序章׳ב:邂逅
――息が、安定しない。
あれから逃げ回り、約20分経過。どうやらやっとあの笑い声から逃げ切ったらしい。微量に聞こえていた足跡も今や完全に聞こえなくなっていた。
いつの間にか場所は洞窟の中。完全に、迷子である。
それにしては、あの笑い声の正体は何だったのだろうか……。
ちょっと気になったが、そんなことはどうでもいい。自分にそう言い聞かせる。今更それを詮索しても、何も得られない。もし掴めたとしてもそれが自分に害を与えるかもしれない。そう思ったからだ。
「あら、こんにちは」
その時、ふと俺はそのような声を後ろから聞いたような気がした。
恐る恐る振り返ると――
そこには、誰もいない。
まあそうだ。先程まであそこまで周りの気配を警戒していた俺が、気付かぬはずがない。いくら自分の荒い息が煩くても、それ位はできるはずだ。
「ハハハ……」
気のない笑い声が漏れてしまう。
その恐怖心を和らげるために。
しかしふと振り返りまた進行方向を見た瞬間、俺は更なる耐え難い恐怖を覚えることになった。
後ろに気を取られていたからだろうか、俺は気付かなかった……そこにいたのは大きな鱗、赤色の体、二つの羽を生やした、ドラゴンだったのだ。
「え……えっと……」
思わず絶句してしまう。
特徴からして、俗に言うファイアドラゴンだろう。ゲームとかなんとかに出てくる……。
でも……え? 嘘だろ??
ガオオ!
残念、本当だと言わんばかりの存在感。奴は明らかに、俺を見ていた。
いやていうかなぜ気がつかなかった!? 俺。こんな大きな龍、いくらなんでも動くだけで音立てるだろ!
そう言ってももう遅い。
「そ、そうだ! こういう異世界転移には特典があるんじゃねえか!? 強大な魔法とかなんとか」
必死に大きく手をかざす。何も起きない。
……詠唱が必要か!
「フレイム! ファイア! えっと……あとはプラーニャ!!」
申し訳程度のロシア語で唱えても、何も起きない。
……えっと、あれか! 命令系か!!
「消えてなくなれ! ドラゴンよ!!」
……何も起きない。
オワッタ。そう思った。
ドラゴンは大きく咆吼する。そしてその爪が、俺の体に襲いかかった。
その刹那――。
「大丈夫ですか!?」
緑髪の少女が、ドラゴンを一閃していた。
ドラゴンの体は倒れてゆく。
助かった……。
その安心のためか、それと共に俺の意識も薄れていった。
あ……俺やっぱり主人公補正あるんじゃ……?
そう意味分からないことを思いながら――
俺は、倒れた。
ー ー ー ー ー ー ー
見知らぬ天井、見知らぬ光、見知らぬ布団、見知らぬ間取りと見知らぬ四拍子……。
――ではなく見知らぬボールが飛んでくると見知らぬ五拍子だ。
っていうか……。
「痛っ!」
思わず頭を抑える。
寝起きだからだろうか。大したことが無いはずなのにより痛く感じる。
――そんなことはどうでもいいか。
それにしては洋風建築の内装に敷布団……とてつもなく似合わない組み合わせ。そしてその敷布団に寝転がっていた自分を見ていると、何だか笑える。
しかしこれが普通なのだろう。ボールを取りに来た少年も俺を見て、違和感なさそうにお辞儀だけして、あちらへ急いで行った。
あくびが、出る。
俺は大きく息を吸い、脳に酸素を送った。
「あ、起きたんですか?」
声がした。
どうやらその小さなあくびの音が聞こえたらしい。
引き戸が開き、外から緑髪の美少女が入ってくる。恐らく彼女がその声の主であろう。
髪は三つ編み。服装は如何にも冒険者という感じで緑と茶の縞模様の鎧を着けているが、どうやらその下に普段着を重ね着しているように見える。そして腰部から先にはスカートを着用。それはもう美しく整っている茶色のスカートである、いや? 袴か??
年齢は……十六歳、というところであろうか。
まあそんな彼女は丁寧に俺の枕元に座り、優しく話しかけてきた。
「大丈夫ですか? 結構うなされていたみたいですけど」
うなされていた……?
何か悪夢でも、みていたのだろうか。
――当然ながら記憶はない。
「……俺、何時間くらい寝ていたんですかね?」
ふとした疑問を訊いてみる。
その途中で時間という単位があるのか疑問に思ったが、よくみると部屋の壁に時計がある。これは時間という単位があるという印だろう。
「大体、3時間くらいですかね?」
3時間……それがもし俺の世界と同じ単位なら、つまり俺の時計と同じ進みなら、おかしい気がする。
最初に起きた時に確認した時間は7時30分。それから3時間経過、プラスで謎の声に追われていた時間を20分とすると、今の時刻は10時50分くらいのはずだ。しかし指しているのは――11時30分。
辺りを見回す。
俺が気絶した時に持っていたものは、枕元にあった。
そして取り出した時計は……11時30分。
時計は狂ってない。
――ならなぜ、40分もの誤差があるのだろう。
……。
…………。
考えてみても分からない。不確定な情報が多すぎる。
まあそんなことどうでもよかった。次の瞬間、それに気付かされる。
そう、それよりも大きな更なる「謎」が、外から飛び込んできたのである。
「おっはよーちゃーーーん!!」
桃色。と言っても良い程の色をした髪のツインテール。黒みがかった緑の眼。そして左頭部には花の髪飾りを付け、服装はベージュの防寒着みたいな姿の幼女……とまでではないが明らかに俺、そして緑色の彼女より三つから四つ位年下の彼女いややっぱり幼女。彼女がその「謎」だった。
何が謎か。それは誰が見たって分かるだろう。
扉を突き破るようなとてつもないスピードで、いやもし扉が閉まっていたら実際突き破っていたかもしれない。とにかくそれ位のスピードで現われ、抱きつかれたのである。
「あの……何で抱きしめてるんですか?」
俺が問いかけると緑髪が答える。
「彼女、初めて会った人には必ず抱きつくという癖があるんですよ」
どんな癖だよ!?
いや思わず口に出しそうな勢いだったが、それを何かが堪えさせた。いやえ……べ、別にロリコンじゃねえし! 抱きつかれてるのが心地良いとか、そんなことねえから!!
正直言おう。とても心地良い。
しかし言わせて欲しい。それは誰だって同じではないかと。
男子たるもの、女子に抱きつかれて心地良く思わないことはないのだ。そうだろう? ……そうだよね??
そう心の中で他の俺に弁護している間に、彼女は飽きたのか、抱きつくのをやめ、俺の方を見て自己紹介をした。
「私ちゃんの名前はアニーちゃん、風のあの魔法ちゃんが得意で、そして、私ちゃんが最強! あとは……色々凄いよ!」
語彙力という奴がないのだな可哀想に。
まあ一人称が「私ちゃん」、その他半分くらいの名詞にちゃん付けをするなどと、変わった喋り方っぽい……それ位は分かった。というか「風のあの魔法」??
この世界には、魔法があるのか?
もう先程の不思議な景色を見た俺は、既にこの世界が別世界であることを直感していた。そして、魔法という単語を聞いた途端、それは事実へ書き換わる。
魔法について訊くべきだろうか――緑髪の少女を見ながら悩んでいると、彼女も自己紹介を要求されたと思ったのか、自己紹介を始めた。
「私はミシュリーヌです。一応グループのリーダーで、炎魔法を得意とする剣士、グループ内では前線に出て戦ってます。ついでに、アニーは風魔法を得意としていてグループ内の回復係を務めています。実際、貴方の命を取り留めたのも彼女です」
だが、ドラゴンの一撃から助けてくれたのは君だ。
実際この二人に助けられたのだなと思うと、どこか信頼を寄せてしまう。
まだ足りないはずなのに……俺はどうも彼女らが味方であるようにしか感じられなくなっていたのだ。
なぜだろう、それは分からない。
しかし俺は、その直感を信じてみることにした。
「えっと……取り敢えず何か食べます? 何か今日、作り過ぎちゃって」
ミシュリーヌはそれから、微笑みかけてきた。
俺は落ち着いたまま、遠慮せずに一言放った。
お願いします。