その呼び方はやめてください
楠を主とする背の高い樹木とその下木、下草をかきわけ、およそ10mの間隔を守りながら「平和のための緊急アクション」の分隊は徐々に徐々にイル達に迫りつつあった。
「イル同志少尉嬢ちゃん、なに、連中に捕まったところで殺されることはない。そこは安心できるでしょうな。」
「島烏同志、その呼び方はやめてください。」
「了解、イル嬢ちゃん。」
イルは露骨に顔をブスっとした。
二人は地面に伏せ、樹木の太い根に身を隠して相手の動向を観察している。
「奴らは弾倉はつけてはいるが、実包は持ってない。民有地が近いからですからな。分隊長クラスがおそらく拳銃を持っていて、そいつには実包が入っておりましょう。」
「小銃については脅し、ですか。」
「まあそんなところでしょうな。もっとも弾がなくとも接近戦になるとあの鉄のパイプはやっかいだ。着剣されたらなおのこと、ね。」
「用水路はどちらに?」
「さあ、そいつがまたやっかいだ。右と左、おおむね同じ距離にあるんですがね。」
「どちらを?」
「今から躍進すると確実にばれそうでしてね。」
イルは覚悟を決めた。
「紫太山の」
「ん、どうしましたイル嬢ちゃん。」
イルは島烏に顔を向け、震える声で宣言した。
「厚い雪、琴洛河の流れ。」
島烏は表情を固める。
「共和国民主陸軍歩兵少尉イル・ミィヒンはここに集成イル支隊を編成する。」
イルは唇をわなわなと震わせる。顔は真っ青だ。なにせ生れてはじめて年齢も経験も実力も全てが上の存在に階級のみを根拠に命令するのだ。
島烏は目くばせでイルを促す。
わずかな深呼吸ののちイルは続けた。
「島烏同志は支隊烈士として、支隊の脱出を導け。指揮官イル・ミィヒンはその全ての責任を負う。」
イルはそう言い終えるとこわばり伏せた体を地面に沈めた。
「了解、イル同志少尉殿
紫太山の厚い雪はやがて琴落河の流れに。」
「・・・教務令のとおりに言えたでしょうか。島烏同志」
「言えましたよ支隊長殿。」
「ありがとうございます、島烏同志」
「その呼び方はやめてください、支隊長殿。
今後はファン軍曹と。すくなくとも支隊解組までは。」
「了解、ファン軍曹同志」
「さ、いきましょう。さっそく右か左か支隊長殿ご判断を。なお、小官は右の用水路への躍進が妥当であると判断します。」
「命令、支隊は右に躍進。細部要領はファン軍曹同志に任せる。」
小さな支隊が英雄的な前進を開始した。