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レポート  作者: 篠森京夜
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 夏休みが終わり、季節はもう秋になっていた。暖かな陽射しの中、風は冷たい水のように私の体を掠め、流れていく。高く鮮やかな空の端に、白い雲がたなびいている。

 秋の空は何処か心を締めつける。手をかざして空を見上げ、私は目を細めた。

 気がつくと、私は駅の前に立っていた。

 高校は叔父の家から駅を挟んで正反対の場所にあり、徒歩で通学するにはかなりの時間がかかる。通学には町の外周を走る循環系のバスを利用していた為、普段の生活で中心街の駅に来る必要は全くない。

 しかし、私は時折駅を訪れていた。

 駅前の広場、木陰のベンチに腰掛けて、私は改札口を眺め続ける。今の電車で着いた者の中に、痩せて髪の長い……いつも不思議な輝きを湛えた瞳で笑う少年がいないだろうか?

 身勝手な考えだということはわかっている。私が彼を拒絶したのだ。今になって会いたいと願ったところで、そんな想いが聞き届けられるはずはない。

 それに。

 ……それに。

 もしも仮に、もう一度彼に会うことができたとしても。

 私は自分の気持ちを伝えることができるだろうか? 私には貴方が必要なのだと、傍にいて欲しいと言えるだろうか? ……いや、できないだろう。きっとまた同じ事を繰り返し、彼を拒絶してしまうに違いない。

 それでも、私はもう一度彼に会いたかった。会ってもう一度抱き締めて欲しかった。

 私の順序は滅茶苦茶だ。

 私は何故に人間が社会を作るのかを理解した。人間はあまりに弱く、一人では生きられない。だから他の人間を求めるのだ。

 人間はあまりに弱い。

 そして私も、その弱い人間と同じ。

 人間は一人では生きられない。

 私も一人では生きられないのだ。


 私は電車を待つのをやめ、駅を後にした。


   /


「なあ君、いい天気だよな」

 男が声をかけてきた。

 私は町の中心を抜けて河原に出ていた。上流に向かい、三本目の橋を渡った所に叔父の家はある。私はこのまま帰るつもりだった。

「何か御用でしょうか?」

 振り向くとサラリーマン風の男が立っていた。背が高く、身なりはいい。年は二十代後半といったところか。

 男は暫く私の顔を見つめると、咥えていた煙草を指に挟み首を傾げた。

「ん? いや、いい天気じゃないかと思ってね」

「……そうですね」

 私はちらりと空を見上げ、そのまま立ち去ろうとした。

 男が少し駆け足で私の隣に並ぶ。

「ねえ、君、学校は?」

「体調を崩したので早退しました」

「何か嫌なことがあったの?」

「どうしてそう思うんです?」

 男は少し目を細めると、煙草の煙を吐き出した。

「何となく……ね」

「そんなことありません」

 私は早足に男から離れようとした。しかし、男は依然として私に追いついてくる。

「僕は昔からこういうことには勘が鋭くてね。何となく追い詰められてる人間がわかるんだよ。口調とか、体の緊張具合でね」

 男は蛇のような視線を私の身体に絡ませた。

「君は何かに追い詰められている。ところが、それが何かわからない。そうだろう?」

「違います!」

 私が振り払うように投げ出した手をつかみ、男は笑った。

「人生を楽しむ方法を知りたくないかい? 今よりももっと楽しく、そして楽に生きられる方法だ」

 男の真意を測りかね、そのとぼけたような表情を凝視する。

 ……と。

 男は唐突に表情と口調を改め、言った。

「君を買いたい。金なら幾らでも出す。君にはそれだけの価値がある」

「ありません。そんなもの」

「だったらどうなってもいいだろう?」

 男が小さく笑う。私は空いている左手で男の頬をひっぱたいた。

「……悪いことを言ったね」

 男は苦笑混じりに溜息をつくと、私の手を離して頬を撫で、手を振って元来た道を戻り始めた。


 冷たい風が髪を乱した。

 足元から、言い知れない冷たさが這い上がってくる。

 壊れてしまう。

 このままじゃ壊れてしまう。


 男につかまれていた手首が、少し暖かい。


「…………ねえ」

「何だい?」

 男が振り返る。

「教えてくれる?」

「……勿論」

 男は嬉しそうに笑うと、煙草を川の中に投げ入れた。

 そのときの男の表情がとても子供っぽくて、私はつい微笑んでしまった。


「私って悪い子だ」

 私は呟いた。

「どうして?」

 男が私の上に覆い被さりながら訊ねる。

「いつもだったら数学の授業を受けているのに」

「次の時間は?」

「歴史の授業。定年近くのおじいさんが、ずっと小さな声で喋ってるの」

「それならこっちの方が有意義だ」

 男は私の胸にキスをした。

「でも、私は悪い子なの」

「そうかな?」

「……そうなのよ」

 私はホテルの天井を見つめながら、静かに快感の海に沈んでいった。

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