27 二年越しの求婚者
その日の午後。
二人が昼食を終えて再びイデアの部屋に戻ると、さほど間を置かずに扉が叩かれた。
画布と向かい合っていたイデアはぴくり、と反応する。
「はい。どうぞ?」
パレットで絵の具を混ぜつつ、視線をあげずに答えると、おそるおそる扉がひらかれた。
――まだ若い。
踝まで至らない、丈短い膝下のお仕着せから察するに、侍女見習いの少女だ。腕にさほど大きくはない木箱を抱えている。
「制作中、大変申し訳ありませんリース様。お嬢様にお届け物なのですが……こちらで?」
「えぇ。――ロゼル様? 僕が代わりに受け取っても?」
「頼む」
とっくにみずからの絵に集中し、真顔で筆を滑らせる焦げ茶の髪の少女はただ一言、表情のない声で告げた。
令息姿の生徒の変わらぬマイペースさに目許を和らげ、イデアは一つ息をつくと立ち上がる。
扉まで近づくと、廊下の冷気がひやり、と漂った。
少女に向けて手を差し出すが、なぜかいっこうに渡される気配がない。「?」と、首をひねる。
「あの……? 失礼。お渡しいただけますか」
侍女見習いの少女も、赤みがかった茶色の髪を揺らしてわずかに小首を傾げた。非常に申し訳なさそうな上目遣いだ。
十二、三歳ほどだろうか。少し気弱そうだが、やや声を抑えてしっかりと話し始める。
「――お許しを。じつは皇宮からお嬢様へ直接のお届け物なのです。お運びくださったのは皇族専任侍従の方で、必ずご本人にお渡しするようにと。
ただいま階下でお待ちです。こちらにお嬢様直筆でサインを、とのことでしたので」
「ははぁ、わかりました。ロゼ……」
「聞こえてた。貸して」
「はい」
いつの間にかペンを持参したロゼルが傍らに立ち、箱に添えられた用紙にさらさらと記名していた。
イデアは何となく、ぼぅっとその様を眺める。
(こうして普通の少女と並ぶと――確かに。傍目には、理知的でうるわしい貴族の少年にしか見えないのかもな)
侍女見習いの少女は明らかに頬を上気させ、うっとりとしていた。イデアはこっそりと微妙な表情になる。
――ここの古株の使用人達は、なぜ新しく入ったものに未来の当主の性別を教えてやらないのか。
同情のまなざしで、イデアは去り際の彼女に「ご苦労様」と優しくねぎらった。
* * *
廊下をしずしすと去る小さな背を見送り、ぱたん、と扉を閉める。ふと教え子と目が合った。
ロゼルは右手で箱を持ちあげ、厄介そうに深緑の瞳をすがめている。
「――悪い、先生。今ここでこれを確認していいかな。差し出しが皇王陛下なんだ。特に何かを贈っていただく心当たりはないんだが。
不在の父宛ならともかく、非公式でも簡単なやり方――皇妃様から母を経由するやり方じゃないのがわからない。
ひょっとしたら、『キーラ家』として正式に受け取るべき、急ぎの案件かもしれないから」
「え!? あぁ……そうですよね。ではこちらへ」
素早く画材置き場と化していたテーブルの上を整理し、場所を空ける。
「あぁ」と軽く応じたロゼルは、そこに真新しい白木の箱を置いた。
そぅっ……と蓋を開けると、中には青い絹布に包まれた何かが収まっている。銀の縁飾りが施された真っ白なメッセージカードが添えられていた。
――白、銀、青。
レガートの皇族をあらわす貴色に、ごくり、とイデアの喉が鳴る。
ひらいたカードの端に押されているのは、間違いなく皇王御璽。ロゼルはそれを気負いなく手に取った。一拍後、盛大に顔をしかめる。
「…………ばっっっかじゃないの。陛下」
「ばッ……??! いや、ロゼル様! 陛下ですよ陛下! 今上マルセル陛下からの直筆……!」
「だってほら。見てみなよ。宛先、ぜったい間違ってる。あー阿呆らしい」
ふい、と目を据わらせたロゼルは文字通りカードを放り出し、すたすたと絵の場所まで戻ってしまった。
そのまま椅子に腰掛け、無言で先ほどの続きを描き始める。
――――何かこう、ひしひしと伝わる圧が凄い。気迫の密度が段違いに濃くなった。
「あの……?」
「読みたきゃ読めば。包みも開けて構わない。私はいい。見なくてもわかる」
「あ、はい」
そんなに――? と、裏向きに落ちてしまったカードを拾い上げ、くるりと返す。文言は短かった。
「……………………は?」
「だろ。馬鹿げてる」
たっぷり八秒ほど空けて漏らされた師の極大の疑問符を、ロゼルは賛同の意味で嘲笑い飛ばす。
イデアは辛うじて「……そう、ですね」と同意するのに留めておいた。カードを握り込む衝動を必死に抑える。
――――曰く。
“貴女を、我が息子ノエルの妃にと内々に進めております”の一文。
青い布をはらり、と捲ると、中からは紛うかたなきこの国の第一皇子ノエルの澄んだ美貌が生き生きと写し取られた、見事な肖像画があらわれた。
 




