだった。剣を構えるがふらつく。とてもではないが戦える状態ではない。
ミイラがなにか呟いている。何を言っているかはよく聞こえない。だが、段々と苦しくなった。ミイラはユウトが動けなくなるのを待っていた。
このままではやられる。ユウトから仕掛けようとした時、窓から一本の矢が飛んできて、人魚の額を打ち抜いた。ミイラが絶叫した。
ユウトは気を失った。目が覚めるとユウトは椅子に座っていた。窓の外を見るとまだ明るい。壁を見れば剣が壁に掛かったままだ。いつのまにか、眠っていて、夢を見ていたようだった。
嫌な夢だと思った。外が騒がしかった。何事かと思い外に出る。武僧たちが手に鉄の棍を持ち警戒にあたっていた。武僧がユウトに警告する。
「僧正様、館の中から出てはいけません。館に矢が撃ち込まれました」
視線を庭に走らせる。庭にある桶が壊れていた。桶に矢が撃ち込まれたと見ていい。ユウトは誰かがミイラの祟りから助けてくれたと思ったが、万一の暗殺の可能性もあるので館内に戻った。
夕方にママルが戻って来た。ママルがユウトの部屋にきて頭を下げる。
「私がいなかったといえ、狼藉を許すとは申し訳ありません。犯人はもっか捜索中ですが見つかる可能性は低いかと思います」
「人魚のミイラはどうでした、無事でしたか?」
「桶は破損しましたが、僧正様が購入された人魚のミイラは無事でした。人魚のミイラはお言いつけ通りに、寺に運びました。後日、時間ができた時に供養いたします」
人魚のミイラが無事と聞き不安だった。
「パメラさんから人魚のミイラから不吉な気がすると報告がありましたがどうですか」
「いえ、そんなものはありません。ですが、ミイラといえど命があったもの。供養してやるのが正しいと私も考えます」
人魚のミイラから不吉な気が消えたのか。矢は人魚のミイラの怨念だけを射抜いた。常人にできる技ではないがいったい誰が。疑問は尽きなかったが、夜が深けたので眠る。
よく眠れず、朝早くに目が覚めた。散歩に出掛けようとすると、庭を掃除するセンベイと話すカトウが見えた。センベイはカトウに頭を下げていた。
カトウがユウトに気が付くと、挨拶する。
「庄屋殿、いい朝ですね。ところで庄屋様、人魚のミイラを手に入れたとか、良ければ私に少しでいいので分けてくださると嬉しい」
センベイがユウトに頭を下げて頼んだ。
「カトウさんの奥方の調子がよくないようで、特殊な薬が必要なのです」
合点がいった。ミイラを狙撃して祟りを祓った人間はカトウだ。伝説の暗殺者であれば、あらゆる暗殺法の防ぎ方を知っていても不思議ではない。
ただ、カトウとしてもタダで助けたわけではない。体力が弱った奥さんに良い薬を与えたかった。なので、センベイから話を聞き、恩を売りに来た。今回はたまた利害が一致しただけ。
「ミイラは供養する予定ですが、必要な分はお譲りしましょう」
カトウは頭を下げた。ユウトも頭を下げた。