3 切っても、いいんだけどな※
時は、夫婦の邂逅より少し遡る。
「いいこと? ロゼル。やるなら徹底的にやるのよ!」
―――と。
今朝がた偶然、娘の部屋を訪れたキーラ画伯婦人ミシェルは、嬉々としてその企てに賛同した。
具体的には今のロゼルにぴったりな、質のよい衣服を揃えてくれたわけだが。「……母上、これはどこから……?」と聞くと、とてもいい笑顔でおっとりと答えられた。
「わたくしね、観光街の劇場で美術顧問もしてるでしょう? 劇の衣装はひととおり押さえてあるのよ。管理はここでやってるの」
「そうでしたか……」
思いつきの悪戯は、いまや劇場の美術顧問の後押しを受けてかなり堂に入ったことになっている。
* * *
ロゼルは、姿見に映る自分を見た。
……しっくり来る。
白いシャツチュニックは、襟に同色の絹糸で蔦の紋様の刺繍が入った品のよいもの。寸法もちょうどいい。
上に羽織ったベストは前が濃茶色、後ろ身ごろが黒の丈が短いもの。タイの代わりに黒い革紐のチョーカーをあてがわれた。菱形の銀の留め具がそのまま飾りとなり、二本に分かれて揺れる革紐を胸元でまとめている。
何より、すっきりと感じるのがシンプルな細身の黒いズボン。足元は「今日のところは、とりあえずこれかしらね」と、黒い手持ちのブーツを指示された。
どこから、どうみても……
「似合い過ぎだな。男装……どうしよう。もっと早くにすべきだった」
「物騒なこと、仰らないでくださいロゼル様ったら」
娘の悪戯に嬉々として加担した奥方が去ったあとである。
姿見の端で、選考から外れて散らかされた衣服や小物を黙々と片付けていた侍女が、素早く苦言を呈した。
――が、困ったように笑んでいる。「似合う?」と訊くと「そりゃもう!」と、即答された。心なしか彼女の頬は赤い。
「私がお仕えしたのは若君だったのかしら? と思うほどの出来映えですよ! 奥様から画伯様への根回しは完璧でしょうし、どうぞ存分に今日はそのお姿でお楽しみくださいませ。ですが……」
ふいに、言いにくそうに口をつぐむ専属侍女。ロゼルは先を促した。
「ですが?」
「お似合い過ぎですので、明日からもその装いをなさるのではないかと……危惧しております」
「だろうね」
ふ、と口の端をわずかに上げる、特徴のある笑み。少女の姿では斜に構えて扱いづらい令嬢に見えたそれが、少年の装いとなった彼女の場合、とても華やかに映る。
ほうっ……と、思わず見とれた視線の先で、幼いながらどこか艶をまとった焦げ茶の巻き毛の―――少年は、侍女に背を向けつつ無造作にみずからの髪を首の後ろでまとめ始めた。
「これ、どうする? 切っちゃ――」
「切りません!」
侍女の反応速度が格段にあがっている。被せられた。
くすくすくす、とロゼルは楽しげに、口許に
人差し指のつけねを当てる。とてもご機嫌な主の様子に、侍女もつい頬を弛めた。
「さ、そちらにお掛けになって。今よりいっそう少年に見えるよう、うなじの後ろで束ねて差し上げますから」
「そう? ありがとう」
ロゼルは素直に応じ、鏡台の前へと移動した。
かたん、と椅子をひき座らせる。簡単に髪を櫛梳り、焦げ茶の髪に艶を出してから細い、サテンの黒いリボンできゅ、と括った。
「……いかがですか?」
鏡の中の、理知的な深緑の目をした少年に問い掛ける。
もはや、誰が見ても疑いなく若君と思うだろう姿となったロゼルは、にこっと目許を和ませた。
「うん、満足。―――ありがとう」
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※八歳の男装ロゼルのイメージはこちら。