16話:金融機関の破綻・統合
1997年7月22日に美紀さんから絹恵への電話で今後有望な業種のインターネット関連株・ソフトバンクが上場したと言い、この株の下値を買おうと言い、買い値は、また連絡すると言った。1997年11月3日三洋証券破綻。証券会社の倒産は戦後初。11月17日に北海道拓殖銀行が経営破綻・戦後初の都市銀行の破綻だった。11月22日山一證券破綻。11月26日 徳陽シティ銀行破綻。
やがて1998年があけた。今年も絹恵は田嶋好夫と2人で初詣でに出かけ、家内安全、健康、繁栄と株投資が成功するようにと祈願した。 1月3日に美紀さんが1999年末でN証券を退社する決心したと伝えられ、ソフトバンク株を買いたいので600万円を渡すから買ってと依頼され、絹恵は了解した。その後、美紀さんの弟の田嶋好夫の病状と回復度合いを話して、午後5時過ぎに別れた。翌日1月4日に絹恵の口座に美紀さんから600万円が振り込まれて、投資口座残金が
1400万円となった。
その後、1998年1月16日、朝、ソフトバンクを成り行きで2千株を買い、1株3700円で総額740万円で買え残高が660万円となった。1999年月3日日本銀行、ゼロ金利政策実施。1999年2月、日本銀行は短期金利の指標である無担保コール翌日物金利を史上最低の0.15 %に誘導することを決定した。この時、当時の速水優日本銀行総裁が「ゼロでも良い」と発言したことからゼロ金利政策と呼ばれた。1999年5月4日東邦生命保険が経営破綻、自力再建を断念。
8月20日第一勧業銀行と富士銀行、日本興業銀行の3行が持株会社を設立・現在のみずほフィナンシャルグループ、2002年春を目途に事業統合することを発表・現在のみずほ銀行。 2000年1月初旬、田嶋美紀さんから電話でソニー株、売り時が来たと言い、売値はと聞くと33000円と言われ、翌日昼休みにN証券に、全株33000万円で売りと指示した。数日後全株800株が売れたと連絡があり4500万円で売れて税引き後利益が1867万円でとなり残金が2527万円となった。
2000年2月15日ソフトバンク株売り時が来たと言われ195000円で2千株を175500万円で売った。税引き後利益が30500万円となった。返却分の11000万円を除いた19500万円の残金となった。その後、ネットバブルがはじけてソフトバンクの株価が急降下した。この結果を見て田嶋美紀さんが1億円もらえれば十分だと言い1千万円を最初に返して細かく分けて2年間で全額を返却することにした。そして、池添幸夫さんに借りた1千万円を返却した。