21 皇宮晩餐会(後)
流れるようなエスコート。品のよい佇まい。
ロゼルは、みずからを引っ張り出した少年を知っていた。
この場にいる全員がそれとない視線でちくちくと自分達を追っている。ちょっと痛い。
痛いついでに、ホールで立ち止まられた際にバランスを崩し、不覚にもよろめいた。
カッ――
「! あぶな……」
「っと。大丈夫? ごめんね、ドレス引っ掛かった? 裾、すごく長いもんね」
「はい。…………ノエル殿下」
危うげなくふわり、と腰を支えられ、ダンスのためにホールドを組まされる。そのまま滑るようにステップを踏み始めた。
(手慣れてるな……)と、あまりの扱いのスムーズさに眉宇がひそむ。
どことなく不服そうな焦げ茶の髪の姫君に、ノエルと呼ばれた少年はくすり、と微笑った。皇王マルセルにそっくりの琥珀のまなざし。愛嬌のある口許。すっと通った鼻梁。抜けるように白い肌。
(……皇妃さまに似ておいでかな。色合いと、唇以外は)
絵描きの性分として、つい至近距離でまじまじと眺めてしまう。今度はノエルが苦笑する番だった。
「――ロゼル嬢。あんまり異性の顔を大っきな目で覗き込んじゃだめだよ」
「なぜです?」
「勘違いする」
「……あぁ。なるほど」
くるり、くるりとターンしつつ真顔のロゼルとにこやかなノエルはホールの華となっていた。その場に居合わせた誰もが、今宵の真の主役たる皇子と筆頭画伯家の息女とのダンスに空間を譲り、見守っている。
言うまでもなく皇子のリードは巧い。立ち居振舞いもそつがない。
きっと、留学先の北の大国白夜でも宮廷や国立学院において、耳目を集める存在となるだろう。かれならば。
ふと気になり、ロゼルは再びノエルを見上げた。
「殿下、二つ質問が」
「どうぞ?」
面白そうに片眉を上げた少年が答える。悪戯な表情は、かれをほんの少しだけ同年代に感じさせた。
「――なぜ白夜に留学を? レガートの学院は……芸術は、お嫌いでしたか?」
「はっきり訊くね」
「回り道は不得手です」
なるほど、と頷いたノエルがわずかにロゼルの腰に添えた手に力を籠める。
いやではない。何か――かれなりの答えを出すために集中しているのだと感じた。
「嫌いじゃないよ。好きだよ、この国が。だから行くんだ」
「……人質? ではないですよね。白夜は皇妃様の生国であらせられる。レガートとは長く友好関係にあるはず」
「うん。きな臭いことはない。外交上はね。ただ――うちは四人兄弟だろう? 弟妹らはレガートで音楽を学びたいと思うんだよね。見ててわかる。すごく好きなんだよ」
「はぁ……」
ロゼルも、つられて心に姉達を思い描いた。
たしかに。見ていれば彼女達の好むもの、進みたいのだろう道は自然と察せられる。
「“目”は、一つところにたくさんは要らない。内側で技を極め、外に打って出るならよし。……私は、外からの目線を得てレガートに戻ろうと思う。北で得られる人脈は、ここに居ては得られない。……わかる?」
「わかります」
――――自分も。
進んで“外”へと向かった姉達に代わり、家を。家督を継がねばならない。
好きだけではどうにもならない。幸い、人物画は己が天命と思えるほど生涯を通して極めたい分野だ。
ひいては風景も、静物も動物も。数多ある、筆で捉え得るすべての対象物を。
ありとあらゆる技と心を磨き、然るべき伴侶を迎えて繋げねばと日々、刻んでいる。
相手が誰であろうとも。
シャアァァアン……! とシンバルが澄んだ金属音を響かせる。
より華麗さを。波の深さを増した楽曲がうねり、押し寄せ、終わりが近いことを知らせていた。
ノエルは先ほどと打って変わり、肩の力の抜けた様子で右手を掲げ、一回転。パートナーの姫君を反時計回りにさせると再び引き寄せ、小首を傾げた。
「二つ目の質問は?」
「あ……そうですね。誰が殿下を寄越したのかなと。まさか、陛下ですか?」
「うーん。半分正解」
ぱっ……と腰から手を放し、にわかに距離をとる。と同時に曲が終わり、両者は優雅な礼を交わした。
辺りに満ちる拍手。ため息。
向けられている当人らは気にも留めず――
膝を折り、視線を伏せていたロゼルのもとに大人と思わしき靴音が控えめに近づいた。
「感謝申し上げます殿下。わが主を救っていただいたことに、心より御礼を」
「構わないよリース殿。おかげで、出国前にとても楽しい時を過ごせた。……ロゼル嬢?」
「はい?」
そっと面を上げる。目の前に手を差し出されたので重ねると、やさしく引き上げられ―――
「ぅわ」
「!!」
…………手の甲に口づけを落とされた。
思わず色気のない反応を返す少女に反し、傍らの青年は見るからに表情を凍らせている。
ノエルは、この上なく晴れ晴れと微笑んだ。
「きっかけは、かれの願いと父からの命令だったけど。きみが好きになった。白夜に行っても手紙を書くから。返事をくれる?」
呆然と立ちすくむ青年の側に立ち、手を皇子に握られたままのロゼルは、きょとん、と目をしばたいた。
「勿論です殿下。……喜んで」
ホールの端近く。
柱の影で突っ伏しかねないほど抱腹し、「ふ……っふふふ! すまないイヴァン。なんか、おっかしいことになった……!」と呟く誰かさんの声は幸い、誰にも聞き咎められることはなかった。




