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10話:田嶋好夫が体調崩す

 1989年10月9日、そして田嶋好夫が12月18日に帰って来て有給休暇が取れなかったので3週間の休みを取ったと言い自宅で寝てばかりの日が続いた。そして今年から欧州の営業の本体の仲間入りして大きな商談をまとめられるように腕を磨く事を営業本部から期待されていると奥さんに話した。そうして1989年が空け初詣で新しい大型商談に成功するようにお願いし、その他は家族の健康と発展を祈願して1月10日にロンドンに、出発した。1989年は、便りが少なくなり、便りが来ても絵はがきもなく、大変だという苦労話ばかりが書き綴られていた。


 長男の田嶋賢人は来年から小学校へ入るが、元気があり余っているのか、近くの広場を走り回っていた。長女の織絵は塗り絵が好きなようでクレヨンで塗ったり画用紙に丸や四角を書いて騒いでいた。1989年10月9日の昼、田嶋美紀さんから電話が入りソニー株を9400円で売ると良いと言われ全株売りをN証券に指示すると、少しして売れたと連絡が入った。税引き後利益1087万円となり残金が1267万円となった。


 そして11月8日、突然体調が悪いから帰国すると連絡が入り11月12日の便で到着すると言連絡が入りタクシーで新横浜に帰って来た。げっそり痩せて体調悪いのが一目でわかった。翌週の月曜日に横浜労災へタクシーで行くと、すぐ入院して精密検査をしようと医師から言われた。その後、肝臓の値が以上で極度の疲労状態にありめまい発作があり耳鼻咽喉科の先生の診断で重症・自律神経失調症とメニエール病と言われ長期入院が指示された。


 その後12月29日に一度退院して自宅に帰って来たが部屋にこもり、ずーっと寝ていた。そして1990年、外来診察を受けて、再び、入院加療が必要と診断され1月6日に入院した。1月10日本社の佐藤総務部長が田嶋好夫の病室に来て、お見舞い金と果物を持って入ってきて大変だったねと慰めてくれた。その後、M物産・役員の義理の父・池添幸夫が佐藤総務部長が3月末迄は社内規定で面倒見れると言い何とか9月末迄、伸ばしてくれと頼み込んでくれた。


 池添幸夫が頼み込んで出来るだけ協力するが出来るとはできないと打ち明けた。その後、4月8日、病院の規定で退院し4月になり精神科、神経科、耳鼻咽喉科、内科を受診して最後に主治医の森永先生が奥さんの絹恵さんと義理の父の池添幸夫を呼んで田嶋好夫と3人を前にし開口一番、あまり良くなってません。そのために会社の復帰はあきらめた方が身体のためですと言い精神的に参っているので復帰は難しいかも知れないと言った。

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[気になる点] 10話のソニー株を購入する話は、9話の4つ目の段落に書いてあるものと重複しています。
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