第12話「世界から青汁がなくなる日(1)」
天界の書室で、ザラメルはロウベリーの報告を聞いていた。
「苦戦しているようではないか。コラボの時と合わせて人間に二度も後れを取るなど、お前らしくもない」
「申し訳ございません。しかし、青汁にあなどれないパワーがあるのは認めざるをえないかと……」
「確かにここまで食い下がってくるのは、やっかいではあるな」
ザラメルが指先をくるりと回すと、黒い背表紙の本が出現した。
「お前に全てまかせておいても良かったのだが、この勝負は我とミケケの戦い。やはり我も動く必要があるということか……目標まで残り2000万だったが、こんな終わり方も悪くはあるまい」
「そ、その本で何をなさるつもりですか?」
開いた本から漂ってくる瘴気に、ロウベリーは顔をしかめた。
「この世界から青汁を消す。青汁がなければこの勝負も白紙へと戻るだろう」
ザラメルが片手を振り下ろすと、書室は呪術の祭壇へと一瞬で場所を変えた。
「し、しかし、そんなことをしても大丈夫なのですか? どんな影響が起こるか分かりませんが……」
「なぁに、青汁などなくても、世界が滅ぶわけではあるまい」
ザラメルは祭壇にある魔法陣の上に立つと、本を開いて朗々と呪文を唱え始めた。
空中で青汁のボトルのイメージが具現化すると、ザラメルは高枝切りバサミを手にした。
「本源剪定」
高枝切りバサミが青汁をボトルごと真っ二つにした。
ガラスが砕ける音と共に魔法陣が鈍く光ると、世界は静寂に包み込まれた。
「み、水……」
仮面で顔を覆った男が、どこまでも続く砂漠を歩いていた。
ひどい脱水症状で意識を失いかけていたが、ついに熱砂の上に倒れこむと、そのまま動かなくなった。
砂漠の風が男の体を砂で半ば覆った頃、大トカゲに乗ったモヒカン頭の集団が奇声をあげながら近づいてきた。
「ヒャッハー! お頭! 行き倒れの男がいますぜ」
お頭と呼ばれた男は、モヒカン頭のセットを整えながら仮面の男を一瞥した。
「俺たちの任務は強制収容所を脱走した男の捜索だ。そんなのに構っている暇はない……しかしまぁ、金目のものがあるかもしれん。いちおう調べておけ」
「あいあいさー!」
手下は男の持っていたバッグを逆さにしてぶちまけた。
空になった水筒と、しなびた草が砂の上に転がる。
「けっ、本当にロクなものもってねぇ。手間かけさせやがって!」
しなびた草を蹴り飛ばそうとする手下の足を、倒れていた男の手が止めた。
「……た、たのむ……水をくれ」
「うわっ! 生きてやがったのか。お前みたいなくたばりぞこないに、やる水なんてねぇよ」
「私ではない……その草に必要なのだ……」
「こんな雑草に貴重な水を!? へっ、どうやらこいつ頭イカれてるらしいぜ」
モヒカン頭たちの嘲笑を受けても、男は毅然とした態度を失わなかった。
「雑草ではない……これこそ青汁の主原料となる緑葉野菜なのだ。世界中で異常気象が起こっているのも、人々の心がすさみ争いが絶えないのも、これで青汁を作ればきっと……」
「青汁? 何だそりゃ。こんなもん、トカゲの餌にもなりゃしねぇよ」
モヒカンが乗るトカゲは、しなびた草を踏みつぶそうとして足をあげた。
「や、やめるんだ!」
男は草を抱きかかえるようにして守った。トカゲに踏みつけられた重みで砂に顔が沈んでいく中、囚人服を着た男が蜃気楼のように近寄ってくるのが見えた。
「もうやめておけ。それ以上はこの俺が……勇者、草太が相手になろう」
モヒカン頭の男たちは草太を囲むと、手にした斧を構えながら言った。
「わざわざ捕まりに戻ってくるとは、よほどのアホだな。さぁ、強制収容所で死ぬまでアサイースムージーを作る作業に戻るんだ」
「逃げたんじゃない。この男を迎えに来ただけだ」
草太は仮面の男が手にしている草を見ると、安堵のため息をついた。
「こんな終末世界でもまだ残ってたんだな……よく探し出してくれた。さぁ、一刻も早く元始の神殿に行こう」
草太が側に行って抱きかかえると、砂の上に仮面が落ちて白い長髪が下に垂れた。男があわてて仮面をつける様を、草太は口を半開きにして見ていた。
「あ、青汁仮面の正体はあんただったのか、魔王。わざわざ顔を隠すくらいだから、俺はてっきりモーティエルさんかと……」
「私はモーティエル様と親しくしていてな……よくお前のことを話してくれたよ。おっと、話はあとだ。今はこいつらを何とかしてくれ」
「まかせてくれ。あんたから教わった秘技を、どれだけものにしたか見せてやるよ」
自然体で構える草太に向かって、トカゲに乗ったモヒカンたちが斧を振りかざして突進してきた。
「見るがいい。これが失われし青汁の力だ」
草太が緑色の光に包まれると、モヒカンたちの断末魔が砂漠に響き渡った。
草太と青汁仮面は砂漠を越えた先にある、朽ち果てた神殿の中を進んでいた。
「本当にここで青汁を作れば、世界を修復して……ミケケ様が戻ってくるのか?」
「ああ。私の調べた通りにすれば、間違いない」
「でも、青汁がいくら万能とはいえ、消えた神様まで戻せるなんて……」
青汁仮面は不安げな草太の横顔を見た。
「心配しなくていい。それは青汁の効能というより、必然というべき結果だ……だが、すんなりとはいかせてくれないようだな」
二人が神殿の奥の祭壇にたどり着くと、そこには神と天使が立っていた。
「お前が草太か……」
彼の声を聞いただけで、草太は頭の上から踏みつけられたように萎縮した。
「このとんでもないプレッシャー……お前がザラメルだな。ミケケ様の無念、晴らさせてもらうぞ!」
少しずつ歩を進めようとする草太を見て、ザラメルは鼻で笑った。
「威勢がいいのは結構だが、剣も青汁もないただの人間に何ができるというのだ?」
高枝切りバサミを手にしたザラメルに続いて、ロウベリーもアサイースムージーのグラスを掲げた。
「あなたのことは敵ながら一目置いていました。だが、それもここで終わり……せめて、青汁と同じく跡形もなく消してあげましょう」
草太は二人に相対しながら、青汁仮面に呼びかけた。
「なぁ……一応聞くけど、奈央子に教えたみたいな、天使や神に対抗する秘策とかないよな?」
「あれは女性だからできた反則技みたいなものだからな。お前には無理だ」
「ははっ、無理か……じゃあ、仕方ない。正攻法で神を越えさせてもらおう!」
「よくぞ、そこまでほざいた……その首切り落としてくれる!」
一瞬で間を詰めたザラメルが、高枝切りバサミで草太の首をはさみ込もうとする。
しかし、その両刃は緑色の光を放つ草太の手によって阻まれた。
「ぐっ……これは一体どうしたというのだ……」
「あんた『酔拳』って知ってるか? 酔えば酔うほど強くなると言われる中国に伝わる武術だ」
「知らん……それがどうした」
「こっちの世界じゃ映画もないから無理もないか……まぁいい。俺と青汁仮面はそれとよく似た闘技を体得していてね。青汁を飲めば飲むほど強くなるその闘技の名前は『青飲拳』と呼ばれている」
草太はバク転をして間合いを取ったあと、青飲拳の型を決めた。
千軍萬馬 一旗の風
宿星傾き 荒涼に死を決す
沈思丹誠 遙かに青飲すれば
我が心は 雪後の空よりも青なり
「ふざけるな……仮にその闘技で対抗できたとしても、肝心の青汁があるまい!」
「神や天使や魔王にはなくて、人間にはあるもの……それは力を持たないがゆえに極限まで高めることができる想像力だ。俺はこの世界から青汁が消えた後も、こうやってずっと飲んでいたのさ」
草太は、まるで青汁のグラスを手に持っているように傾けながら、喉を鳴らした。
「そう、これこそが『エア青汁』……暴走する神を止める青き正義の鉄槌だ!」
高らかに言い放った草太に気圧されて、ザラメルは後ずさった。
「存在ごと消したのに、まさかそんな手があるとは……」
草太は半身に構えた後、長い息を吐いた。
「かかってこい……神と天使、まとめて相手してやる!」




