05 死神と散歩する
スキってなんだ。
隙? え? 隙だらけってこと?
頭をぐるぐるさせていると、シュウさんは両手を肩に置き、私と正面から向き合う。
「由衣、どうした」
「いえ、なんか、空耳が……」
「耳がおかしいのか?」
訝しげな顔になると、肩に置いた手で髪をさらい、耳に触れる。
指が、耳の形をなぞるように降りていくので、背中がぞわぞわする。
くすぐったいのとはまたちがう感覚。
なにこれ。
「顔が赤いな。熱があるのか?」
そう呟いて、今度は前髪をさらって、手を当てる。
額すべてを覆うぐらいに大きな手のひら。
こちらを覗きこむ瞳に、私の呆けた顔が映っている。
「由衣?」
「……どうして、ですか」
「なんの話だ」
「だって、なんで、好きとか、意味わかんないし」
「なにを悩む必要がある」
「あるでしょう!」
「俺が嫌いなのか」
「嫌いではないですけど」
「じゃあ、問題ないな」
極論すぎない!?
シュウさんの爽やかな笑顔を見ながら、私は混乱する。
それとも、アレなの? お付き合いとか告白とか、こんなお手軽なものなの?
劇的ロマンチックにドラマチックな展開は、少女漫画の実写映画にしかないのかもしれないけど、それでもやっぱりおかしくないかな?
†
突然の告白から三日経ちましたが、これといった変化はございません。
私のドキマギを返してほしいところです。
さて、本日はお出かけデー。
やっと外に出られる。
長かった、と思う。
実際問題、いつから引きこもってるんだろう?
たぶん、足をくじいて、階段の上り下りが面倒で、食料もあるから数日は籠城してても平気かなーみたいなかんじで自宅警備員をやっていたら、シュウさんがやってきたんだったと思うんだよね。
鍵もチェーンもすっ飛ばして侵入してくれちゃいましたからね。警備員失格だね、私。
「……なんか、靴履くのもひさしぶりな気がする」
「痛いのなら無理はするな」
「平気ですよ。キツイ靴じゃないし」
靴ひものない、サイドゴア仕様。ヒールのないベタ靴だし、ワイズも広いから楽チンで、近所まわりを歩くときはいつもこれを使ってる。
座って靴を履き、肩を借りて立ち上がる。そのまま腕を取られ、シュウさんにもたれかかるような形で玄関を出た。
四階の廊下は静まっていた。
時刻は午後九時。各ご家庭の夕食も終わり、外出する人もいないであろう時間帯。
どうしてこの時刻かといえば、シュウさんと歩いている姿をご近所さんに目撃されるのを防ぐためだ。
叔父さんがいない間に男を引きこんでるとか、知られるといろいろまずいわけですよ、年頃の乙女としては。
いや、私は引きこんではないよ? 勝手に居ついているってだけで。
私が叔父さん宅に身を寄せているのは、お父さんの転勤にお母さんが付いていったから。そのとき、私は高校三年生になろうかというころで、進学先を考えると、引っ越すのは得策じゃないってことになったわけ。
運よくお母さんの弟が市内に住んでいて、私自身も小さいころからよく知ってたこともあって、満場一致で決定。叔父さんとしても、私の食費を含めて一定のお金が入るし、悪い話じゃなかったみたい。
彼女の有無は知らないんだけど、どうなんだろう。
顔は普通だし、とくにデブってるわけでもないし、特別モテそうでもないけど、敬遠されるほどでもないと思うんだけど、これは身びいきかな。
私が卒業して、就職して、あの家を出ることになれば、大手を振って彼女を招けるのではないかと思う。
肩を抱かれたまま、廊下をひょこひょこ歩く。がっちり抱えられているおかげで、足が痛いという感覚がどこかへ飛んでいる。
私の頭を占めているのは、シュウさんの身体が結構ガッチリしてるなーとか、死神にも体温ってあるんだなーとか、時々動く指が布越しに腕を撫でて居たたまれないとか、息遣いが聞こえるとか、なんかいい匂いがするとか。そんな変態チックなことであり、中西由衣・二十一歳は痴女になりかけているわけであります。
エレベーターは無人で、誰に見とがめられることもなく、私達は一階まで降りる。
「どこか、行きたい場所はあるのか?」
「とくにないです。必要な物は、全部シュウさんが買ってきてくれてるし」
「当然だ。由衣のためだからな」
「…………」
さらりと言ってのける。この言葉に私がどれだけ翻弄されているか、わかってるんだろうか、この死神は。
久方ぶりにマンションの外へと足を踏み出した。
街灯の白い光が等間隔に並ぶ道を、シュウさんと寄り添いながらそぞろ歩く。
「……歩きにくくないですか?」
「いや。どうしてだ?」
「だって、こんなにくっついてたら――」
どんなバカップルかと思われそうで、とは決して言えず、私は曖昧ににごす。
シュウさんはくすりと笑い、抱き寄せる手に力を入れた。
「そうとはかぎらない。由衣が酔いつぶれているように見えるかもしれんぞ」
「ぇえー。それはそれで、ちょっとヤかも」
「なら、片時も離れていたくない恋人同士でいいじゃないか」
「――っ」
ドクンと大きく心臓が跳ねる音が、脳内で響く。
「夜はまだすこし冷えるな。由衣、寒くないか?」
「……へいき、です」
「そうだな。それだけ赤ければ、寒さも感じないだろう」
暗がりの中、私の顔色すらちゃんと見えているのは、やっぱり彼が「死神」だからなのだろうか。
なにもかもを見透かされている気がして、穴があったら入りたいってもんだ。
前方から、街灯とは別の光が生まれた。
腰辺りの低い位置にある、ふたつの光。
車のヘッドライトだと気づいた瞬間、身体が強張った。
「由衣、どうした?」
「なんでも――」
「ないわけないだろう。なにがあった?」
そう言われても、本当になにもない。強いていえば、車のライトに驚いたってところぐらい。
小学校のころ、お父さんの運転する車に乗っていたとき、衝突事故にあったことがある。
後方にガツっと当たったぐらいで、怪我とかはまったくなかったんだけど、以来、暗闇で急にライトが点く状況がちょっと苦手になってしまった。
夜道を歩くときは、ある程度の心構えができてるんだけど、今日はシュウさんに気を取られてて、不意をつかれた形。
「ってことで、ちょっと驚いちゃっただけです。すみません」
「――なにか、思い出したりしたのか?」
「ないない。家族間でも、事故ったことあったねー、ぐらいのノリですよ」
「そうか……」
「散歩のつづき、行きましょうよ」
「……わかった」
それでいて、ちょっと納得がいってなさそうな声色で、今度は手を取って歩き出す。密着からは逃れられたけど、これはこれでなんだか恥ずかしいのは、どうしてだろう。
シュウさんの手が大きいとか、あったかいとか、ぎゅっと握られてドキドキするとか。
ああもう、心臓に悪い。シュウさんと暮らすようになって、確実に寿命が縮んでいる気がする。
ほら、人間が一生の間に打つ鼓動回数は決まってるっていうじゃない。ほんとか嘘か知らないけど。
マンションの周囲は昔からの住宅街と、新しい住宅地が混在している。畑をつぶして宅地開発が進んでいるせいだ。
もうすこし先へ行ったところに幹線道路が通っていて、それを渡った先に小学校がある。大きめのスーパーなんかもそっちにあって、この辺に住んでいる人としては、道路のこっちがわにもお店が欲しいね、なんて話をしている。
まあ、車を持っている人が多いから、そういった悩みはお年寄りとか、私のように免許を持っていない層の悩みといえなくもないけど。
「そういえば、シュウさんはどこで買い物してるんですか?」
いつも両手にたくさんの荷を抱えて帰ってくるけど、どうしてるんだろう。
シュウさんは当然、車なんて持ってないだろうし、あれを持って長距離を歩くって、男の人でも重労働じゃない?
「いろいろだな。仕事先で目についた店だったり、待機時間を兼ねて買い物したり」
「え、それって、買った物を持ってお仕事されてるんですか?」
自分を迎えにきた死神が、片手に食料品がつまったエコバッグを持っていたり、トイレットペーパーを持っている姿を想像すると、かなりシュールだ。
っていうか、ヤだよ、そんな生活感にあふれたお出迎え。
「仕事に私情は持ちこまない。公私はわけるさ」
シュウさんが右手――私の手と繋がれていないほうの手をあげて、水平に動かす。
まるで手のひらで空間を裂くような動きをすると、夜の暗さとはまったく違う色合いの暗闇が出現した。
「死神それぞれに与えられている専用のスペースに荷物は置いて、仕事に向かう。まあ、コインロッカーのようなものだ。亜空間は時空から切り離されているから、肉や魚といった冷蔵品も問題ない」
安心しろ、と穏やかに微笑む顔は超絶かっこいいんだけど、あの、すみません、言ってることと顔が一致してません。
苦笑いを浮かべる私に、シュウさんはさらに説明を加える。
それによると、この亜空間は魂が通る道でもあるらしい。亡くなった人は死神に手を引かれて、この空間の裂け目に入る。そして、黄泉の狭間へと向かうのだ。
つまり、この裂け目に入った時点で現世から消える。
だったら、浮遊霊とか地縛霊とか、そういうのはどうして生まれるんだろう?
「時折、現世との縁が強すぎて、その場から離れられない魂がある。痴情のもつれだとか、そういった怨嗟の強いものは執着が強いな」
「そういうのって、どうするんですか?」
「説得、だな」
「説得ですか」
「こんな事例がある。男の浮気に対してあてつけに狂言自殺をはかり、本当に命を落とした女がいたとする」
いきなり生々しい例題が出てきたよ。
「女の怨嗟は、男ではなく、相手の女に向かうほうが多い。自分は死んだのに、おまえだけがしあわせになるのは許せない、という心理だ」
「はあ……」
「この場合、怨念を抱く女に対する説得方法は、ひたすら女に寄り添い、もっと他にいい男がいるのだと説くことだ」
「はあ……」
「ようするに、死んだ自分が惨めであるがゆえの逆恨みなのだから、想い人の男よりも、もっと格上の男が自分に親身になっているという状況に酔わせればいい」
だから死神の顔面レベルが高いということですか、そうですか。
業務マニュアルのひとつだと語ったシュウさんの涼しい顔を見ながら、私は思う。以前、「ホストみたい」だと感じたことは、あながち間違いじゃなかったらしい、と。
「言っておくが、俺はいままでやったことないぞ。そういったことが得意な奴に、仕事は割り振られることが多いし、危険度が伴う事案だから、グレードの高い死神の仕事だ。俺はまだ、そのグレードに任用されていない」
死神の担当種族は多岐に渡る。人間相手だけではなく、相手が動物の場合もある。シュウさんが猫の姿をとるのもその一環で、死神のなかには鳥の姿に変じる人もいるんだとか。
「他にはどんな事例があるんですか?」
「――そうだな。説得対応をとる事例としては、自分が死んだことを認めたくない、あるいは気づいていない、とかだろうか」
すこし言いづらそうに、形のよい眉をさげて、シュウさんが呟いた。
ああ、それは――。
ぎゅうっと胸が締め付けられたような感覚に陥る。
病気や事故、災害。
じわりじわりと蝕まれる命、あるいは唐突に奪われる命。
当たり前にあるのだと思っていた日々が消えてしまうことが、世の中にはある。
死神は、どんな命も等しく扱い、回収しているのだ。
いつも穏やかで優しいシュウさんの胸の内を思い、私は彼の手を握りしめる。
握りかえされる強さと温かさは、まるで同じ人間そのもので。
私は初めて、シュウというヒトに触れた気がした。