6 ロゼルの反撃(前)
(うん。やっぱり、わからない)
さんざん難しい顔で一枚のスケッチを眺めたロゼルは、脱力してぼふん、とそのまま仰向けに倒れた。――寝台の上に。
寝間着は、さすがにまだネグリジェだ。そこまで身も心も少年になりきれているわけではない、とロゼルは考えている。
そのくせ、もう日中はドレスやワンピースを着れそうにないな……とも。
ごろんと寝返りを打ち、横を向きながら再度眺めた。
おそらくは、成長した自分なのだ。わからないのは―――
「どうしてあの男、私が女だとわかったんだ……?」
ぼそり、と一言。その一点に尽きる。
母からも侍女からも「違和感がなさすぎる」と絶賛され、自分としてもかなり自然に過ごせたと思う。ここまで来たら才能の一種だよね、とは父からの言。
多忙な父は結局、昼食をともにすることなく再び東へと発ってしまった。相談するにも―――母は夜、この時間は劇場だ。観劇ではない、仕事で。使用人である侍女達に迂闊に溢せるたぐいのことでもない。
「しょうが、ないか――」
明日、あの男に直接訊こう。そう決めたロゼルは潔く、そのまますぅ……と、寝入った。
* * *
「と、いうわけで……教えてくれないか? リース先生」
きょとん、と。青年は銀縁眼鏡の奥の水色の瞳を瞬かせた。そうすると実年齢より少し幼く見える。そういう瞬間がたまにある男だな―――などと見つめていると、ばつが悪そうに視線を逸らされた。解せん。
「思った以上に素直な方なんですね。もっと、いけすかないお嬢さんかと思ってました」
「……なんの話だ? そもそも、昨日初対面だろう。先入観の持ちようがないと思うんだが」
「うん、でも……まぁ、骨格を見たらさすがに女児だとはわかりますよ。パーツのすべてが繊細で、ただほっそりしてる男児とは明らかに違う。貴女の場合は独特な雰囲気も、ですが」
「骨格……雰囲気?」
「そう。――失礼、実際に触ったほうが解りやすいですね」
言うが早いか、イデアは小さなロゼルに近づくべく、掛けていた一人掛けのソファーから腰を浮かせた。
昨日と同様ロゼルの私室だ。人払いはしてある。テーブルの上には、互いにまだ口を付けていない茶器が二揃い。ソファーセットで向かい合う形で座っていたが、青年はおもむろに席を立った。
テーブルを回り込み、二人掛けのソファーに掛けていたロゼルの右隣に腰を降ろす。きし、と軽くスプリングの軋む音がして、ロゼルの身体が右側に傾いた。
(あぁ、そうか。エルゥはまだ軽いもんな。こんなには沈まない)
何となく隣家の少女と並んで座ったときを思い出し、距離が近くなった教師を見上げる。
青年は、少女と目を合わせず膝の辺りに視線を落とした。つられて目で追いかけると―――そこにあったのは、青年の大きく骨ばった手の甲。手のひらを下に向けて差し出されたそれは、青みがかった血管もたやすく見てとれる。
ロゼルは首を傾げた。
「手、だね?」
「えぇ。どうです? 貴女の手とは全然違うでしょう?」
「……違うな。うん。それはわかる。でも、なぜ『触ったほうが』なの? 見るだけでも結構わかると思うんだが……」
ちら、と深緑の視線で右隣を窺う。
青年は珍しくとても困った表情をしていた。何があっても動じなさそうだった眉を苦渋の形にひそめ、「う~ん……」と低く唸っている。わけがわからない。
やがて息をそっと溢すと、意を決したように水色の瞳をこちらに向けた。
「僕から気安く触れるわけにはいかない気がするので。貴女から触ってもらえませんか? 手、だけで構いませんから」
今度はロゼルが、きょとん、と目を瞬いた。
なんだこれ。昨日とは別人か。
(まぁいいか)と、わりとあっさり切り換えた少女は遠慮なく青年の手をとった。
そのままみずからの膝の上まで引っぱり、観察がてら思うままに触れて、指の長さや太さまできちんと確認してみる。
――なるほど。節張ってるし、さらっとしてるけど全然柔らかくない。手のひらも分厚い。
合点が行った少女は視線を教師の手に落としたまま、淡々と思うことを述べ始めた。
「たしかに違うね。うちは父が大抵いないし、家令とも触れる機会はない。使用人達はもってのほかだし……あまり、他人そのものと触れたことはなかったな。手を繋ぐのも友達の女の子くらいで……――ん? どうした? リース先生」
何となく動揺の気配を察し、抱え込んだ成人男性のがっしりとした腕の先に目を遣ると、かなり微妙な表情のイデアと視線が絡んだ。……顔色は変わっていないが、明らかに狼狽している。
ロゼルは「?」と、小首を傾げた。自然と青年の顔を覗き込むかたちになる。青年の腰が若干浮いた。引いてる。まさか―――
一拍、遅れて確信へと至る。
「……まさか、自分から『触れろ』と言ったくせに照れているの?」
ぐぅっ、と喉が詰まったような音。
あぁ、なるほど―――そうかそうか、と。
ロゼルの内心で、ちょっとした意地悪心が鎌首をもたげた。