第8話「地底湖でのデート」
「うわぁ……すごいですね……」
草太は高台から見える絶景にため息をついた。
地底湖に生息する知能を持ったミズトカゲ。彼らが作る球状の建物は、尻尾と同じく目の覚めるようなメタリックブルーの光を放っていて、まるでゼリーの中に青く輝く真珠を敷き詰めたように見えた。
「これほどの眺めは、あたしでもほとんど見たことがないわ。本当にロマンチックね」
女神ミケケは草太の側に腰を下ろした。しばらく体を左右に揺すりながら、草太に体を寄せたくなる誘惑と戦っていたが、何とか過去の記憶から来る衝動を抑え込んだ。
「そういえば、新しい青汁の材料ってどの辺にあるんですか? ここから近いなら、俺がパパっと取ってきちゃいますけど」
「あ、青汁の材料ね……そう! そうだったんだけど、ここにはもうなさそうかな」
「それは残念ですね。でも、せっかく来たんだから、もう少しこの眺めを楽しんでいきませんか」
「うん……」
二人は黙って前を見つめていたが、やがて草太が途切れ途切れに語りだした。
「俺、前にもこうやって幻想的な風景を見たことがあるんです。最初は幼馴染と田舎の河原で蛍の群れを見たとき……そして二度目はとても大切な人と山小屋で青い流星群を見たときで……」
とても大切な人という草太の言葉に、ミケケの心は揺れた。
その動揺を隠すかのように、彼女はおちゃらけた感じで言った。
「その青い流星群って、毎年冬に見れる『ブルーシャワー』でしょ。へぇ~あんた異世界に来てから、ちゃっかり恋人なんか作ってたんだ。隅におけないわね」
「そんなんじゃないんです。その人はもういないから……いや、本当はいるんだけど……」
草太はもどかしそうにミケケの顔を見た。
「三度目は……?」
「え?」
「これが三度目なんでしょ。三度目は草太にとってどんな人と見てるの?」
何かを期待するような目で見上げてくるミケケに、草太の胸は高鳴った。
おかしい……なんで、今日のミケケ様もこんなにかわいいんだ。演技が真に迫り過ぎてないか……?
草太は辺りに素早く視線を走らせた。しかし、どこからも撮影している気配はない。
「ねぇ、早く答えてよ」
ミケケの人差し指が、じれったそうに草太の手の甲をつつく。
おかしい……今にもプラカードを持った誰かが、テッテレーとか言いながら出てきてもおかしくないのに……いや、あんなコテコテのドッキリとは番組が違うけど、どうせこれもいつもの青汁のCMじゃないのか?
「何というか、ミケケ様は二度目の人にとても良く似てるんです。彼女は俺にとって全てと言えるような存在でした」
「……こんな時に他の女の子のことを持ち出してくるのは、失礼なんじゃない?」
「本当はそうじゃないんですけど……そうですよね。こんなこと、ミケケ様に言っても仕方がないのに……」
そう言ったっきり、草太は黙り込んでしまった。
「草太……」
ミケケはしばらく草太の悲しそうな顔を見ていたが、やがて青汁の入ったコップを召喚すると、明るい顔で言った。
「はい。落ち込んでないで、青汁でも飲んで元気だして」
「青汁で体は健康になっても、この沈んだ気持ちまでは変えられませんから……」
「大丈夫、これは気分まで良くなる優れモノなの。ただし毎日飲まないと逆に苦しくなるけど」
「それ絶対、変なアッパー系の薬入ってますよね!」
勢いよくツッコんだ草太の脳裏に、かつて行ったやり取りの記憶が蘇る。
落ち込んだ草太を、いつもつまらないジョークでなぐさめてくれた存在。横沢冬美の姿が目の前のミケケと重なった。
「このネタとやり取りのタイミング……冬美と一緒じゃないですか……どうしてミケケ様が?」
ミケケはしまったという顔をすると、横を向いたまま草太の方を見ようとしなくなった。
「正直に答えてください。ミケケ様は本当にあの時のことを何も覚えてないんですか?」
「……何言ってるのか分からないんだけど。これはあたしたちがよく使う定番のジョークよ」
草太はモーティエルの言葉を思い出した。
横沢冬美はミケケを依り代にした存在だと言っていた。それなら、元々ミケケ様が使っていたジョークを冬美が言っただけという可能性もゼロではない。
「でも、なにか腑に落ちないです。そもそも神様がドラッグをネタにします? 神様の定番のジョークというわりには、ネタのチョイスが人間くさいというか……」
草太はここぞとばかりに、さらにたたみかけた。
「それに、さっきからのミケケ様の思わせぶりな言動は何なんですか。どうしてこんな二人っきりになれる場所に連れてきたんですか」
「な、なに勘違いしてるのよ。ここに来たのは、青汁を売るのを手伝ってくれたお礼に珍しいものを見せてあげただけでしょ」
「仮にそうだったとしても、出会った頃のミケケ様と随分違うじゃないですか……どうしてそんなに優しくなったんですか?」
「う、うるさい! そもそも質問してたのはあたしでしょ。人間のくせに身の程知らずだわ!」
ミケケは立ち上がると、その場から逃げ出した。
「待ってください。まだ話は終わってません!」
草太は急いで後を追いながら、ミケケの背中に向かって叫ぶ。
「これが最後の質問です。ミケケ様は俺のことをどう思ってるんですか……俺はミケケ様の気持ちが知りたいです!」
草太は全力で走って追いつくと、ミケケの腕をつかんだ。
「放してよ!」
草太はその言葉を聞き入れず、彼女の両肩をつかんで正面を向かせた。
ミケケは彼の視線に耐えきれないのか、うつむいたまま顔をあげようとしない。
「あんたのことなんか別に何とも思ってないわよ。むしろ、誰かの代わりとして見られて迷惑してるくらい……いい? あたしは神なのよ。人間に恋愛感情なんて抱くわけないじゃない」
草太はミケケの言葉を噛みしめると、一つの提案を申し出た。
「ミケケ様……もしザラメルとの勝負に勝つことができたら、俺の願いを叶えてくれませんか?」
「何よ、自由の身になるだけじゃ足りないっていうの? いいわ……言うだけ言ってみて」
「ザラメルとの勝負に勝つことができたら、俺は自分の気持ちをミケケ様に伝えます……もし、その返事がNOだったら、俺を元の世界に送り返してほしいんです」
ミケケたちが工場に戻ると、ジェノが駆け寄ってきた。
「ミケケ様、大変デス!」
元気のないミケケに、ジェノは少し首をかしげた。
「大丈夫デスか、ミケケ様」
ミケケは深いため息をついた。
さっきの草太の提案は考えておくといってぼかしたが、あのバカとの勝負に勝ったなら受け入れざるを得ないだろう。
しかし、草太の思いまで受け入れることはできない。住む世界や生き方が違う神と人間との契りは、掟で禁止されているからだ。そして、その拒否は草太と離れ離れになることを意味する。
……でも、できるなら、あたしはあの頃のように草太の側で一緒に笑って過ごしていたい。
ああ、どうして嘘なんかついてしまったのだろう。
最初から正直に言っておけばまた違ったかもしれないけど、今さら勝負の途中で打ち明けるわけにもいかない。今はとにかく勝負に勝つことだけ考えるしかない。
「大丈夫じゃないけど、問題が起きたんでしょ……今度はなに?」
「潜入捜査中のジェノサイドプログラムボット・マークIVからの情報によると、ザラメル様が新興宗教とのコラボを開始したそうデス。あっという間に20億の売上をあげて、ミケケ様を逆転。目標達成までの残り10億は、時間の問題だと思われマス」
緊急事態の報を受けたミケケたちは、一瞬で頭を切り替えた。
「思ったより早かったわね……こっちが残り20億を埋めるには時間が足りなさすぎるわ」
「大丈夫です、ミケケ様。こんな時のために頼もしい助っ人を用意してあります」
草太はジェノから携帯電話のようなものを受け取ると、どこかに電話をかけ始めた。
―――
「かかってきた……」
草太の幼馴染の白部奈央子は、TVの画面と青汁の箱に入っていた携帯電話を交互に見ながら言った。
「もしもし、草太?」
『もしもし、奈央子か? 久しぶりだな。色々積もる話もあるけど、今は一刻を争う。CMは見てたか? 奈央子には新興宗教の本山に行って、ザラメルとのコラボ話をなかったことにしてもらいたいんだ』
「まかせて。マークIVさんから教団名を教えてもらったから、場所は分かってるわ」
『無理はするなよ。ザラメルの妨害が入ることは十分に予想できるからな』
「……心配ない。その時は私が力を貸そう」
奈央子の目の前に、仮面の男が音もなく現れた。
「あなたは青汁仮面さん!? こっちの世界にこれるんですか?」
「今二つの世界は青汁で繋がっている。向こうからこっちに青汁を配達したり、青汁で動く携帯電話が会話を届けることができるように、青汁を飲んで生きる私がこっちの世界にこれても、何の不思議もないだろう」
奈央子の問いに、その男は微かに笑ったように見えた。
「草太、聞いた? あのコラボは青汁仮面さんと力をあわせて、必ずご破算にしてみせるわ。だから、その間に草太も新商品を開発して、ザラメルより先に100億の売り上げを達成してよ」
『ああ、まかせろ』
―――
電話を終えた草太は、話が見えないミケケに笑いかけながら言った。
「黙っててすみません。実はジェノがいた古代遺跡からあの携帯電話を見つけて、幼馴染と連絡が取れるようにしてたんです。妨害工作なんて卑怯かもしれませんが、先に工場にスライムをけしかけてきたのは相手の方ですから、ミケケ様が気にする必要はありませんよ」
「そ、それはあまり気にしてないけど……幼馴染って?」
「ああ、奈央子のことですか? 俺が暴走車からかばった子ですよ。まぁ別にそのことがなくても、あいつならこころよく協力してくれたと思いますけど」
「じゃあ草太はその子のために命を投げ出したんだ……ひょっとして幻想的な風景を見た一番目の人って……」
「まさにその幼馴染が奈央子です」
「そう……」