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レポート  作者: 篠森京夜
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 あれからどれくらい時が流れたのだろう?

 数ヶ月が過ぎたような気もするし、もしかしたら数日かもしれない。

 もし数日だったら、ケンジは死んだわけじゃない、と考えた。何かの用事で帰れないだけで、今にひょっこり帰ってくる。そうに違いない。

 それから、これは昨日も考えたな、と思った。

 私の体は酷い状態だった。数日だか数ヶ月だか、何も食べていないのだから。しかし空腹は感じなかった。ただ無気力だけが全身を満たしていた。

 何度か夢を見た。

 あの蜘蛛の夢だ。久し振りだったので少し忘れていた。

 私はもたれかかった柱に頭を軽く打ちつける。

 そうしないと眠ってしまう。


 頭を軽く振った瞬間、目の前の景色が変わった。

 そこは寒く真っ白な部屋。

 嫌な音がして扉が開き、蜘蛛が入ってくる。

 私はベッドに腰掛けている。動くことができない。

 自分の悲鳴で目が覚めた。

 途端、何かがべとりと手に粘りついた。

 何かの液体が私の下半身を紅く染めている。

 ……そして蜘蛛がいた。

 私の足元、左前……今、足をかけた。

 悲鳴、

 悲鳴、

 夢だ。

 夢だ。


 ……でも、何が夢なんだ?

 

 私は近くにあった物を手当たり次第に投げつけた。

 彼の箸と彼の皿。

 これで彼は食事を摂ったのだ。

 ラジオと机。

 彼が直したラジオ。

 どうしてくれるんだ? また壊れたら。

 しかし、蜘蛛は何を投げても向かってくる。

 私は外に逃げ出した。


 体が思うように動かない。

 足は震えている。

 でも逃げなければ。

 何処へ?

 何処へ、何処へ?

 何処へ、何処へ、何処へ?


 扉を叩き割るようにして外に飛び出した。

 階段を降りて一階へ。

 壁や手すりに身体中を打ちつけて。

 外に出る。

 夏の陽射し、

 いや違う夏はもう終わりだ。

 冬がくる。

 冬がくる。

 寒い冬だ。

 雪も降る。

 ……寒い冬だ。

 嫌だ、

 嫌だ。

 冷たいのは大っ嫌いだ!

 私は砂利を舐めながら、坂道を転げ落ちた。


   /


 私は高校三年生の教室にいた。

 アサギと多くの時を過ごし、それでも消えない不安感から目を逸らしていた日々。大学時代のように研究もなく、無意味な受験勉強に時間だけが流れていった場所。

 私は……この場所に立ち返ることを避けていたように思う。


「ねえ、アヤナ」

 声がした。振り向くと、窓際に一人の少女がいた。短い髪にラフな服装。私と従姉妹のエリカが通っていた高校は私服だった。

「何? ……えっと」

 夢の中でよくあるように、私は自分の立場と役割を薄らと自覚していた。

 ただ、名前が出てこない。よく知っていたはずの名前なのに。

「ごめんなさい、貴女の名前が出てこないわ。どうしてかしら?」

「勉強のしすぎよ、アヤナ」

 少女が笑う。窓からの光が逆光になって顔がよく見えない。

「私の名前はチィムニ。貴女の元クラスメイト。そうでしょ?」

「そうだったわ。……どうかしてた」

 私はこめかみを押さえながら呟いた。

 チィムニというのは彼女のニックネームだ。本名は篠宮忍、去年まで私と同じ進学組の生徒だった。その由来は、背が高くて身体にメリハリがないから……まるで煙突みたいにね、と彼女自身が教えてくれた。実際、彼女は少しも女性的な体つきをしておらず、そのスマートな長身は彼女の好む黒地の服装によって更に強調されている。顔つきは大人びており、特に目から鼻にかけてのラインは、この国の人間にはないエキゾチックな印象を与えた。

 彼女は私と同じ進学組に在籍してはいたが、あまり勤勉な生徒とは言えなかった。祖父に高名な画家を持つ彼女は勉学よりも芸術活動に関心を寄せ、その頃から才能の片鱗を見せていた。私も含めて積極的にクラブ活動に参加しようとしない他のクラスメイトとは異なり、自分から進んで美術部に入り……学校側からその自由気ままな生活態度が咎められると、学校生活のほとんどを部室で過ごすようになった。

 あいつは美術部に登校しているな、とはかつての担任教師の言葉だ。

 それでも彼女は平均以上の成績を保ち、留年は免れていた。しかし学校側との衝突が尽きることはなく、三年生に進級したと同時に選択科目の中に美術がなくなったことを理由に彼女は進学組を離れ、一般のクラスに移った。その途端、学校側からの干渉がなくなったのは言うまでもないだろう。まあ、そんな学校だったのだ。

 当時、私と彼女の間には、クラスメイトという以外の接点も共通点もなかったように思う。三年生になってからはそれすらもなくなった。だが不思議なことに、彼女は私の高校生活の中で唯一親しくなった相手だった。毎日少しずつだが会話をしたし、同じクラスにいた頃は誰よりも私の隣にいる時間が長かった。三年生になってからも、放課後になるとよく私の所に来ていた。

 この時もそうだった。

 彼女は私にとって唯一の、友人……と言ってもおかしくない人間だったのかもしれない。

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