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ロゼルの孵化  作者: 汐の音
十歳篇

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18/41

17 無自覚の罠

 (起こして、と言われてもな……)


 イデアは途方に暮れた。かなり緩い関係性ではあるが、彼女は(れっき)とした伯爵令嬢で、自分はその教師で若い男。こう見えて、女性と付き合ったこともなくはない。――大抵、短期間で愛想を尽かされてしまうが。


 最後に付き合った女性からも『ほんと、がっかり。もっと出世すると思ったのに』と言い捨てられて、はや数ヵ月。

 絵のモデルがなし崩しに――というパターンが一番多い。そう考えると、自分から誰かを熱烈に求めたことはなかった。


 その回想に引っ掛かるように、わずかな痛みとともに、ある女性の言葉が浮上する。


 『……リース君はさ、ちっとも執着してくれないよね。わたしは……、もう無理。ごめん』


 ――と。

 卒業制作の森の乙女は、唯一自分から告白した彼女をモデルにした。透き通った神秘的な翠眼の女性で、学院の臨時講師。同じ平民だった。

 たぶん、自分なりには彼女を一番想っていたつもりだっただけに、別れには打ちのめされた。……卒業式の前夜だったが。


 (だめだ。今思い出すことじゃない)


 軽く頭を振り、つとめて気分を変える。

 後ろ暗いことはない、と言い聞かせるように、眠るロゼルの頬にかかる巻き毛をとり、邪魔にならぬよう流した。


 (……ん?)


 ふと、その細いうなじに気をとられる。

 今日のリボンは芥子(カラシ)色。おそらくタイピンの黄水晶(シトリン)と合わせているのだろう。

 寝返りを打ったら、これ、邪魔なのでは? ……と、他意なく思った。うつ伏せでタイピンもよくなさそうだな、と。


 あとから思うに。

 これが、決定的な罠だったなと噛みしめる。

 ――……が、このときは本当に無心だったのだ。



「えぇと。失礼しますね、ロゼル様」


 起こすわけにもいかないが、断らないわけにもいかない。

 イデアは少女におそるおそる声を掛け、まずはこちらを向いている胸元のピンに手を伸ばす。

 銀の煌めきを甘やかに弾き、シンプルな造りのそれは難なく外れた。そのまま枕の右側に置く。シャツの襟はハイネックだったので、一つだけ(ボタン)を外した。その間、すぅすぅと健やかな寝息のみ漏れ聞こえる。実に気持ち良さそうだった。


 つい苦笑をこぼす。

 (ここまで警戒心がないのもな……)と、改めてリボンに指を掛けた。その、次の瞬間。


「ん……ぅ」


「あ」


 するり、とサテンのリボンは呆気なくほどけた。それはいい。しかし、ちょうど寝返りを打ったロゼルが真上を向き、イデアの左手を抱き枕よろしくみずからの頬に当てて抱え込み、反対側を向いてしまった。


 (~~ロ、ゼ、ル、様っ……!! だめです。これは駄目なやつ!!!)


 抱え込まれた左腕はまるごと彼女の体の下。指先にリボンを挟んだままの手のひらは、うまい具合に温かな顎と鎖骨の隙間に収まってしまっている。


 ――……腕枕で、抱き枕……


 しかも、イデア自身の体も寝台中央へと引っ張られた。由々しいことに、傍目には彼女を背から抱き込んでいるように見えなくもない。


 幸い通路に人の気配はなく、そのことに辛うじて安堵を覚えた青年は、なるべく寝台を軋ませぬよう、そぅっ……と体を起こした。


 右肘を基軸に、申し訳ないが一旦、眠る彼女に覆い被さるような形で左腕を引き抜く。

 なぜか一瞬、ひどく不服そうな表情(かお)をされてしまった。


 (そんなに抱き心地、良かったんですか……)


 軽く絶望感を覚えて、くらくらと天井を仰ぎ見たあと、再度教え子の状態を確認する。


 白い敷布(シーツ)に波打つ、つやのある焦げ茶の巻き毛。気の強そうな唇。閉じられた瞼を飾る睫毛は愛らしい少女そのもの。勝ち気で意思のつよい、凛とした眉も今は気品を感じさせつつ無防備で――――あたたかく、伸びやかな手足を投げだし、柔らかな肢体を横たえている。



「……!」


 と、そこで唐突に我に戻った。


 (やばい。やばいやばいやばい。もの凄く、危ない!!)


 何か、()()()()()()()()()()()()()()気がした。彼女がいくら少年の(なり)をしていても、自分にはいつも少女に見えていたわけだが…………



「まずい、だろ。……主家の令嬢で、おそらく……次期当主なのに」


 左手に芥子色のリボン。右手で乱暴に、みずからの灰茶色(アッシュブラウン)の髪をかきあげながら。


 大仰なため息をついたイデアが、それでも律儀に教え子の靴を脱がせ、寝台横にずるずると座り込んでしまったのは、(しばら)くあとのことだった。


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