8
数分後、私達は叔父の家を通り越し、下流の一級河川へと続く砂利道を歩いていた。
健児は私より年上の高校一年生だった。東京から来たらしい。
私と彼の手の中にはそれぞれ文庫本がある。鞄の中に幾つか入れていたものの中から彼に貸したのは、古いフランスの小説だった。
「SFは好きなの?」
「別に……」
「そうだろうね」
彼は髪を掻き上げて後頭部を掻いた。
「裏表紙に『100円セール』ってシールが貼ってあったから。名前を書く前に値札とかは剥がした方がいい」
「そうかも」
「……あくまでも個人的意見だけど」
彼は一人で頷くと、
「その本は一度読んだことがあるんだ」
少し口調を明るくした。
「だから懐かしくてね、つい手に取ったんだ。……まあ、そんなわけだ」
「気にしてない」
「……それはどうも」
彼は頭を掻きながら黙ってしまった。私の無感情な対応にどうしていいかわからなくなったらしい。
しかし、私も同年代の男性と一対一で話をするのは初めてのことだった。何を話せばいいのか見当もつかないし、いつものように観察するには距離が近すぎる。
「その本の中にさ……妙な宗教のことが出てくるだろう?」
どうにかして彼と別れて小屋に帰れないだろうかと考えていた私は、不意に話しかけられたので驚いて振り向いた。
「ほら、一人のおじいさんが何もない丘の道を歩いて行く」
「……ああ、あれね」
本の内容を思い出しながら相槌を打つ。
「それを登場人物達はモニタを通じて同体験するわけだけど……」
「それがどうかしたの?」
訊ねると、彼は川へと続く砂利道を指差した。
「ここはあの道みたいだね。そうは思わない?」
彼の指差した先には何の変哲もない砂利道が続いていた。道は緩やかな登り坂で、川沿いの車道へと続いている。
「……何処が?」
「ほら、太陽が丁度道の向こうに輝いているからさ、道全体が光っているように見えるじゃないか。この道の向こうに何かの真理があるかもしれないよ?」
「車道と川があるだけよ」
「味気ないこと言うなあ」
彼は再び苦笑した。
数分後、私達は坂道を越えて車道に出た。そこには真理などなく、ただ、いつものように川が流れていた。車道脇にはガードレールの代わりに並木が植えられ、あまり手入れされていない幅広の土手へと続いている。私が車道を越えて土手に降りると、健児も後をついてきた。
バス停から少し離れた並木の近くに雑木の茂みがあり、内側にちょっとした空間がある。川岸の遊歩道は側の鉄橋によって打ち切られ、車道からも見えないこの場所を、私は気に入っていた。
「うん。確かにここは涼しくていいね」
健児は草の上に座り、頭上の木を見上げた。植えられた広葉樹は厚い葉を何層にも茂らせ、その隙間から木漏れ日が射し込んでいる。周囲を取り巻く雑木の隙間からは太陽の光を反射する川の流れが見えた。
小学生の頃に見つけて以来、天気の良い日にはサウナ状態になる小屋を離れて、私はよくこの場所に来ていた。
勿論、いつも一人で。
「案内したから私は帰るわ」
私は草の上に寝転んだ健児に告げた。
「あんな暑い所にかい? もう少しここにいなよ」
「……帰る」
「ねえ」
「さようなら」
踵を返し、雑木の外に出ようとした私の足を健児がつかんで引き止める。
「待って……頼むからもう少しここにいてくれないか?」
「離して!」
私は彼の手を蹴り飛ばすように振り解いた。
苛立っていた。初対面の男をここに入れるべきではなかったと、自分の判断の甘さに苛立っていた。健児は右手を摩りながら私を見つめていたが、不意に唇の端に小さな笑みを浮かべて謝った。
「……すまない。僕が悪かった。謝るよ」
途端、彼の口元は自嘲的に歪んだ。
今にも泣き出しそうに瞳が揺れる。
「最近、何か不安定でさ……自分でも時々抑えられなくなるんだ。……こんなこと、初対面の君に言うことじゃないね」
彼はもう一度小さく笑った。やはり楽しそうには見えない。
「それってどういう気持ちなの?」
私は制服のスカートの裾を足で挟んで彼の隣に座った。
「……いてくれるの?」
「貴方のことに興味が湧いたわ」
そう、私は答えた。