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レポート  作者: 篠森京夜
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 私はずっと何の関係も持たず、誰にも干渉されない立場でいたかった。

 中学生の頃の私を知る者ならば、その願いは割と容易に叶えられていたように思うだろう。私は誰とも関わろうとせず、周囲の者も私に関わろうとしない。私は常日頃から『良い子』でいたし、当然問題など起こそうはずもないのだからと。

 しかし、実際は当時が最も不安定な時期だった。それまで積み重ねてきた努力と経験の甲斐あって、ようやく辛うじて自分の立ち位置にしがみついていたに過ぎなかった。

 その原因は、小学校高学年時代にまで遡る。

 私の身体が意思に反して成長を始めたのだ。

 私は成長などしたくなかった。派手な化粧をした騒がしい大人の女になどなりたくはなかった。同性だからだろうか? 私には彼女らのあつかましさや無神経さがいちいち癇に触った。彼女らと同じ目で見られるようになるくらいなら、身体を傷つけてでも成長などしたくはなかった。

 しかし、それでも私の成長は止まらなかった。

 私はかなり第二次性徴の現れが早かったように思う。精神的な性への目覚めに至っては、当時の女性としては極めて早いものだったに違いない。


 小学四年生、冬。

 夕食を終えた私は母屋を離れ、一人プレハブ小屋の中で机に向かっていた。

 当時は今よりもずっと四季がはっきりしており、最高気温が零度を下回ることも珍しくなく、流石に夜は母屋に寝かせてもらうことが多かった。しかし翌日提出の課題が残っていた私は、小屋で一夜を明かすことにした。叔母は私の意志を尊重するとかで、わざわざ引き止めようともしなかった。

「やっぱり寒いな……」

 吐息が白く霞み、口に当てた指の隙間から漏れる。

「まだ、残ってるしなあ」

 私は机の上に広げたノートとプリントを見つめた。

 当時の私は調べものが得意な生徒として有名だった。夏休みの自由研究や、国語や社会の研究課題。それらを私は何十時間もの図書館通いで完璧に調べ上げ、綿密な計算の元できちんと規定枚数内にレポートにまとめた。私の作成したレポートは高い評価を得たし、何度かコンクールで賞を取った事もある。しかし、私は別に真面目な意欲でそれらを作成していたわけではない。

 私は単に資料をまとめるのが好きなだけだったように思う。膨大な情報に囲まれ、それらを機械的に処理していると、自分が不完全な生物ではなく、一つの機械になったような錯覚を覚える。それは自分が人間だということを忘れられる瞬間だった。

 しかし、心が機械化していても身体はそうはいかない。

 私は一時的に布団に包まることにした。なかなか暖まらない布団の中で、手足を縮めながら天井の白熱灯を見つめる。

 白色の淡い光を放つ、剥き出しの丸い白熱灯。ベッドに横たわり、それを見上げながら考え事をするのが、当時の私の習慣だった。

「生物は外界からの刺激によって、決められた行動が……誘導されます」

 私は先程まで見ていた資料の内容を思い返した。それらのほとんどは小学生の学習レベルでは調べる必要のないことだったが、私は他の誰よりも詳しく調べることにこだわっていた。

「夜行性の昆虫などは光に向かって飛ぶ習性があります。これを『向光性』と呼びます」

 白熱灯に群がる蛾の姿を想像しながら、私は暗唱し続けた。

「また、水の流れに逆行する習性のものや、地面の下に潜ろうとする習性のものなどがあり……」

 その時、私は奇妙な感覚にとらわれた。

 どう言えばいいのだろう? 下半身がむず痒くなる感じ……何だか熱っぽい、しかし、何かが苦しいとも言えない感覚。

「どうしたんだろう? ……風邪かな?」

 私は無口な子だと思われていたが、自分一人だとよく喋った。思うに、心の中で議論する癖はこの頃から始まったようだ。私はことあるごとに自分一人で話し合っていた。それは声には出さないことが多かったが、この時は自然と声が出た。

 それは自分でも驚くほど子供っぽい声だった。

「変だよね。頭とかは寒いのに……ううん、やっぱり変だ。ボンヤリしてる」

 私は自然と右手を下半身に移動させた。指は腹部を通り過ぎ、更に下へと向かう。

 そして、私の目は淡く輝く白熱灯に向けられていた。


「……あ、白熱灯のところに小さな蜘蛛がいる……」


 瞬間、頭の中で強く白い光が爆発した。

 電流が駆け抜けるような感覚に身を捩じらせ、声にならない吐息が洩れる。

 しばらくの間、その感覚に身を委ねていた私は、不意に身を起こして呟いた。

「……何、今の……?」


 やはり私は早熟だったのだろう。あの中途半端な『性教育』とかいうものが始まる頃には、私は既に誰に勧められるまでもなく自分に合った生理用品を使っていたし、自分の身体がどのような状態にあるのかも把握していた。

 そして、他の者がようやく性的な事柄に興味を持ち始める頃、私は既にそれなりの知識と経験を持っていた。どうすれば自分の体から快楽が引き出せるのかも。

「ねえ、アヤナは『濡れる』ってことがわかる?」

 中学二年生の頃、従姉妹のエリカが訊ねてきた。

「『感じる』ってこととか」

 彼女の目は意地悪く光り、こちらの反応を覗っている。悪戯を仕掛ける時に愛想が良くなるのが彼女の癖だ。

「何が? ……何が濡れるの?」

 私は表情を変えることなく訊き返した。特に怒ったようでもなく、本当にわからないという顔をするのがポイントだ。

「アヤナってぇ。本当に何も知らないんだね〜」

 やたらと語尾を伸ばすエリカ。顔には満面の笑みが浮かび、鼻孔が膨らむ……これは彼女が勝利感に酔いしれている時の顔だ。そして次に右のおさげをいじりながら、上目使いでこちらを見る。

「何もって……何を?」

「アレよお」

 彼女は右のおさげをいじりながら笑った。そして上機嫌に私の肩を叩くと、

「いいのよ〜、アヤナ。アヤナはこれからも純真でいてよ」

「……痛いよ」

「ゴメン、ゴメン。それじゃあね〜」

 薄笑いを浮かべながら小屋を出て行った。

 彼女には悪いのだが、私は彼女が父親とお風呂に入っている頃から『感じる』ことについては知っていた。小学生の頃、彼女が私をいじめたグループの一員だったことも……彼女が私の生い立ちや生活についての情報をクラス中に触れ回ったこともだ。彼女自身は、もう忘れたかもしれないが。

 中学、高校と同じ学校に進んだ私達の関係は、小学校を卒業してからは決して悪いものではなかった。昔いじめたことがある人間に向かってニッコリと笑いながら「これからも仲良くしようね」などと言う神経は理解できなかったが。

 もっとも、その後この世の中には彼女のような人間が大勢いると知り、私は理解できないまでも納得することにした。彼女はそういう人間なのだから、と。

 私達の関係は単純だった。彼女が喋り、私が聞く。私は彼女を通じて同年代の女子がどのような事を考えているのかを知った。

 しかし、それらはあまり興味深いことではなかった。テレビドラマのこと、好きなアイドルのこと、新しい服のこと、上級生の恰好いい人のこと……などなど。彼女らの会話はそれらの話題の組合せによって無限に生み出され続いていく。だが、内容的にはいつも同じだ。

「アヤナって無口だよね」

 ある時、クラスメイトが言った。

「何か喋りたい事ないの?」

 残念ながら、私は彼女達のように話すことはできなかった。私は会話とは意思と意見の交換であると考えていた。しかし私が話題に対する意見を整えている間に、彼女達は私の事を忘れて別の話題へと移ってしまうのだ。それも突発的に、何の脈絡もなく。

 ここで観察ノートに書き留めておいた同級生の台詞を一つ紹介する。


「昨日ね、駅前のCDショップに行ったの。ほら、いつもインディーズのバンドのビデオが流れてるとこ! ……あ、知ってる? うん、私もよくそこに行くんだ〜。でね? 私が店に入ったら知ってるバンドのビデオがかかってたの! ほら、あのヴォーカルの人がカッコイイバンド! でね、でね、それもビデオクリップじゃなくてライブの映像だったのね? 私、それ見たことなかったからすっごいビックリしたの! みんなのメイクもいつもと違ってるのよ〜! それがまたカッコよくてさぁ! 衣装も綺麗だし! でね、ヴォーカルの人もクリップとは違って激しく歌ってるの! 上半身裸で飛び跳ねたりするのよ!(ここで周囲の感嘆の声が入る)それでね、私、夢中になって見てて気がついたら手の中に何かたれてるのね。何かな〜と思ったら、お店に入る前に買ったタイヤキを握り潰してたのよ〜(以下略)」


 彼女達がインディーズのヴィジュアルバンドに夢中になっていた中学三年生の夏、私は一人の男と知り合った。

 後の人生を大きく揺るがすことになる、あの男と。

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