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ロゼルの孵化  作者: 汐の音
八歳篇
9/41

8 美しい、ということ

「つまり。血を通わせるという意識が必要なんです。――これは、僕の持論なんだけど」


 ぴく、とロゼルは片眉をあげた。……始まった。

 イデアは気づいていないかもしれないが、かれは、こと絵に関して白熱すると敬語を忘れる傾向にある。

 最初は計算ずくの急変かと思い、いろいろと警戒した。でもこの男の場合、すべてが“素”らしい。


 ガタガタン、ゴトン! カラカラカラ……と、馬車は街道の石畳の窪みか何かに引っ掛かったあと、また滑らかに走り出した。

 車窓の外、緩やかに流れる街の景色に少女は目を細める。耳は一応、かれの言葉を(あま)さず聞いているのだが―――


 向かう先はレガティア芸術学院。イデアが卒院したばかりの学舎(まなびや)で、いずれ長じたロゼルが通うことになる学院でもある。


 (どうしよう。楽しみ過ぎる……まさか、本当に見学に行けるとは思わなかった)


 そわそわと、嬉しそうに頬を染めるロゼルは今日も男装だ。

 サスペンダーで吊った黒い半ズボン。黒の膝丈ソックスに艶のあるアンティークブラウンの革靴、白いシャツの襟を飾るタイは天鵞絨(ビロード)の細い黒リボン。上から濃いグレーのジャケットを羽織っている。


 母は「男の子ができたみたい。新鮮ね!」と喜び、専属侍女は「……いえ……わかってましたから……」と力なく微笑んでいた。ほかの使用人達も、すっかりロゼルを若君として扱い始めた節がある。


 そんな中。

 客分に近いイデアには、女装――つまり本来の姿など一度も見せてはいないのに。


 かれが教師として邸に住み始めて、今日で十日目。

 かれだけは一貫して、ロゼルを女児として扱っている。




   *   *   *




「……で、ですね。……聞いてましたか? ロゼル様」


「あぁ、もちろん。先生の声ならいつでも耳に入れるようにしてある。

 ――対象物の内包する、あらゆるものを想定しうる情報の不可欠。想像することの重要性。見たままの誠実な複写、つまり意図的な再創造はもとより、いかにその本質を(えが)けるか―――が、リース先生が普段心掛けておられることなのでしょう?」


「……えぇ、はい。まぁ……その通りです」


 すらすらと愛らしい唇から溢される、八歳とは思えぬ美術論の復唱。

 イデアは舌を巻いた。まったく――この()()は!


 ロゼル本人や邸の人間は気づいていないかもしれないが、ロゼルには、初見の人間の意識を束の間、鷲掴みにするほどの“華”がある。


 イデアは観光街にほど近い平民街で生まれ育った。両親は観光客向けの中規模商店を営んでいる。

 その土産物屋には流行の最先端の小物や服飾、風光明媚なレガートを写した額入り絵画などが飾られ、そのどれもがうつくしかった。

 ごく小さな頃から“目”は磨かれていたのだと思う。


 訪れる客層は様々だったが、大抵は寛いだ表情で好みの品を定め、とても楽しそうだった。

 購入如何(いかん)は各自の(ふところ)事情によりけり。好みは千差万別。――それも学んだ。


 けれど時々、どの観光客も足を止め、見入る商品というのも稀にはあった。


 それは特産の淡水真珠と精緻なレース、銀鎖(ぎんさ)に碧玉を連ねた首飾りだったり。みごとな朝焼けのレガート湖の一瞬を切りとった如き絵画だったり。

 得てしてそういったものはすぐに売れてしまう。店頭で競りになることも、ままあった。


 万人が惹かれてやまないもの。理由なく心を掴まれ、手に入れたいと欲するもの。

 ――それこそが、追求すべき“美”だと青年は考える。


 (このお嬢様は……おそらく、自分のうつくしさに気づいていない)


 少年と見紛う凛とした空気。

 束ねられた髪から覗くほっそりとした白い首。

 本格的な成長前の、まだ柔らかさを感じさせるすらりとした手足。

 春先の枝に、新緑の若芽が無防備に姿を晒したようなあやうさ。


 容貌を含め、その外見だけでも充分魅力的なのに、……特筆すべきはその内面だ。八歳らしからぬ大人じみた言動に、時おり実に子どもらしい無邪気さが混ざる瞬間がある。


 それが厄介。


「……」


 これ以上の思考は身の破滅を招く気がして、イデアは軽く嘆息した。

 かれもまた、車窓へと目を向ける。


 ポックポック……と、二頭立ての黒塗りの馬車は進む。少年の姿をまとう少女の望み―――イデアの卒院制作を(じか)に鑑賞したいという願いを叶えるため。


 やがて木陰涼やかな森を抜け、突如ぱっとひらけた視界の先、一面の空の青を背景に。

 (くだん)の学舎が見えた。

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