38 謁見
翌朝、ロゼルはミシェルに伴われて皇宮を訪れた。皇妃のお気に入りの画伯夫人とその娘は、数多の女官に付き従われて、恭しく奥宮へと渡る。先頭は皇王の侍従。
ほんのり青みがかった石を幾何学模様に嵌め込んだ壁。リコリスの花が白から薄紅へと色を変えるように生けられた、大きな花器。
それらを深緑の瞳に映して令嬢は歩く。
隣をゆくミシェルは落ち着いた臙膩色のドレス。奇はてらわない基本的なデザインのそれは、慎ましやかで華やかな貴婦人そのもの。
対するロゼルは花曇りの空色。澄んだ水色にわずかな灰色とラベンダーを垂らしたような、けぶる色合いは――
ちら、と娘の装いを見つめたミシェルは閉じた扇子を口許に当てた。
(自分で選んだのよね、この衣装)
似合ってはいる。盛装で、との条件も満たしていた。が、あえての色使いなのだと邸を発つ際、はっきりと告げられた。
「ねぇロゼル」
「はい? 母上」
切ってしまった髪をうなじで束ね、付け毛で作った幾筋もの三つ編みでドレスに見合うボリュームにしている。
目線は、ほぼ同じ。大きくなったな……と、改めて目を細める。
まるで、まぶしいものを見るように。
「今日の謁見は正式なもの。お話をいただいたときから組み込まれた日程だけれど、貴女の気持ちはそのままで」
「は」
――それは『はい』か。或いは『は?』か。
前者だな、とミシェルは笑んだ。広げた扇で口許を隠し、ふわりと顔を寄せる。「好きなように、おやりなさい」
耳許でささやかれた小爆弾に、ロゼルはくすくすと笑った。今度はしっかり「はい」と答える。どこからどう見ても甘やかな、見目麗しい母娘だった。
カツン、と一際高く、案内の侍従の踵が鳴った。
「キーラ画伯家ミシェル夫人、ならびに第三息女ロゼル嬢をお連れしました。陛下、ならびに妃殿下にお取り次ぎを」
身の丈よりはるか上。天井まで届きそうな大扉は既にひらかれている。
控えていた別の侍従に案内されるまま室内へ。
ロゼルは生まれて初めて、謁見の間へと立ち入った。
* * *
「ようこそ、夫人。それにロゼル嬢。顔を上げて」
直接の許し。
皇王マルセルの柔らかな声に誘われ、ロゼルは伏せていた面を上げた。
広々とした空間。厳かな佇まいの部屋だった。天井は高く、左手の壁一面が硝子窓。
あまりじろじろ見るわけにいかないが、壁に施された彫刻柱から伸びる蔦の意匠がドーム状の天井で組合わさり、絵画的なステンドグラスを気ままに飾っていた。
(どうしよう。見たい)
思わず本能のままに凝視したくなるが、ぐっと堪える。
今はだめ。何しろすべてが記録に残る正式な場なのだ。
残念ながら努力の甲斐なく、ロゼルの揺るがぬ持病は軽々と周囲に伝播した。ともすれば堅くなりがちな場の空気が、ふいにほどけて和らぐ。
皇王の隣に掛ける皇妃は、楽しげな笑い声を響かせた。
朗らかで、花のよう。
『嫁して子を四人成しても、なお色褪せぬ』と、評判の美貌と気質の持ち主だ。皇王の気配とはまた異なる、うつくしさの中に凛と通った意思を感じさせる女性だった。
結い上げられた金糸の髪。紅の瞳。
おそろしいほど整った容貌がにこり、と微笑む。まなざしは親友と言って差し支えないミシェルに。次いで初対面のロゼルに向けられた。
「いらっしゃいロゼル嬢。お会いできて嬉しいわ」
「勿体ない仰せにございます、皇妃様」
匂いやかな、若々しい令嬢姿のお目当ての少女。
意外にも涼やかな、きっぱりとした応えに皇妃――雪花はいっそう笑みを深めた。「話に聞いた通りの子ね」と、どこかわくわくしている。
いたずらな視線を投げ掛けられ、ミシェルも小声で答える。
これくらいなら、記録には残さないでしょう? と言いたげに。
「ふふっ、親でも一筋縄では参りませんわ」
「まぁまぁ、我が国の誇る美女の語らいはあとにして。……ノエル?」
「は、陛下」
壇上の父から話しかけられたノエルは、皇王譲りの柔和な声音で応じた。
「外はこの通り雪だが、幸い晴れている。中庭の小温室でも見ておいで。ロゼル嬢が望むなら、薔薇を好きなだけ差し上げるといい」




