39 吐息も何もかも
小温室の外観は大きな鳥籠のようだった。
すかした雪を盛られた、幾つもの小山の向こう側。
年の瀬を前の真冬に、奇跡的な快晴が広がっている。
「……すばらしいですね」
思わず呟く。とたんに肺を満たすつめたい空気。
にも拘わらず青空の下、鳥籠のなかには春が閉じ込められていた。
「失礼。お足元にご注意を」
騎士が一人、先だって歩いてゆく。
皇宮を飾る花を栽培するための温室は、係の者が出入りしやすい表の区画にもある。
ここは皇族や、それに近しい者のための憩いの場。
ゆえに、さほどの華美は必要とされない。こじんまりとした公園と呼べそうな中庭で、それとなく木立に囲まれている。ほっと一息つける四阿のようでもあった。
キィィ、と扉が軋む。
中に入ると目に映るのは、背の高くひょろりとした木に絡みつく南方の蔦植物。段で分けられて並ぶ鉢植え。直接地面に植えられた茂みもありつつ野放図ではない。花は美観を引き立て合うように配置され、そこかしこで咲いている。
むせかえる緑の気配。今度は花の甘い香りが胸に満ちた。
板が渡された細い道の向こうには、丸テーブルと椅子が設えてあった。ご丁寧に長椅子もある。
供をしてくれた騎士に、ノエルは「ありがとう。ここまででいいよ。戻ってて」と告げた。
もの慣れた騎士は「は、殿下」と、あっさり踵を返す。
――本当に、いなくなるとも思えない。ただ距離を置いてくれるのだろう。
パタン、と白木で縁取られた透明な硝子の扉が閉まる。
ノエルは、ロゼルの手を引いた。皇王そっくりの琥珀色の瞳が伏せられ、いとおしそうに彼女を覗き込む。
「一昨日ぶり。ロゼ。どう? 考えてくれた?」
* * *
春めいた陽射しを頬に受け、ロゼルは肩の力を抜いた。緊張の第一段階は終了している。今は第二段階。
「もちろん、考えました。おかしくなりそうなほど考えました」
らしくない長考だったと苦笑する。
随分じっくり時間をかけた、お膳立てされたお見合いだった。
周囲の気遣いはやさしかった。無事に芽吹き、すくすくと伸びて欲しかったのだろう。自分とノエルの間に、恋心を。
(……)
眉がひそむ。
つきん、と痛む。
握った左手が、勝手に胸を押さえた。
ノエルと過ごせた、限られた時間。
四年間のうちの僅かな日数――それらは、一昨日の求婚も含めてたしかに特別なものだった。
それだけは、伝えたかった。
「ずっと……家督を継いで。片腕となり側近として、即位した貴方を支えるのだと思っていました。この手で描きたいと渇望するものを一生、心のうちに追いながら」
「僕も。……きみに、妃としてずっと支えてもらえたらと願ってる。生涯変わらずに」
「こういう時の貴方は、本当に真っ直ぐだ」
ぽろり、と敬語が抜け落ちる。
ノエルは、それは甘やかな微笑で受けとった。
「寄り道も回り道も、必要ないと思ってるからね」
すがめられた瞳は、この上なくやさしい。
ロゼルは、反射で少しだけもう一人の求婚者を思い出した。
――かれは、違う。
こんなにやさしい目をしない。のほほんと、ふだんは穏やかなくせに、内側はとても狂おしい。
突拍子もなく求めてくるのだ。
おかげでこっちはもう、どうしたらいいのかわからないほど追い詰められた。追いかけてるのだと思ってたのに。
年齢差も身分差も、あちら側からはあってないようなものだった。
(私には充分遠いのに。まだまだ、全然遠いのに)
けぶる空色のドレスに視線を落とす。
ノエルは、そっと嘆息をこぼした。
エスコートした手と、腰に当てた手でロゼルを引き寄せる。
「残念。私では、だめだった?」
「……どうして……こんなときまで、優しいんですか」
まだ『だめ』とも、『いい』とも言っていない。なのにノエルは答えを先回りしてしまうのだ。
冬の光を弾く銀の髪。整った顔がゆっくりと近づいて、頬の横を素通りした。
耳許で、染み入るように「好きだから、かな」とささやかれ、感情がごちゃ混ぜになる。目の前が白くなるほど、くらくらした。
乙女みたいに震える吐息で、必死にこぼす「ごめんなさい」は、すべてを言いきれなかった。
抱き寄せられた、皇子の胸に。
力強い腕のなかに、吸いとられたから。
――――ちょっとだけ、泣いたと思う。
水色の空。
晴れてるのに、硝子窓の外側ではまた、ひらひらと雪片が舞い降りていた。




