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ロゼルの孵化  作者: 汐の音
八歳篇

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10 いま、届く手の場所

 打ちのめされた。それは確かだ。

 けれど、教師(イデア)の絵の、何に打たれたのか―――うまく言葉にできない。


 それは自分がまだ子どもだからなのか。

 知らないことが多すぎるからなのか。


 傍らの、狼狽を露にする銀縁眼鏡の青年を一瞥することなく。

 途方に暮れたロゼルは、ぽつりと帰邸を申し出た。


「……取り乱してすみません。充分です、もう――帰ります」


「ロゼ」


「先生のせいじゃない。私にとって、貴方の絵は……遠くて、大きすぎて。悔しいんです。本当に、くやしい」


「……二度も言いましたね」


 半ば、呆気にとられたような、穏やかな声。

 ぐい、といささか乱暴に頬の涙を拭った。返す腕で反対側も――と、思ったら、ぱしっと大きな手で手首を掴まれた。


「……先生?」


 まだ潤む視界で見上げると、たぶん目が合った。何かを逡巡するような、数拍の空白のあと。

 なぜか、ぽふっと青年の腹部あたりに顔を押し付けられた。後頭部に手が添えられている。

 ―――つまり、抱擁されている。


 じわ、と当てられた白い綿のシャツに頬と目許の涙が吸われた。


「あの……シャツ、汚してしまったんだけど」


「こういうのは、汚れとは言わないんです。どうぞ、そのまま。もう少し泣いてから帰りましょうか」


「……」


 いやだ、と答えるつもりだった。なのに、なぜかまた、じわりと目許に水分が盛り上がった。そのたびに涙は(あふ)れ、より一層目の前のシャツに吸われてゆく。


 (くやしい。……くそ、悔しいし届かない。なんだこれ! 絶対追い越せる、負けないって思ってたのに……)


 後頭部を撫でる大きな優しい手。

 母よりも分厚く、父よりは薄い手のひら。指は、父より細く長い。さんざん観察したから知ってる。

 その手が自分に触れていることに、少し不思議さを覚えながら。


 ロゼルは、声を圧し殺してしばらく泣いた。




   *   *   *




 帰りの馬車に乗る際。

 御者から、ちらっと視線を投げ掛けられたイデアは、眉を上げつつスルッと目を逸らした。


 「姫君、エスコートしても?」


 泣き腫らした目のロゼルに手を差し出すものの、ぷいっとそっぽを向かれる。


 何となく、その様子が今までで一番年相応に見えて、青年は目許を綻ばせた。

 ロゼルは目敏くそれに気づき、馬車のタラップに足を掛けながら少し、いらっとする。


「よく、この格好の私にそんなことが言えるね」


「そうは仰られても。僕には、貴女はどんな格好でも可愛らしい姫君に映りますよ。むしろ、男装(こっち)のほうがお似合いかも……っと、失礼」


「……うん。先生が思ったことをそのまま話すひとだというのは、もう知ってる。下手に女装を褒められるより、余程いい」


「じょそ……」


 イデアは耐えきれず、手で口許を押さえながら顔を伏せた。

 ―――感心するほど声は漏れていないが、笑われていることくらいは流石にわかる。


「乗らないなら、置いていくけど」


「!! 乗る! 乗ります、ロゼル様。ちょ、待って御者殿まで?! あぁっ……!」


 にこり、と人好きのする笑顔を浮かべたキーラ家の御者に鼻先で扉を閉められ、焦った青年の声が車内のロゼルの耳に届く。

 溜飲が下ったな、とくすくす笑った男装の少女は、朗らかな声のまま御者に命じた。


「いいよその人、乗せたげて。かなり無礼だけど無能じゃない。まだまだ、学びたいことはいっぱいある。………目一杯泣かされたけど」


「はっ。……畏まりました」


 うちの、大事なお嬢様を泣かせただと? ―――と、氷の視線を受けたイデアが目を泳がせているのを、無邪気なロゼルは知る由もない。


 やがて若干疲れた顔の銀縁眼鏡の青年を乗せて、馬車は一路、北へ。

 どことなく緩んだ空気のまま、キーラ邸へと戻って行った。


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