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私達は魚を料理して、二人で食べて一緒に寝た。
色々な話をして、怒ったり、笑ったりした。
自分でも不思議なくらい普通のことをした。
私はこのまま二人で生活をしていけるのではないかと思った。
普通の人間のように生きていけるのではないかと思った。
私の内側の空洞は闇で満たされている。中身を失った肉体は生と死の境界を彷徨い続け、いつ死に転がり落ちるかわからない。
闇が訊ねる。
何故、死ななかったのだ? ……と。
死ぬべきだった。
実際に、そう思う。
でも私は死ねなかった。
何故かはわからないが死ねなかった。死んだ方が楽だったと思う。
しかし私は死ねなかった。
苦しみは募り、痛みは増すばかり。それでも、私は死ねなかった。
他者との接触を求め、快楽を貪る。そんなことは一時凌ぎにしかならないとわかっている。
だが、私はそれでも他者を求め、共に生きることを望んだ。
……何故?
「昔からね……ずっとわからないことがあるんだ」
布団の中でケンジが言った。部屋の明かりは消され、周囲には闇が広がっている。
「何?」
「どうして人間は生きてるのかな?」
「……どういうこと?」
「なんていうか……人間は何のために生きているのかな……ってずっと考えてたんだ」
「そうなの」
「うん。皆、変なこと考えてるって言うけどね」
ケンジは私を抱き寄せた。
「でも、気になるんだ。自分が何のために生きてるのかって。自分はどうして生まれてきて、何をしなくちゃいけないのかなって。それを考えるとすごく苦しくなって、悲しくなるんだ」
ケンジは一旦言葉を切り、小さく呟いた。
「……やっぱり、オレって変なこと考えてるのかな?」
「そんなことないわ」
私はケンジの手を探り、強く握って答えた。
「変なことじゃないわ。その問題は、ずっと昔から沢山の人が考えて悩んできたことよ。それこそ、人間が文化を持って生き始めた頃からね」
「そうなの?」
「そうなのよ。この国の人だけじゃなくて、ずっと遠くの国の人も考えてきたことなの。普通の人も、天才って言われた人もね」
「へえ……」
ケンジは嬉しそうに笑った。
が、何かに思い当たったらしく、真面目な顔で質問した。
「答えは出たの?」
難しい質問だ。
「……そうね。答えを出せなかった人もいるし、自分なりの答えを出せた人もいる。まだ答えの出ていなかった人に、自分の答えを教えてあげた人もいるわ。そんな人は多くの人に尊敬されて、今でもその人の答えは大事にされてるわ。宗教っていうやつね。勿論、あんまり多くの人には受け入れられなかった答えもあるけどね」
「その答えって、一つ一つ違うの?」
「似てる所も多いけど、違う所も多いわね」
「どうして、答えって色々あるんだろう。……一つじゃなくてさ」
「それは……」
私は口篭り、よく考えてから続けた。
「それは……やっぱり、人間は一人一人、違うからじゃないかな。住んでる国とか文化とかが違うと考え方って変わるしね。寒い所と暑い所じゃ必要なものとか違うわけだし。生きていく上で必要なものも違うからよ」
少し話が抽象的になり過ぎたかもしれない。私は説明を加えた。
「例えば、ケンジと私でも好きなものとかは違うわけだし、考えることにも差が出るわ。もし私とケンジが答えを出しても、その答えは少し違うものになるんじゃないかしら」
「じゃあ、正しい答えっていうのはないの?」
ケンジが不安げに訊ねる。
「……そうでもないわ」
私は答えた。
「今までに色々な人が出してきた答えの中には、とても多くの人にとって正しいと思えるものがあるの。同じものが好きな人達とか、同じ国に住んでいる人に限らずに、本当に多くの人が、これは正しいと思える考え方がある。同じ言葉を使っているとか、同じ肌の色をしているとか……そんなものを越えて理解できる答えっていうのが、ほんの少しだけどあるの」
「オレもその答えを教えてもらったら幸せになれるかな?」
「多分ね。でも、結局それはケンジが自分で出した答えじゃないから、何処かで少しずれるんじゃないかしら」
「そうかな」
ケンジは暫く黙った後、口を開いた。
「じゃあ、どうすればいいんだろう?」
必要以上に難しいことを話し、ケンジの心を傷つけたかもしれない。私は急いで、だけど出来るだけ丁寧に、続く言葉を探した。
「取りあえず、自分の答えを探してみることじゃないかしら。色々な人の答えを聞いて、自分が納得できる所を自分のものにするの。そしていつか自分の答えができたら、それを色々な人に話すの。ケンジの答えはその人の完璧な答えにはならないけど、その人が自分の答えを探すヒントにはなると思う。それってとてもいいことじゃないかしら?」
「うん、とてもいいことだと思う」
ケンジの声が明るくなる。私は安心した。
「今は焦らずに、じっくりと考えればいいと思うわ。自分が何をしたいのか。自分は何が嬉しくて、何が悲しいのかってね」
「アヤナの答えは?」
唐突にケンジが訊ねた。
「……まだ、わからないわ。私も答えを探しているの」
「じゃあ、一緒だね」
ケンジは言った。
「いつか、オレの答えができたらアヤナに教えるよ。それが、アヤナもわかってくれる答えだったらいいな」
「そうね。その時は絶対に教えてね」
私は微笑み、ケンジの胸を軽く叩いた。
ケンジが眠った後、私は考えていた。
自分の答えというものを。
ずっと昔、誰かが言った。人は誰でも自分の答えを見つけなければならないのだと。
誰が言ったのかは思い出せないが、ケンジとの会話でそれを思い出した。
私は考え続けた。
自分の答えというものを。