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レポート  作者: 篠森京夜
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 私が大人しい子供だったことは既に記したと思う。

 私は一日の殆どを学校と庭のプレハブ小屋の中で過ごした。親戚の者達は私が粗末な小屋の中で文句一つ言わずに暮らしていることが不思議でならなかったようだ。

 確かにそこは狭く、壁も薄かった。冬は辛うじて風が防げる程度だったし、夏の暑さは更に酷かった。しかし他人と顔を合わせる苦痛に比べれば問題にならない程度のものだったし、何より私は肉体的な苦痛には強かった。

 私は小さい頃、非常に感覚が鈍かったように思う。もう少し適切な表現を探せば、自分の感覚を、まるで他人のもののように感じることが多かった。

 一度、夏の暑い日に小屋の中で脱水症状を起こして倒れたことがある。私は自分の身体から水分が抜け、皮膚の上を流れる汗さえ蒸発してゆく様子を冷静に感じ取っていた。やがて汗も出なくなり、私は畳に身を横たえたまま、容赦なく照りつける太陽を窓硝子越しに眺めていた。私の記憶はそこで途絶えている。

 意識を取り戻したとき、叔母は全くお前は鈍い子だ、と言った。間違って死なれでもしたら世間体が立たないではないか、と。しかし、その言葉も私にとっては遠くから響いてくる音のようにしか聞こえなかった。


 私が全てのものを観察するようになったのはいつのことだろう?

 親戚の家に引き取られると同時に、私は学校に通うようになった。

 私はそれまで、父以外の人間と生活したことがなかった。父との生活の記憶すら殆どないので実際のところはわからないが、少なくとも人間関係に関する知識はまったくと言っていいほど持っていなかったのは確かだ。

 そんな私が、いきなり他人の大勢いる場所に放り込まれたのだ。

 私はまるで、見知らぬ大陸に流れ着いた漂流者のようだった。理解しがたい行動、何の意味があるのかわからない知識。言葉さえ満足には通じなかった。

 私は戸惑った。私以外の者は同じ言葉を喋り、同じことを知っている。私は必死にそれについて行こうとしたが、皆は相変わらず私にはわからない言葉を喋りながら、同じ方向に向かって歩いて行く。

 彼等が『楽しい』と思うことは、私には『理解できない奇妙なこと』としか思えなかった。私は必死に皆と同じ行動を真似しながら、あらゆるものごとを観察し、その意味を探らなければならなかった。

 幸い、私は暫くすると表層的に彼等の習慣のパターンが把握できるようになってきた。しかし深層の部分……何故そのような行動をするのか、その知識に何の意味があるのか……については、どうしても理解できなかった。

 しかし、理解が及ばなくとも生活するには十分だ。集めた行動サンプルの中から状況に応じて適当なものを選び出し、実行に移す。その行為は回数を重ねるにつれて精度を増し、もっともらしくなる。

 そして、もう一つ。

 私が観察し続けたものがあった。


 人間とは文化的な生物である。そう、かつて読んだ書物に記されていた。

 私の知る限り、動物は自分と同じ身体的特徴と習慣を持つ生物を同じ種だと認める。その判別方法は、特徴的な模様や器官、体外に分泌するホルモンの匂いなど様々だ。

 生まれたばかりの動物は、自分を育てる動物を親だと認識することもある。

 そして人間の場合、その判別方法は更に複雑だ。

 人間は例え相手が人間でも、ある種の習慣の差で自分とはまるで異なる生物のように認識することがある。その場合の習慣の違いは、例えば異なる民族の間では宗教、生活習慣全般の違いであり、同じ民族の中では貧富の差であったりする。

 そしてテレビの番組や、服装のことだったりもする。

 私が観察した中で最も興味深かった事例としては、とあるテレビ番組を見ていなかったというだけで、一人の同級生が私を『信じられない人間』だと決めつけたことだ。その番組は、当時かなりの人気を得ていた俳優が主演のドラマで……おそらくクラスメイトの大半は見ていたのではないかと思う。

 彼女の意見を採用すると、約四十人いるクラスの人間は二つの人種に分けられた。

 一つはその番組を見ている、いわゆる『正常』な人間。そしてもう一つは、その番組を見ていない『異常』な人間だ。

 この二つの境界線は様々な形で引かれた。

 例えば、ある流行の服を着ている人種、着ていない人種。

 運動のできる人種、できない人種。

 勉強のできる人種、できない人種。

 生活が裕福な人種、不自由な人種……挙げればキリがない。

 ある種の限定された集団内における『人間』の地位は、これら無数の境界線の中から抜擢された幾つかに対する立ち位置から総合的に判断されることになる。例えば前述の同級生は『話題の番組を見ている人種』かつ『流行りの服を着ている人種』であり、更に『髪がストレートでない人種』『活動的で目立つ人種』『家に新車のある人種』『週に三回学習塾に行っている人種』だった。察するに、クラスの女子の中ではかなり高い地位の人間だったのだろう。外からの評価は知らないが。

 彼女とは逆に、多くの境界線に対して『そうでない人種』の側に含まれるグループがある。私も含めた『見ていない』『持っていない』『できない』『していない』人間だ。

 私達は生物学的には『人間』のはずだが、『同じ』とは認識されない。

 同じ人間ではないのだ。


 たまたま私は『勉強のできる人種』だった。それもかなり。

 私が学生生活を過ごした時代において、『勉強ができる』ということは、『服装が他人と違う』ことや『テレビや雑誌のことを全く知らない』ことを補って余りあるだけの価値があったようだ。私は週に三回塾に通っている同級生よりも勉強ができたし、自分から誰かと問題を起こすようなこともなかった。その為、私はクラスの中でも特殊な地位である『少し変わり者だけど、勉強のできる優等生』を得ることができた。


 『そうである人種』は『そうである人種』間でも衝突し、更に多くの『そうでない人種』を生み出す。私は常に彼等の生態と文化の観察を続けたが、データの数が増えるばかりで、遂にその意味は理解できなかった。

 

 ……いや。

 その後、少し理解することができた。


 意味などない。

 それが唯一の意味なのだと。

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