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ロゼルの孵化  作者: 汐の音
八歳篇
3/41

2 ロゼルの悪戯※

「え? 父上が、今日?」


 振り向きざまに問い(ただ)す。

 勢い余って焦げ茶の巻き毛が白い寝間着の肩をするり、と滑った。


 エウルナリアと会った翌日のこと。

 今日はどんな退屈な課題を出されるのか……と、げんなり身支度を始めた、そのときだった。

 専属侍女の女性は「えぇ」と頷く。


「何でも、急遽ロゼル様にお引き合わせしたい方を見つけたと……奥様もお会いになられたそうです。『いいんじゃないかしら』と、仰ってましたよ」


「そう。いつ来るって?」


「昼前かと。昨日レガティア芸術学院の美術科を卒院なさった方だそうです。今日の午前、寮を引き払ったらそのまま、画伯様みずからお連れすると伺いましたので」


「急だね。拉致だよ、それ。よほど気に入った相手か……わかった、会う」


 こくり、とロゼルは頷いた。いつの間にか寝間着は脱がされていたので肌着姿だ。

 そのまま、差し出しされた深い紺色に白い襟飾りの付いたワンピースに袖を通そうとして――ふと、止める。


 旧家の令嬢然としたワンピースだ。なんとなく今の気分にそぐわない。

 ロゼルはしばらく思案したのち、それを軽く畳んで返してしまった。優秀な側付きでもある彼女に他意なく、にっこりと笑いかけてみる。


「ちょっと試してみたいことがあるんだけど。いい?」



 後日、彼女はこのときのことを、ちょっとだけ複雑な表情(かお)で思い出すことになる。

 ―――()()()()()()()()()()()()()のだ、と。




   *   *   *




 多忙を極めるキーラ画伯は、年の大半を諸外国で過ごしている。

 かれ個人が有する精緻な画力と、芸術の国と名高いレガートで、唯一画伯の名乗りを許されている揺るがぬ事実。それらは絶妙に噛み合い、他国の王候貴族や令嬢方によって一種のステータスとなっていた。

 ―――つまり家の箔付けや、(おのれ)をより魅力的に見せるだろう肖像画の描き手として。


 ゆえに。

 今日、末の娘と邸を任せた奥方に会うのは久しぶりだった。口許が緩むのを禁じ得ない。

 老家令の報告に耳を貸しつつ邸内を歩き、目当ての部屋の扉を開ける。――あとはもう、笑むだけだった。

 そこに、すぐ目の前に。

 変わらずうつくしい妻がいる。


 かれは『ただいま』もすっ飛ばして大股で近づくと、勢いのままに彼女をかき抱いた。


「ミシェル……! 会いたかった……っ!」


 名を呼ぶと、くすくすと笑う声。

 妻の声は落ち着いてやや低い。末の娘も、女児にしては落ち着いた声と口調の持ち主だ。

 ミシェルと呼ばれた女性は、夫の背に手を回しつつにこやかに問いかける。


「お帰りなさい、あなた。昨年の冬に会ったきりかしら。どう? 東は」


「どうもこうも。どこのご令嬢も奥方も、最愛の君にはもちろん劣る。決まってる、と、も……!!! ()ぅっ……いたた! すまん、何でもないッ!!」


「ですわよね」


 末の娘にそっくりな、巻き癖のある焦げ茶の髪を短く襟足で整えた壮年の男性は呻いた。

 愛しい妻を抱擁しつつ、訊かれたから顧客となったご婦人がたについて所感を述べた。

 ただそれだけで腕を捻りあげられる夫など、世界広しと言えども自分くらいだな……と、みずからを憐れみながら。


「お手柔らかに頼むよ。商売道具なんだから」


「そう? 利き腕はやめて差し上げたのに? そもそもの商売道具って、こちらじゃないかしら」


 左肘をさする当主の頬に、ミシェルはそっと左手をあてた。

 高い上背。精悍な、日に灼けた肌。長旅の連続で(いささ)かくたびれてはいるが、目許をつよく印象付けるきりりとした眉や、深いまなざしを湛える茶色がかった緑の双眸は魅力的だ。少し厚めの唇も。

 画家というには少々野性味のある男性。

 キーラ画伯家当主――イヴァンは、四十路半ば。まだまだ働き盛りだ。


 ふ、と笑む妻の顔に、(そう言えば、あの子は造作や仕草なんかは全部(このひと)譲りだよな)などとぼんやり考えていたイヴァンは、事ここに至って(ようや)くハッ……! と、気付く。

 今日の用件を思い出した。


「ロゼルは? ()()()を連れてきたんだけど」


「いるわよ? 二階のあの子の部屋に。行けば会えるわ。

 ……あぁ。でも、とっても可愛らしい悪戯(いたずら)をしていたわ。本当に可愛かった。あなた、何を見ても黙ってらしてね?」


「なに、いたずらって」


「秘密」


 うふふ、と。

 奥方は一転、娘達のだれにも未だ真似できぬだろう蟲惑的な笑みを、あざやかに浮かべた。



――――――――――――――――

※思わず描いてしまったイヴァンのイメージはこちら。


挿絵(By みてみん)

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