20 皇宮晩餐会(前)※
藍色の帳が降りる。
星々を背に、篝火を足元に。
レガート島の最北端に位置する皇宮は宵闇のなか、優美に連なる五本の尖塔を白くほのかに浮かび上がらせていた。
中央塔にひらかれている壇上の大扉が正門。
赤い絨毯が一直線に敷かれた奥の大ホール会場で人びとは晩餐を終え、今はダンスや歓談のときを迎えている。
華が咲いたようにさざめく紳士淑女の歴々が――と、常ならば続くところだが、今宵はやや風変わりな賑わいを見せている。酒や香水、化粧の匂いが薄い。煙草を嗜むものも疎らだ。
主役は大人ではない。初々しい、齢十から十四までの少年少女達だった。
付き添いの大人達もそれぞれ利害関係や気の合うもの同士が集まり、グラス片手に柔らかく談笑している。話題が子ども中心になりがちとはいえ、これはこれで穏やかな社交の場といえた。
が、ホールの端近く。
柱の影の、ちょっとした休憩用に設けられたソファーの一角で。
キーラ家お抱え絵師のイデア・リースは難しい顔で腕を組み、壁に凭れて彼方を睨み付けていた。
引き結ばれた唇。珍しくいらいらと寄せられた眉。不機嫌さを隠しもしないかれに――なんと、好きこのんで飄々と近づくものがいた。
その人物が視界に映った瞬間、イデアは思わずぎょっとする。寄り掛かっていた背を壁から放し、慌てて居住まいを正した。臣下の礼をとる。
「いい夜だね、リース君」
「! これは、陛下……! お声掛けありがたく。宜しいのですか? こんなところまで降りてこられ、て……っとと」
――こんなところまで。
そう溢したイデアは、とっさに口を片手で塞いだ。
普段の夜会ならば、皇族の面々はこんな端近に寄らない。よくてダンスのためにホール中央。でなければ奥で流麗なワルツを奏でる皇国楽士団よりも一段高く設えられた貴賓席で、国賓をもてなしている。
『陛下』と呼ばれた白銀髪の男性――マルセルは青年の素直な発言に気を留めることなく、琥珀色の目許を和らげ、にっと口角を上げた。
四十路前であってもとても若々しい。茶目っ気のある表情だった。
「構わないよ。今夜はいつもと違う。可愛らしい次代の子息や令嬢の面通しが主目的の無礼講だ。家毎に目付役を一名つけること、と招待状には記載させたけど。キーラ家は……三女のロゼル嬢だね。どこ?」
「あちらに」
滑舌なめらかなレガート皇王は、銀縁眼鏡の青年が指し示す方向につられて視線を流し――すとん、と腑に落ちた。
「……なるほど、わからなくはない。だが……ふふっ! すまない。わかり易いな。
年端がゆかずとも――男というのは哀れだね、リース君」
「同感です」
いかにも面白いものを見た、と言わんばかりに瞳を輝かせる皇王に対し、イデアは目を伏せ淡々と頷く。
果たして、せっかくの子どもらの社交の機会を大人が潰してよいものか。
ずっと思案しあぐねていたのだが――
ためらいがちな視線の先では、着飾った令嬢姿のロゼルが、見目よい子息らにびっしりと囲まれていた。
* * *
がっついてるなぁ、が第一印象。
続く二人目も三人目も、中身は似たものだった。
「ロゼル嬢のお噂はかねがね。やはり画伯家の倣いで、絵がお好きなのですか? あまり、茶会の類いには参加されないと聞きましたが」
悪気なく問い掛けてきたのは、十二、三歳ほどの金髪の少年。
たしか、美術品を扱うセルドック商子爵の長男。名は――
ふ、と唇をわずかに上げ、ロゼルが答えた。
「えぇイオン殿。性でしょうね。自分でも思いますが、あまり年ごろの令嬢らしくはない。華やかな装いやふわふわとした集まりが苦手なもので」
「そ、そうですか……」
はい撃沈。
ばっさりと切り捨てられたイオン少年を押し退け、次なる勇者が現れる。その熱心な話に、適当な相槌を返しつつ。
(どいつもこいつも)
若干の呆れを目に宿し、口許を扇子で覆ったロゼルはちらり、と楽団席に視線を流した。
場を和ませる至上の調べ。レガート皇国の誇るオーケストラの傍らに、今日は精霊がいる。
……幻ではない。黒髪に青い瞳。すべらかな白桃の頬を上気させてやや高い座面の椅子に座り、両足をプラプラさせてご機嫌な様子のエウルナリアは、たしかにそこが定席なのだろう。しっくり来る。
楽団員達も楽しそうだ。時おり、休憩のために交代で抜けるかれらはすれ違いざま彼女に話しかけ、少女もまた幸せそうな微笑みで応えていた。指揮を振るのはエウルナリアの父、バード楽士伯。まさしくホーム。こちらはアウェイ。
ふぅ……と、気鬱になってため息をつく。
眉を整え、薄く化粧を施した面はいつもより少女らしい。愁いを帯びた深緑のまなざしは、意図せず大人びた影を頬に落とす。
サイドに編み込まれ、神話の時代を思わせる宝石の髪飾りで留めた焦げ茶の巻き毛は艶やかに、華やかに。
襟足は垂らし、なおかつ三つ編みのつけ毛で長さを足している。
頼むからやめて、と懇願したにも拘わらず嬉々とする侍女らに装着されたコルセットのおかげで、年のころは十二、三ほどに見えなくもない。普段出さない首や胸元はやたらと白く、自分の体じゃないみたいだ。
あと、窮屈。
ヒールの高い靴は不安定だ。淑やかにせざるを得ない。
(もう帰っていいかな……)
労して欠伸を噛み殺す涙目のロゼルに、ふと影が差す。
「――退屈そうですね? キーラ卿の末子の姫。よろしければ踊りませんか」
「え」
目をみひらくロゼル。声に固まる御曹司ら。
新たに流れるワルツの旋律にのり―――見事、あざやかに。
少女は手を引かれ、人の輪からホール中央へと連れ出された。




