28 先制攻撃は、どっち?
「なんで、あれが私のところに届くんです」
「『なんで』……うん。何でだろうねぇ」
のらりくらり、という風情でサラサラの銀髪を揺らし、御年十八歳になる青年は答えた。いや、答えになってない。
「――ノエル」
ぼそり、と声を低めて呟くと盛大に吹かれた。腕を組み、行儀悪く椅子を斜めにテーブルから距離を離し、足も組んでいる。
かたや皇子は寛いだ表情で頬杖をつき、俯き加減でくっくっ……と、愉しげに肩を震わせていた。
(どうしよう。殴りたい)
ロゼルは素直に心情を吐露した。
「殴っていいですか」
「いいよ。きみになら。ロゼ」
「よく言いましたね、この口ですか。ふざけたことを次々にしれっと言うのは」
ガタン! と派手に椅子を鳴らし、どこからどう見てもやんごとない令息に映るロゼルが立ち上がる。
すると、それまで彼女の斜め後ろに黙って立ち、事態の成り行きをはらはらと見守っていた供の青年――イデアが、慌ててその両肩に手をかけた。なおも揺るがぬ有言実行の気配を察し、やや強引に華奢な手首を掴んで押し止める。
「ロゼル様落ち着いて」
「ばか! 落ち着いていられるか阿呆! 何が『妃』だ。よくもまぁこんな風体で、伯爵家の娘でしかない私を……!」
銀縁眼鏡の青年の腕のなかで、暴れもがくロゼル。
両手を捕らえる手を振り払おうと躍起になる男装の少女を、対面に座る皇子は殊更にこにこと眺めた。
白磁の茶器に、ぽとん、と小さな砂糖を落とす。何事も無かったかのように、くるくると備え付けのティースプーンでかき混ぜた。
部屋には誰もいない。三人を除いては。
――完全なる人払いが為されている。それゆえの暴挙だ。甘んじてもいい。だが、むしろ。
(その男も、邪魔なんだけどな……)
北の白夜国においては『レガートに嫁した華』と謳われる雪花皇妃譲りの美貌に、父であるマルセル皇王譲りの無邪気な不敵さを添え、ノエルはにっこりと微笑んだ。
* * *
ロゼルはあのあと超速で課題の絵を仕上げ、深雪のなか皇宮を訪れた。
年越しのため、皇太子ノエルも留学先である白夜から帰っていておかしくはない――そう予測しての行動。
来訪者をノエルのお気に入りの少年と認知する門を守る兵らも、『呼ばれたので』と言えば笑顔で通してくれる。
(警備緩すぎだろ)
舌打ちしそうになるのを、ぐっと堪えて来たのだ。諸々の感情はほぼ、八つ当たりだった。
やがて通された皇子の私室にかれはいた。
歓待の準備を整え、定席のソファーに腰掛けて、『やぁ。やっぱり来ちゃった?』――と。
いっそ、清々しいほどの落ち着きっぷり。
可愛げすら覚える小首を傾げる仕草に、ぴきん、と表情筋がつったのは気のせいではない。
『来ちゃった』とは、自分がここに押しかけたことを意味するのか。あの絵がキーラ家に届けられたことを意味するのか。
一瞬では判じられないほど、あざやかな笑みだった。
「ああぁもう!」と、苛立ちの声は存外に近くから落とされた。少女にしては低めの声。
いつの間にか拘束を逃れて来たらしい。ばしん! と勢いよくテーブルに手が押し当てられる。
(すごい剣幕だな)
彼女の腕を引き、止めようとするイデアも視界の端に映ったのでノエルは平淡に呟いた。
「いいよ。手は出さないで」
飲みかけの紅茶から唇を離し、そっと受け皿に戻す。
顔を上げる。
怒り心頭らしいロゼルと、自然に目が合った。
北の大地に根をおろす針葉樹にも似た深緑の瞳には、ほんの少しヘーゼルの色味も混ざってるんだな……と、しみじみ見入る。
(やっぱり)
ため息とともに、諦観の苦笑が浮かぶ。
(――だめだ。好きだ)
見つめていると満たされる。
彼女のいろんな面を。言動を。つぶさに眺めて日がな一日愛でていたいと感じる自分はおかしいんだろうか?
最初に自覚したのは二年前。
『そろそろどちらかの姫と婚約せねばならないね』と、父から告げられたときだった。
ならば、と。
打診用の肖像画をキーラ画伯家令嬢ロゼルに願い出たのは自分だ。
もちろん、諦めるつもりだった。
政略的な意味合いで、自分は他国の姫を娶らねばならない。
脈々と続いた小国レガートの慣例としてそれは揺るがない。しかし――
苦く沈む、ちりちりと焦燥に似た想い。とられたくない。それが、嫉妬や独占欲の類いだったとしても。
「きみとは違うひとを妃に迎えなきゃいけないのかなって、ずっと悩んでた。でも」
「……ノエル?」
急に神妙な様子を見せ始めた友人に、毒気を抜かれたロゼルが若干戸惑いの気配を覗かせる。
ノエルは、その隙に乗じた。
「わっ」
「きみはそこにいて。お茶でも飲んどいて命令ね。三十分だけ。そしたら返してあげるから」
「!! ノエル、殿下…………そんな!」
茶など飲んでいられるか、と気色ばむ青年を置き、素早く彼女の腕をとる。
退室の間際、扉を守る騎士らに「頼むね」と一言告げ、足早にその場を去った。
「ノ……じゃない、殿下! どこへ??」
さすがに大っぴらには抵抗できず、珍しく困り顔のロゼルに――不謹慎だが、わくわくしてしまう。
皇宮の一画。人通りのないことを確認し、ノエルはぴたりと通路の壁際に少女を引き寄せた。左手をエスコートの形に。右手は細い腰に添えて。
「どこへでも。とりあえず、リース氏は邪魔なんだ」
驚きにみひらく、猫のようなまなざしも好きだな、と。
柔らかな笑みを湛えた皇子は込み上げる衝動に実に正直に、嬉しそうに彼女の頬に口づけた。




