のどに刺さった魚の骨
如月はこの世界では五本の指に入る先進国である。
80年前の大戦争で敗北し荒廃したが、好条件がそろい、復興は比較的早かった。
そしてめきめきと国力を上げ続け、戦前はローカル大国であったが、今度は世界の大国へとなりあがった。
かつての戦争で敵同士だった超大国メリゴとは戦後ずっと同盟国で、メリゴと如月は極東地域で無双の軍事力を誇る。
経済はおおむね順調で、不満はないではないが、暴動がおきたりするような物騒な世情ではない。
治安もまずまず良好で、日々殺人強盗をおそれて暮らすような国民はほぼいない。
特筆すべきはその文化で、ポップカルチャーやアングラな好事家趣味が盛んであり、世の大人たちが眉を顰め続けて数十年、今では世界中がわざわざのぞき見にくる影の隆盛を誇っている。
また、食文化も正当な国風食文化と庶民が解釈したアレンジ国風食文化が入り混じる他、世界各国の料理が同じように正当な形とアレンジされた形で広まっている。
如月に来れば世界中の料理が食べられる・・・という食事情がいつのまにか出来上がっていた。
自由主義の国なので言論の自由はもちろんあり、誰か権力者の悪口を言ったからと投獄されることはない。
まあ、ネタによっては猛烈なバッシングを受けたりもするが、それは仕方のないことだろう。
社会保障も各種各層不満はあるにせよ、病人・障害者などの社会的弱者が即死ぬ、ということはそうそうない。
あれこれと社会問題が大小さまざまあるが、如月は世界でも屈指の住みよい国であるとはいえよう。
・・・が、如月の喉には骨が刺さっていた。
「うそです!!」
イル少尉は声を荒げた。
「うそったってお前、本当だよ。」
「いいや、嘘です同志少校」
「お前、上官の説明に真っ向から歯向かうとか女兵学校で何習ってきたんだよ。」
「如月は平和国家の仮面をかぶり、帝国主義を推し進める軍事大国で、常日頃周辺国を恫喝
国民はその軍事力を支える重税にあえぎ、男は子供のころから兵士になるべく、女性は子供を産む機械として虐げられている人権蹂躙の・・・」
「わかったわかった。お茶でも飲め。」
カンはイルの演説を両手をかざして止め、ポットのお茶をついでやった。
「カン少校殿!それです、それ。男性が部下女兵にお茶を出す。こんなこと世界でも共和国だけの美風ではありませんか!」
「まあまあ、落ち着け。美風だと俺も思うよ|(思うわけねえだろ馬鹿か・・・)」
共和国は伝統的に母権が強いのだ。
「それに比べ如月は、女性が虐げられ」
「ほら、のめのめ、熱いうちに。」
すぅ・・・
イルは音を立てず麗風作法(共和国の正式名称は麗共和国)でお茶を飲んだ。
はっと気づく。共和国のお茶ではない。如月のお茶だ。濃い。そして美味い。こんなお茶は飲んだことがない。鼻に抜ける香りがまことにかぐわしい。思わず一気に飲み干したくなるが、そういう飲み物ではない。憎き如月のものとはいえ、お茶に罪はない。
「カン同志少校!」
「語らせてもお茶を飲ませてもうるさいな、お前は。どうした少尉同志。」
「こ・・・このような高級なお茶を!私の着任のためにわざわざ!本当にありがとうございます!」
イルは学生時代文化部でお茶の研究をしていた。それゆえ、顔は感激にまみれていた。
カンは腕組みをして、しばし困った顔をして言った。
「そこのスーパーで買い置きした特売品だよ、それ。」
「へ?」
「共和国はもっぱら麗茶か粱茶しかないから月茶を飲むとそりゃ確かに感動だよな。」
「よくわかりませんが、その、安物ということなんでしょうか。」
「安物だ。子供の小遣いで十分買える値段だ。」
「そんな、まさか!」
押さえきれないイルは自分でお代わりをし、飲みつつ狼狽する。飲むものはしっかり飲んでいる。
そしてポットのふたを開けると茶こし袋に入った茶葉が見えた。
「そんな・・・まさか。安物の粱茶じゃあるまいし・・・こんな淹れ方で・・・」
「思い込みなんだよ。お茶も、なにもかも。
さっきの如月が帝国主義の軍事大国云々・・・
あれは俺に言わせれば共和国自己紹介乙!だ。」
「乙?」
「あーすまん、ネットスラングだ。つまり、だ。共和国は自分らがやってることを、あたかも如月が悪の権化のごとくやっていると国民に教育していて、お前はまんまと」
「ネットスラング?」
「そこから?」
共和国のネット環境は一般国民に開かれていない。
共和国生まれの共和国育ち、根っからの麗っ子イル少尉は、高く高く伸びた鼻をカンにへし折られる。
カンは別にへし折るつもりはなかったのだが・・・
諜報員として如月の正確・妥当な実像を知ってもらわないと仕事にならないため、イルの知っているだろう如月像を一気に壊すことのないよう、丁寧に丁寧に如月という国の説明をしていった。
イルは如月語特級なので読み書きは完ぺきである。
時には如月の新聞や雑誌を見せながら、テレビを見せながら、その説明は午後まるまるかかった。
日はとっぷりと暮れ、両者気が付いたら空腹だったため、そこで説明はとりあえず終わった。
「少尉同志、お前は何が好きだ。」
イルはうつろな目をしている。無言だ。しかし上官の下問を無視はできない。
「はい、同志少校殿。自分は高麺が好きであります。」
「高麺が好きか。」
「はい同志少校。夕食のお話しであろうかと思いますが、ここは如月ですので、なにか同志少校殿がお好きなものをどうぞ・・・」
「じゃ、高麺食べに行くか。」
「はぇ!?」
「歩いて10分のところに麗料理屋がある。うまいぞ。」
「迫害されているのでは・・・」
「さっきも説明したけどされてねえよ。政治的な大事件がおきたりしたら時々嫌がらせはあるらしいけどな。」
イルはカンに連れられて如月の首都郊外の街に出た。
そこは住宅街であちこちから夕餉の香りがただよってくる。街灯は古びていたがしっかり点灯しており、几帳面に等間隔に設置されている。
その全てが金属製で、木製のものはない。電柱もしかり。
「どうせ・・・」
「どうせなんだ。あと、おまえは共和国なまりがひどいから外では控えめに話せ。」
「どうせ高麺も美味しいんでしょうね。」
「美味しいぞ。」
「共和国のものよりも。」
「そこは好みによるな。俺はな少尉同志、やっぱり波琉山(共和国首都)風の高麺が好みだな。
そこの店は残念ながら津山(シンサン:共和国の地方都市)風の高麺なんだ。」
「さきほどのお話し、ありがとうございました。」
「ショックだったろうけど、これからの仕事に必要な知識だ。よく聞いた。」
「でも、まるで共和国が一方的に悪いみたいじゃないですか。
そう、まるで如月の喉にささった魚の骨、みたいな。」
「立場による。それに刺さった魚の骨が俺たちなら心の臓まで食い込むのが仕事だ。」
魚の骨・・・
イルは空の大月をぼんやり眺めて歩いた。
月は二つある。大月と小月
夜は大月が輝く。いれかわるように小月が登る。小月は太陽のあかりのせいでうっすらしか見えない。
なにかの暗喩に思えたが、イルは考えるのをやめた。
なお、その後カンは高麺の美味さのあまり泣きむせぶイルのせいであやうく警察を呼ばれるところであった。
「お前は俺ののどに刺さった魚の骨だ!」