18話:子供の貧困問題1
2004年、絹恵の長男、田嶋達人が中学を卒業し高校入試の年となった。成績はクラス3位で学年で10位であり翠嵐高校を希望していたが合格の確率が75%と微妙なところだった。それでも2月に滑り止めに法政二校を受験し合格し翠嵐高校に挑戦し3月8日の合格発表の日、受験番号を見つけ合格した。その後、余程、緊張したのか一瞬、放心状態になった。合格のお祝いにパソコンが欲しいと言うので、両親と秋葉原へ行って、NECのパソコンとプリンタ一式を買ってもらった。
その後、学生服を買って橫浜市営地下鉄で15分の翠嵐高校に通い出した。父の田嶋好夫が将来構想を達とに聞くと、橫浜国大か東工大に入ってソフトウェア技術者をめざし、理想は、アメリカのシリコンバレーで働きたいと話した。2004年6月28日、会議室での話合いの時に橫浜市にある昔の大型団地で貧困世帯の子供の問題の話合いがあり、興味深いので絹恵さんが参加させてもらい話を聞くと特に訳あって離婚したりした、シングルマザーの貧困問題が一番深刻だと報告された。
こんな飽食の時代に満足に食事を取れずに困っている家庭の子供のための炊き出し計画の打ち合わせだった。その話では港南台団地、左近山団地、市沢団地、千丸台団地、ひかりが丘団地で巡回して団地の集会場で炊き出しする話が出て費用はNPOのカンパで賄い、そのために企業に寄付のお願いもしていると言う現状を聞かされた。その話を聞いて絹恵は、協力してあげたいと考え、そのNPOに参加することを決め入会した。
そうして、その晩、家に帰り、家族にその話をするとハイエースを使って手伝ってあげたらと言われ、夫の田嶋好夫も土日なら手伝うよと言ってくれた。義理の父の池添幸夫も寄付金を検討してみると言った。その話しを美紀さんに言うと募金してあげようと言ってくれた。その後、NPOに池添幸夫さんが100万円、美紀さんと絹恵さんの有限会社から100万円の寄付金を渡した。絹恵さんが、ハイエースで手伝いますので、炊き出しの日程もわかり次第、教えて欲しいと言った。
7月18日、日曜、ひかりが丘団地で100人分の炊きだしに行くと言うので田嶋好夫と絹恵さんがハイエースを持ち込んで手伝う約束をした。朝8時に新横浜近くのNPO代表の方のガレージでもち米や圧力釜、調理器具を5台の大型ワゴンに載せて20人で出発し9時にひかりが丘団地の集会場に食料と調理機材を下ろして、仕事の手順をNPO台上の女性が説明して調理に取りかかった。12人の女性がカレー用の野菜を切り、その他、米をといだりした。
その後、大きな圧力鍋5つで5升・お米9kgを炊き始めた。 そして、カレーと目玉焼き、ハンバーグ、野菜炒め、サラダを手分けして作った。やがて御飯が炊け、少し蒸らして、大きな鍋に移して、もう一度、9kgの米を炊き、今度は、ふりかけをかけて、大きなおにぎりを握りはじめた。
大きなバットにハンバーグと目玉焼きと肉野菜炒めを別にいれて、大鍋でカレーを煮た。その後、もう一回、御飯を炊き、合計27kgの御飯たいた。そうして11時半となり集まってきた子供と大人20人程度が入り、昼食を取り始めた。