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レポート  作者: 篠森京夜
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「なんだ、健児……そこにいたのか。その人は?」

 ようやく家の前まで戻ってくると、玄関に続く階段の手前に一人の男が立っていた。

 年は四十近いだろうか、身なりは上品だが何処か疲れているような印象を受ける。彼が健児の父親だということはすぐにわかった。顔立ちは勿論、仕種や言葉遣いもよく似ている。何より、彼らの周囲に漂う空気がよく似ていた。

「花村綾菜さん……この家に住んでる」

「ああ、そうか」

 健児の父親は静かに頷いた。

「話は?」

「済んだ」

 親子は多くの言葉を交わさなかった。健児も話の結果を聞かなかったし、父親もそれ以上は何も言わなかった。ただ、その話の内容がどのようなものであったにせよ、うまくいったようには見えなかった。

「帰るの?」

「いや、夕食に呼ばれた。お前はどうする?」

「一緒にいるよ」

「そうか」

 父親が踵を返し、階段を上っていく。

 健児はじっと父親の背中を見つめていた。その透き通った瞳もまた、父親から受け継いだものなのだろう。

「行こうか、アヤナ」

 父親の姿が見えなくなった頃、健児もまた階段を上り始めた。

 彼の後ろ姿は、やはり父親のそれとよく似ていた。


 新村親子との会食の最中、普段無口な叔父はやたらと騒いでいた。

 まるで、何かを必死に隠そうとしているかのように。

 一方、健児の父親は時折相槌を打つ程度で、驚いたことに叔母までもが何も口出しせずに静かに話を聞いていた。

「何? あの暗い奴! 話しかけてもろくに返事もしやしない!」

 私の隣ではエリカが健児の無愛想に腹を立てていた。

 家の中に足を踏み入れたときから、健児は無口で静かだった。初対面の私には気軽に声をかけてきたというのに。不思議な男だ。

 ふと目が合うと、健児は小さく笑ってウインクをした。

 ……馬鹿な男。


「そろそろ帰らせていただきます」

 食事の終、健児の父親が言った。

「この町にはいつまでいらっしゃるんです?」

 叔母が訊ねた。

「夏いっぱいはいようと思っています。色々と廻らねばならない所がありますから」

「そうですか……」

 叔母は心配そうに叔父の顔を見たが、叔父は何も言わなかった。

「行こうか。健児」

「ああ」

 健児はぶっきらぼうに応えて立ち上がった。叔母が玄関まで見送りに行き、私も手洗いに行くふりをしてついていった。

「本当にすみませんねえ」

 玄関で叔母が謝る声が聞こえた。

「いいえ、気にしてませんよ。……あいつの気持ちもわかります」

「……本当に」

 叔母がその後何を言おうとしたのかはわからなかった。

「それでは失礼します。本当に美味しい食事でした」

 玄関の戸が開く音がした。

 私が顔を覗かせると、遠ざかっていく健児の後ろ姿が見えた。


 その夜。

 私は小屋で『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読み返していた。しばらく読み進めると、健児の言っていた『妙な宗教』の部分が出てきた。

 舞台である未来の世界にはマーサー教という宗教が存在する。教祖、と言うよりは信仰のすべての象徴であるウイルバー・マーサーという老人は、無限とも思える遠大な坂道を頂上目指して歩き続けている。

 ただ、それだけだ。

 そして信者(文字通り彼を信じる者)は『共感ボックス』という機器を用いて彼と同化することができる。

 マーサーに同化した複数の信者はマーサーと共に坂を登り頂上を目指し、その過程の全てを共感することになる。目的を持って進む高揚感、使命感、妨害者から受ける恐怖と苦痛……そして頂上に到達した瞬間の達成感。それらの感覚を信者は共有し、喜びを分かち合うことになる。

 もっとも、頂上に至った途端にマーサーは坂の下に戻され、また頂上を目指すことになるのだが。

 更に厳密に言えば、マーサーの坂は健児がイメージしたような燦々と光の降り注ぐ場所ではなく、薄暗い平原だ。

「私達は共に坂を上り、共に下った……」

 本を閉じ、私は幽かに笑った。

 そして自分が笑っていることに気づき、己の行為に唖然とした。

 健児にもう一度逢いたい。生まれて初めて抱いた『誰かと関わりたい』という感情が、他の何よりも私を驚かせる。

 一体自分はどうなってしまったのだろうか。

 答えの出ない自問を繰り返しながら、その日は眠った。


 一夜が明けて、私は自分の中に健児に会いたいという感情が残っていることを確認した。

 更に驚いたことに、その感情は昨夜よりもずっと強くなっていた。

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