13
あれ以来、私はただ淡々と日々を過ごしていた。機械のように起きて勉強して、問題を解いていた。私と同じく受験生のエリカが叔母に遊んでないで勉強をしろと叱られていたが、私は勉強に何の価値も見出せなかった。機械に与えられた仕事、それだけだ。
私は自分を機械のようにしておきたかった。
……そうじゃないと壊れてしまいそうな気がした。
健児が小屋を訊ねて来たのは、丁度、私が小屋で勉強している時だった。
「相変わらず、ここは人間の住む所じゃないね」
気がつくと、健児は小屋の中に立っていた。
あの寂しげな微笑みを浮かべて。
「鍵がかかっていないのも相変わらずだ……君が元気そうで何よりだよ」
「……どうして……来たの?」
「ちょっとまずいことが起きてね。親父の仕事関係だ」
健児はしばらく黙っていたが、やがて言った。
「アヤナ。僕と一緒に逃げてくれないか?」
「何処へ?」
「坂の上にさ」
「…………」
「………………」
「……………………」
「…………………………冗談だよ」
一つ大きく溜息をつき、健児は呟いた。
「最後に君の顔を見ることができて嬉しかった。もう会うこともないだろうしね」
組まれていた健児の指が震え、両手がきつく握り合わされる。
「最後だから言っておくけどさ。初めてこの部屋に入った時、この部屋の持ち主はどんな人だろうって思ったよ。酷く素っ気無くて、置いてある物はバラバラで……自分以外のすべてを拒絶しているような感じだった」
「うん……わかってる」
「……でもね。僕はこの部屋が嫌いじゃない。嫌いじゃないんだ。人を寄せつけなくて冷たい感じがするけれど、この部屋は何故か僕を惹きつける。バラバラで滅茶苦茶で……でも、何かが引っかかる。何かが心の中に伝わってくるんだ。そして、それは僕の何かに響いたんだ。だから僕は思った。ここに住んでるのはどんな子なんだろうって……僕はその子に凄く会ってみたくなったんだ」
健児は目を伏せると、うん、と呟いた。
「僕はこの部屋に入った時から、君に恋をしていたのかもしれないな」
「……だから私に声をかけたのね」
「そうだよ。だから君を待っていた……会ってみたら本当に可愛い子で吃驚したけどね」
健児は可笑しそうに笑った。
その表情は笑っているようには見えなかった。
「貴方はいつも泣いてばかりね」
「そうかい? いつも笑ってるって言われるよ」
「でも泣いてるわ」
「そんなことはないよ」
健児は震える指で頬を引っ張り、唇を曲げた。
「ほらね」
「……うん」
私が頷き、彼も頷く。
「君のその瞳が好きだよ……アヤナ……」
そして彼は部屋から出て行った。
私はどれくらいぼんやりとしていたのだろう?
数分か、数秒か。
気がつくと私は、手に握り締めたシャープペンシルを参考書に突き刺していた。
何度も打ちつけられて先端が折れ曲がり、芯の破片が飛び散る。
行かなければ。
……何処へ?
私は同じ動作を繰り返し続ける腕を止め、強張り、血の滲む指をこじ開けてシャープペンシルの残骸を捨てた。
そして小屋の外に歩き出していた。
あの坂道がこれほど長く感じられたことはなかった。
太陽の照りつける道は延々と続き、砂煙が巻き起こる。
落ち着くんだ、ここはいつも通る道。たいした距離じゃない。
しかし、私の足は思い通りに動こうとせず、何度も地面に転がった。
それでも私は坂道を登り続ける。
行かなければ。
坂の頂上には何も見えない。ただ、平行に伸びた線の上に青い空が広がっているだけだ。
坂の上には何があるんだっけ? ……彼が話していたはずだ。
もっとよく彼の話を聞くべきだった。
『君の順序は滅茶苦茶だ』
確かにその通り、私は普通の方法がわかっていない。
もっと貴方の話を聞くべきだった。何かがわかったかもしれないのに。
私は坂の頂上を目指し続けた。
そして、小石に足を取られて倒れた瞬間、坂の頂上に誰かが立っているのが見えた。
「……健児!」
私は最後の力を振りしぼって坂を駆け上がった。
しかし、そこには誰もいなかった。
ただ、車道と川のある景色が広がっているだけだった。




