31 惑う姫君※
(まて。待って、ちょっと待て……!!)
唇を塞がれるのは初めてで、これが口づけなんだということはわかる。わかるが。
ぷはっ、と辛うじて身をひねり、腕のなかから抜け出すとまた抱きすくめられそうになる。
ロゼルは慌てた。
「なんで……、何で私なんだ!? おかしいだろ!」
「いえ、ちっとも」
銀縁眼鏡の奥のまなざしは真剣そのもの。申し訳ないが少し怖い。
あっという間に両手首を片手で捕まれてしまった。「失礼」の断り文句と同時に腰を引き寄せられ、膝の上に乗せられてしまう。
唖然として、一言。
「本当に、失礼だ……昔から。リース先生は私を何だと」
「お慕いしています」
「…………は?」
イデアの膝越しなので馬車の振動が伝わらない。けれど、乗り心地云々以前に気恥ずかしさで爆発しそうだった。
すでに許容範囲を越えている。この上、なんの告白か。
「ずっと、お慕いしていました。女性として」
「嘘、だろ……私はまだ子どもだぞ? 十四だ」
「嘘じゃない。たしかに貴女は未成年だが、もう我慢の限界です。第一、ノエル皇子から求婚されたじゃありませんか」
「――ッ、こら! 先生っ……やめ……!?」
捕まれた手首の内側や手のひら、あらゆるところに口づけられている。とても切ない表情で。まるで、ものすごく大切なひとへの贖罪か何かのように。
不覚にも、ぞくり、と身震いした。
目が合う。流した水色の視線に容易く絡めとられる。
近づく、穏やかな年長者の顔。そのくせ切羽詰まった瞳の光にほだされる。
(……なん、なんだ。これ……?)
自分の体じゃないみたいに、固くて広い胸に。意外と力強い腕に抱きすくめられて、うまく拒否できない。
まるで、こうされることを求めていたみたいに。
溶けるような二度めの口づけもやっぱり、やたらと有無を言わさず、優しかった。
ただ。
「せん、せ……」
「『イデア』と呼んでいただけませんか。
かれではない、僕を夫に選んでください。きっと、今以上にイヴァン様の片腕として働けるよう頑張りますから。……やがて当主となる貴女のためにも」
「!」
じわり、と疼く胸の痛みがある。
どうしよう。
今、自分はとてつもなく「女」なんだと思う。そのことに。
――――戸惑う。
痛みは、あれだけの想いを打ち明けてくれた皇子によって生まれたもの。
不可解なほど、脳内が痺れるような喜びはイデアによって。
言葉一つ。体で触れあうこと一つで、こうも何かを刻みつけられるのかと、また震える。
年若い乙女でしかない膝の上のロゼルに、イデアは猛烈に甘く容赦なかった。
頬に。額にと軽く口づけの雨を降らせて囁きかける。もちろん抱いたまま。
「僕自身からも、ご両親にお伺いを立てます。どうかご検討ください。――と、言いますか」
ふわり、と耳から直接流し込むように告げられた。
「僕なしで、いられますか? 貴女でなければだめなんです。貴女が大人になるまで、きちんと待ちますから」
「!」
何を待つと言うのか。
いや、すでに色々と待ったなしだろう……?
と。
抗議の言葉は上向けられた頤に落とされた唇や人差し指に、あっけなく封じられた。
両手の拘束はもう、とっくに解かれていた。
* * *
「どう、しようか……」
天蓋を見上げ、寝台に寝そべりながらロゼルはぼうっとした。右手を天井に向けて伸ばしては裏返し、細部までまじまじと眺める。
こんなところからも、性別は偽れない。薄い手のひらだ。剣を握ったこともない。指も細い。
「意図的に」触れられたからこそわかる。男性の手ではない。
あれから記憶が飛んでいる。
気がつくと夕食やら入浴やらを済ませ、自室でこの状態だった。イデアは、邸のなかでは普通だった。馬車を降りた瞬間から。
一連の出来事は幻だったのかと、首を捻りたくなる。それでも。
「夢……じゃないんだよな。わからない。本当に、何で私なんだ……二人とも」
掲げていた手を戻し、唇に触れると妙に生々しくて。
(だめだ。寝よう)
ロゼルはうつ伏せになり、素早く寝具にくるまると潔く目を閉じた。明日はバード邸に招かれている。久しぶりに大好きな幼馴染みに会える。
(エルゥなら……どうするんだろう。こんなとき)
ぽやぽやと、温もると同時に忍び寄る眠気。
胸に芽生えた、名付けようのないあらゆる感情にひとまずの安息を。居場所を与えたくて。
くたくただったロゼルは、そのまますとん、と惑う意識を手放した。




