第百九話 蟲を使い国を弱らせる策
夏になり、段々と暑くなってきた。衣替えの季節かなと思っていると、レルフがやってくる。応接室に通し対応する。レルフの表情は芳しくない。
「庄屋殿、今日は陳情にきた。米の価格が上がっている。軍は食事を米からパンに替えて食糧費の支出を抑えたが、これが大不評だ」
理解できる話だ。マオ帝国の発祥の地は南方。南方の主食は米で、軍には米派が多い。
レルフの話は続く。
「カレー粉を中心とする香辛料も高くなったことで、西方出身の兵から恨みの声が出ている。マリクという若造がしきりにカレー粉を寄越せと騒いで困っている」
マリクか、軍内部ではカレー王子とか仇名を付けられていそうだな。西方の軍人を束ねる要となっているのか。またうちに怒鳴り込んできたりするのかな。でも、ないものはないんだけどね。
「それはお困りでしょう」
当たり障りのない返事をしてレルフの出方をみる。レルフが肩を落としてお願いしてきた。
「司令部の後輩からどうにかならないか、と相談されている。手を打ってはいただけないだろうか?」
暗にマナディと和解しろと頼みたいのか。だが、サイメイは渡せないので妥協はない。
「努力はしているんですけどね。需要と供給の問題ですからねえ」
レルフが目を細めて恨めしそうにユウトを見る。そんな目をされても、妥協はできない。レルフにはフブキを引き取った件で貸しがある。今回はお引取り願おう。持ちつ持たれつである。
ユウトが良い返事をしないとレルフは諦めて帰って行った。ここまではおおむね想定の範囲内。マナディからの圧力は現時点では防ぎ切れている。
レルフが帰るとサイメイが待っていた。サイメイの顔も芳しくない。
「庄屋様。問題が起きました。馬が大量に死んでいます」
対策が間に合わなかったか。馬産地は遠いから情報の伝達の遅れの影響が出たか、これは痛い。
「原因はわかりましたか?」
「病気です。獣医の話では鳥類と草食動物に致命的な症状を起こすものです。症状の進行は緩やかですが重症化しやすい。ただ、東の地には流行らない病気だとか」
人為的に流行させたな。後方の物流を混乱させて、山の中へ物資を運べなくする策か。馬は遠くからでも買ってこられるのですぐに効果は出ないが、放置すればじわじわと効いてくる。馬の病気は極東の国の謀略で山の民を支援する動きだ。
「これ以上の被害を出さないための予防と治療は可能ですか? 対策をお願いします」
「対策は立てました。ただ、気になる動きがあります。馬産地では死んだ馬の肉を街に運び込んで売っています」
馬産地は林業と馬産業しかない貧しい村。少しでも収入を得ようと死んだ馬の肉を安く売ったか。病気が鳥類と草食動物にしか効かないのなら人は死にはしない、だが、子供に影響とか出ないだろうか。
「街から補償金を出すので、死んだ馬の肉の流通は止めてください。わけのわからないものを人の口に入れるわけにはいかない」
「助成金が出るのなら、死んだ馬の肉の流通を止められます。ただ、もうかなりの馬肉が市中に流れています」
よく食べられる鶏肉の値段が上がり、街では肉の需要を満たせていない。そこに、格安の馬肉が流れてくれば、『怪しいな』と疑っても儲かるので飛びつく業者はいる。悪徳業者が中間に入れば、消費者は病気で死んだ肉かどうかわからない。
「待てよ、死んだ馬の肉の腐敗の臭みはどうやって消したのです?」
「香辛料です。誰かが死んだ馬の肉に香辛料を多く使い誤魔化しています。ソーセージにすれば腐りかけた内臓の肉も使えますからね」
香辛料を買い占めていた主体は極東の国の諜報部か。極東の国の諜報機関が資金稼ぎにするために画策したとは思えない。もちろん、副次的には資金が入るが、この事件はまだ発展する。事件は次の段階に入っている。
「家畜の肉の衛生基準を引き上げてください。死んだ家畜の肉の流通を入口と出口で止めましょう」
「法の施行はできても、取り締まる検査体制の構築には時間がかかります。こちらの体制が整った時には死んだ家畜の肉はもう人々の胃袋の中です」
目が届かない後方をターゲットにされたために後手に回ったか。健康不安から住民を脅かして社会不安を扇動する気だろうか? 善政に苦心してきたので、すぐにパニックにはなるとは思えないが、積み重ねればいずれは恐慌を起こす。
「やってくれたな、極東の国め、どうしてくれよう」
「御婆様から聞いた記憶があります、世の中に蟲を使い病気を広め、国を弱らせる策が存在すると」
原始的な生物兵器の運用か。病原菌は変異する。衛生状態の改善が進まない状況では、拡がる病気によっては大打撃を被る。有機肥料工場を見たが、蝿がかなりいた。これから暑くなるので蝿は活発に卵を産み増える。病原菌の変異によっては被害が大きい。
こういう時は知恵者に頼ろう。ハルヒを呼んで質問する。
「街に蟲に詳しいお年寄りはいないだろうか?」
「サイモンさんでしょうか。隠居した貴族で、趣味で蟲の研究をしていたと話していました。蟲の生態の研究で論文を書いて賞をもらったと自慢していました」
入居者の拡大を図っていてよかった。貴族で蟲の研究家とは変わり者だが、こういう時には役に立つ。
サイメイと一緒にサイモンの家を訪ねた。サイモンは麦わら帽子を被り庭でスケッチをしていた。声を掛けてもすぐに反応はしない。やむなくそっと後ろから見る。サイモンは庭に巣を張った蜘蛛を熱心に観察して記録していた。
サイモンの集中が切れるのを待つ。お手伝いさんがお茶をだしてくれたので、飲む。飲み終わる頃にやっとサイモンが立ち上がった。
ユウトを見かけたサイモンが興味を示す。
「お客さんとは珍しい。どんな用件ですかな?」
「庄屋のユウトです。実は街が蝿で困っているのです。それで、街で一番昆虫にお詳しいサイモンさんの知恵をお借りしたい」
褒められてサイモンは気を良くした。
「最近は蝿が多くなってきたとは私も危惧していました。こんな隠居した爺の知恵でよければお貸しましょう」
「蝿をすぐに減らしたいのですが、どうしたら良いでしょうか?」
「殺虫剤を導入するか、小鳥を放すかすれば良いでしょう。ただ、殺虫剤はお金がかかります。小鳥は鳥の病気が流行って死んだのと、人間に食べられたので増やすには時間がかかります」
小鳥は論外だ。急いで導入しても人間に捕まって焼き鳥にされたら意味がない。また、数が集まるのにどれくらい時間がかかるのかも疑問だ。急ぐなら殺虫剤だが、大量に散布すると人体に影響が出そうだ。また、材料が揃うかが問題だ。
「他に手はありませんか?」
「美しくない方法ならありますよ」
美しいとか醜いとかはどうでもよい。街を守るのが大事だ。
「なんですか?」
「蝙蝠です。この辺りの蝙蝠の餌は昆虫です。なかでも蝿や蚊を好んで捕食します。ただ、蝙蝠は去年辺りから街に姿を見せなくなった。この蝙蝠の群れを呼び戻せるなら蝿は激減するでしょう」
街に流行ったのは鳥類と草食動物に感染する病気。雑食性哺乳類の蝙蝠に影響していない可能性はある。蝙蝠が街に手っ取り早く呼べる奴がいる、ハーメルだ。
蝙蝠を操るハーメルを一時的に街側に引き込めれば極東の国の策は潰せる。だが、ハーメルに頼みごとをするのは危険な策だ。どうする? 危険な奴と組むか?