第6話「あのバカあらわる(1)」
神々の住まう天空の神殿、その中でもひと際広々とした書室。
その部屋の中で、男は本を読みながら優雅にグラスを傾けていた。
「ロウベリーはおるか?」
「……ここに」
デスクの前に、白いスーツを着た髪の長い天使が音もなく現れる。
「現状を確認したい。報告せよ」
男は本から視線を外さずに、彼女に言った。
「ザラメル様の売上は70億円、対するミケケ様の売上は25億円です。変なCMや口コミでこちらの予想以上に青汁が売れているようですので、そろそろ対策を打つ必要があるかと思います」
「あんな青くさい水のどこが良いのか、まったくもって理解しがたい。やはり、通販番組なんかを見て商品を買うようなやつは、ネットで検索もできない情弱に違いあるまい」
ロウベリーはその発言はどうかと思ったが、何とかその言葉を飲み込んだ。
「次の新興宗教とのコラボはどうなっておる?」
「難航しております。もう少し時間をいただければ何とか……」
「ふむ。それならば、時間稼ぎをする必要があるな。これをやろう」
ザラメルが指先をくるりと回すと、何かの液体が入ったフラスコが出現した。
「こ、この禁断の薬を使うのですか?!」
「使い方は前に教えた通りだ。あのアホにはちょうどいい足止めになるだろう」
「……分かりました。ではさっそく行ってまいります」
彼女が姿を消すと、ザラメルはグラスに酒をつぎ足しながら、楽しそうに言った。
「さてさて、自らの商い品でどう無様に倒されるのか、これは見ものだな」
草太は驚いた。
いつもの待ち合わせの場所に行くと、既にミケケの姿があったのだ。
「お、おはようございます、ミケケ様……どうしたんですか、こんなに早く」
「おはよう、草太。今日はいい天気だから、早く来ちゃった」
そう言うと、ミケケは嬉しそうに、にっこり笑った。
「そ……そうですね。晴れてよかったです」
草太もつられて笑顔を返したが、心の奥にはいくつもの疑念が渦巻いていた。
今まで遅刻してたのに、どうして今日は早く来てるんだ……どう考えてもおかしい。
今まで挨拶なんかロクにしなかったのに、今日の爽やかな笑顔つきの挨拶は何なんだ……どう考えてもおかしい。
……はは~ん。これは、また青汁のCM撮影なのか。
ということは、もうどこかにカメラがスタンバイされていて、遠くから俺たちを撮っているのだろう。危うくかわいい笑顔に騙されるところだったぜ。
「せっかくだから、サンドイッチを作ってきたの。あとで一緒に食べましょ」
そ~ら、おいでなすった。これが今回の販促アイテムか。
……なら、これは青汁入りのサンドイッチなのか? すごい趣向で攻めてきたな。
あまり味は期待できそうにないけど、いいリアクションを取らないとな……そうそう、今のうちにカメラの位置にアタリをつけとくか。
急に挙動不審になってカメラを探す草太に、ミケケはためらいがちに声をかけた。
「あ、あの……草太、どうしたの?」
「え? いや、何でもないです。今から楽しみだなー あはははー」
かつてモーティエルに壮大なドッキリを仕掛けられたことがある草太は、悲しいことにそれがトラウマとなって、うがった見方しかできなくなってしまっていた。
「ミケケ様、大変デス!」
草太が聞き覚えのある声に振り向くと、遠くからジェノが駆け寄ってくるのが見えた。
「げえっ! 前回地球を破壊したオートマタじゃないか。どうしてこんなところに!?」
「ああ、便利そうだったから、青汁の生産や出荷をまかせてるのよ。もちろん、危ない機能は取り外してあるから安心して」
「へ、へぇ~、それなら大丈夫……なのかな……」
ジェノはミケケの前まで来ると、両手で作った四角の中に映像を投影した。
「ミケケ様の青汁の生産工場で、巨大なスライムが暴れてマス。至急対処をお願いしマス」
そこには、スライムによって壊滅的なダメージを受けている工場内の様子が映し出されていた。
「まかせといて。草太、先に片付けるわよ」
ミケケは二人の肩をつかむと、またたく間に工場内の巨大なスライムの前に瞬間移動した。
立て続けに彼女は灼熱の炎の呪文を唱えた。しかし、巨大スライムには何のダメージもない。
「炎が効かないなら、全ての元素の魔法を撃ち込んであげるわ」
怒りに体を震わせる巨大スライムの攻撃を避けながら、神の魔法を連射するミケケ。
彼女たちのド派手な戦いを見ながら、草太はキョトンとしていた。
「……あれ? 今日はグルメ回じゃなくて、モンスターバトル回なのか?」
「こいつ、しぶといわね……みんな、一旦体勢を立て直すわよ」
ミケケの合図で、三人は工場の裏口から屋外へ逃げ出した。建物から距離を取ると、彼女は一息つきながら言った。
「神の魔法が効かないモンスターは、過去にも一度天界に現れたことがあるわ。その時に原因となる触媒はすべて廃棄したはずなのに……」
「へぇ~、そんなレアなモンスターがピンポイントにミケケ様の工場に出現するのは不自然ですね」
草太の言葉に、ミケケはハッと顔をあげた。
「まさか、あのバカの仕業……!? そう考えればつじつまが合うわ……おのれおのれおのれ!」
「落ち着いてください、ミケケ様。まずは工場の破壊を止めないと! ちなみに前回はどうやって退治したんですか?」
「あたしの究極魔法で倒したんだけど、あれやると全ての力を使い果たすから、あまりやりたくないのよね……でも、これ以上工場を壊させるわけにもいかないし、そうも言ってられないか」
ミケケの言葉を聞いた草太は、彼女が手にしているバスケットを見てピンときた。
「なるほど、今回はそのサンドイッチを食べてパワーアップしたり、使い果たした力を取り戻すことで、青汁の有用さをアピールするわけですね」
「……さっきから何わけわかんないこと言ってるのよ。いいから、これ持って少し離れてて。詠唱に時間がかかるから、後は頼むわよ」
そう言うと、ミケケは呪文を唱えながらトランス状態に入った。
「頼むわよって言われても、俺たちには敵が逃げないか見守るぐらいしかできないんだけど……」
バスケットを手にした草太は、ジェノを連れて後ろに下がった。
半壊した工場の外壁からは、巨大スライムが這い出てくるのが見えた。
「ミケケ様の究極魔法なら、あのスライムでもひとたまりもないとは思うのデスが……」
「どうした、ジェノ。何か気にかかるのか?」
「日光に当たったことではじめて分かったのデスが、あのスライムはどうして緑色をしているのデスか? もし、工場内の青汁を取り込んだのが原因なら、前よりパワーアップしていることは十分に考えられマス」
「確かに……ミケケ様、なんか変です! ストップ、ストップです!!」
草太はミケケに向かって叫んだが、トランス状態に入ったミケケの耳には届かなかった。
「滅しなさい……マダランガ!」
ミケケの放った究極魔法は、全ての生物の息の根を止めて天に帰すはずだった。
しかし、ジェノの懸念通り、青汁とザラメルの触媒から生まれた巨大スライムはその攻撃を耐えきった。スライムは外壁の割れ目から洪水のように流れ出すと、力を使い切ったミケケをあっという間に飲み込んだ。
「ミケケ様……ミケケ様!!」
我を忘れて駆け寄ろうとする草太の腕を、ジェノがつかんだ。
「草太サン、落ち着いてくだサイ。何の策もなく戦っても、同じように取り込まれるだけデス」
「な、なあ……ジェノ。正直に答えてくれ。これは青汁のCMの撮影なんだろ? ミケケ様は真に迫った演技してたけど、本当は無事なんだろ?」
「私にはよく分かりまセン。ただ、あのミケケ様の悲鳴はとても演技には聞こえませんでシタ……」
「そ、そんな……」
草太はその言葉にうなだれていたが、やがて何かを決意するように頭を上げた。
ジェノの制止を振り切ってスライムに向かって駆け出そうとしたその時、彼の足元にストローが突き刺さった。
「誰だ!?」
草太がストローの飛んできた方向、近くの木の上を見ると、そこには仮面をつけた男がマントをひるがえしながら立っていた。
「草太とやら、お前ではあのスライムは倒せないのに一体どうするつもりだ?」
「誰だか知らないが、今は一刻を争うんだ。関係ないやつは引っ込んでてくれ!」
「邪険にしていいのかな。私はあの青汁スライムを倒す方法を教えてやろうとしているのだぞ」
「ふざけるな。お前みたいなうさん臭い風体の男の言うことなんか、信用できるわけないだろう!」
「私の外見はこの際置いておくとして……まぁ聞きたまえ。お前の横にいるオートマタが使える、急速冷凍と真空状態で水分を飛ばす凍結乾燥技なら、あのスライムを倒せるはずだ」
「ほ、本当なのか、ジェノ?」
草太がジェノに詰め寄ると、彼女は首を縦に振った。
「確かにその技は使えマス。戦闘用ではないのでミケケ様に取り外してもらわなかったのデス。でも、その技のことをどうしてあなたが知ってるんデスカ?」
「その技は青汁をフリーズドライにして保存するためのものだ。青汁で動くお前がその技を身につけているように、青汁を飲んで生きる私もそのことを知っているだけのことさ」
「お、お前は一体何者なんだ……?」
草太の問いに、その男は微かに笑ったように見えた。
「私の名前は、青汁仮面……さぁ急げ、時間がないぞ」