32 冬のロゼル※
親友の家――バード楽士伯邸は庭を含め、およそ貴族の屋敷らしからぬ変わった造りをしている。
ふわふわと可愛らしい綿雪が舞い降りるなか、ロゼルが単身徒歩で隣家を訪うと、門を守っていた守衛の男性は「ご案内します」と、にこやかに申し出た。
「頼む」
「は。では、お足元にご注意を。当家の雪かきは何ぶん、最低限なもので……」
「構わないよ」
ロゼルは、にこりと笑んだ。
肩口で揃えられた豊かな焦げ茶の髪が、なめらかな頬の線を華やかに飾っている。
前髪に見え隠れする凛々しい眉。理知的な深い緑の瞳。薄く色づく品のよい唇は、どことなく禁欲的な色気を滲ませている。
身ごろに沿った、仕立てのよい白いコートは艶のある銀狐の毛皮で縁取られたフード付き。それを被っている。
ぴんと伸びた背筋。すっきりとした所作。迷いのない足運び。
――総じて、十四とは思えぬ凛としたうつくしさと、年相応のあやうさを含む佇まい。
ロゼルの存在感は、きん、と冷えた雪景色に妙に映えた。
「……」
男性は暫し、かれに見とれて再び我に返った。慌てて「こちらです」と、真っ白な径を分け入る。
(あ)
本当は令嬢なのだと、あとから思い出した。
* * *
今朝、髪を切ってしまった。
昨夜はぼんやりと寝てしまったが、侍女が来る前に目が覚め、寝台で身を起こした自分が「女」でしかないことに、急に心許なさを覚えて。
夜着が女物だったからかもしれない。
室内履きに素足を入れて、鏡に向かった。
姿見に映る少女は憮然としており、フリルやリボンの付いたネグリジェは、まったくもって似合わない。
(侍女達の趣味だよな、これ……)
ほぼ、衝動だった。
鋏をとり、胸下まで伸びた焦げ茶の巻き毛を左手で掴むと、次々と切り落としていった。
房ごとに、くるんくるんと渦巻いていたので非常に切りやすかった。
膨らんだ胸部にも違和感を覚えた。
これじゃ女扱いされても仕方ないか――と憂えた瞬間。ぴん、と思い付き、ごそごそと衣装箱を探る。
『あった。これ、ちょうどいいな』
底のほうから引っ張り出したのは、包帯よりも幅広の細長い白い綿布。たしか「さらし」という。
先日、母が用意してくれた新しい男装用一式から出てきたのだから、つまりはそういうことだろう。
夜着の胸元をゆるめて肩から滑らせると、すとん、と足元に落とす。胸の膨らみが目立たぬよう、ぐるぐると巻いてみる。留め具がきちんとあるのが素晴らしい。
それから、肌着と適当に見繕ったシャツに袖を通した。ズボンは――黒でいいや。
『……凄いな。さすが母上。わかってる』
どこからどう見ても、細身の少年。
無造作な毛先が相まり、気のつよそうな猫みたいな令息だ。
よしよし、と腕を組み、満足げに頷いていると。
カチャリ。
『失礼いたします、お嬢さ…………、まーーーーーーーッ!!???』
がらんがらんがらん。
手に持っていた空の真鍮製容器が床に転がった。彼女の後ろで洗顔用の水差しを抱えていた侍女が、ぎょっとする。
『うるさい』
『うるさい、じゃありませんわ。お嬢様! あぁぁ……、ひどい。いつかなさるんじゃないかと危惧しておりましたが、学院入学目前でこんなこと……、本当にひどい!!
髪は、一朝一夕では伸びないんですのよ?? 採寸した女物の制服が! 似合わないではありませんか!!? こっそり、夜会用のドレスだって新調していましたのに!!!』
『……』
専属侍女の、あまりの剣幕に口を閉じてしまう。かなりのショックを与えてしまったようだ。
(二回も“ひどい”って言われた……)
それはそれで面白くないのだが、切ってスッキリしたのは間違いない。「さらし」も大正解だった。
なので。
『わかった。私が悪かった、二度と勝手に切らない。だから――』
はい、と悪びれずに鋏を差し出した。
『後ろ、揃えてくれる? 自分じゃよくわからない』
『泣きそうですわ……、ひどい方! あぁもう。これでまた、凛々しいご子息ぶりに拍車がかかってしまうではありませんか……』
しょぼん、と項垂れた侍女には申し訳ないが、ロゼルは見るものがうっとりするほど独特の雰囲気を湛えて微笑んだ。
『三度も“ひどい”って言われるの、いっそ新鮮だね。悪い男にでもなったみたい』
『そう思われるのでしたら、せめて、もう少し私どもに優しく振る舞ってくださいませ……!』
盛大に落とされるため息。
水差しを運んでいた後続の侍女は床に散乱した髪に目を止めて、箒を取りに行きますわ、と姿を消した。
早朝、冬のキーラ邸。
その騒動の一幕を経て、うなじに当たる軽やかな毛先を楽しむロゼルがいる。




