第5話
「んん……」
予想以上にグロテスクな展開から康大が目を覚ますと、
「おお、起きたでござるか」
「相変わらずだらしないな」
2人の美しい女性が目覚めを迎える。
しかも彼女たちはただ美しいだけではなかった。
「蛆は拙者とはいあさーす殿でちゃんと処分したでござるよ」
「皮膚の上に見えているのは全て取ったが、内臓まで食い荒らされていたらお手上げだな。まあ痛みがなければ問題ないだろうが」
2人は虫に対する抵抗がないどころか、場合によっては食べられる……を通り越してそもそも食べた経験さえあった。
話を聞いていただけで、康大の土気色の顔がさらに薄くなる。
可能なら体中を洗剤で洗いたい気分だ。
「それとこれでござる。サム殿からあの仮面はまずいと、変わりになる物をもらったでござるよ」
そう言って圭阿は鉄の仮面を康大に渡した。
確かにこれなら中で腐る心配はないし、肌の感触も遙かにマシだろう。今は室内にいるようなのでかぶる気はないが、彼女の厚意にありがたく甘えることにした。
「ところでここは?」
「話にあった宿泊施設で、サム殿の酒場の上でござる」
「そっか……」
康大は今まで寝ていたベッドから立ち上がり室内を見回す。
自分の寝ているベッドともう一つのベッドしかない簡素な部屋だ。本当に寝ることしかできそうもない。
たった2つのベッドしか……。
「――!?」
「なんだ、いきなり顔を赤くして。青くしたり赤くしたり忙しいなお前は」
「え、あ、いや、この部屋ベッドが2つしかないから、寝る時はどうするのかなって……」
――そう、男1人に女2人にも拘わらず、この部屋にはベッドが2つしかなかったのだ。
(ここは俺がレディファーストで床で寝るか。いや、そういうことは圭阿が言いそうだし、そもそも婚約してるんだからハイアサースと一緒に寝ても何の問題も――)
頭の中で必死に最善の答えを導き出そうとする。それは童貞に相応しい、愚かで完全に無駄な思考だった。
なぜなら。
「今更何を言っているんだ。お前は今までずっとそこで寝てただろう、一晩中な」
「……へ?」
圭阿が無言で木戸を開ける。
外から清々しい朝日が差し込んできた。室内が真っ暗だったため、今の今まで夜が明けていたことに気付けなかった。
「……寝てたの……俺……普通に……」
「ああ、全然起きなかったから、サムが酒場の男達に頼んでここまで連れてきたのだ。あいつらも話してみれば皆気の良い奴らだったぞ」
「はは……そうなんだ……。ちなみにハイアサースは」
「隣のベッドで寝たぞ。圭阿は何か用があると言って昨晩は一晩中飛び回っていたかな。私はすぐに寝たからよく知らんが」
「拙者心配性故、偵察してからでなければ安心して眠れないでござるよ。その合間に仮眠を数回とったでござる」
「大変だな」
圭阿の忍者然とした行動に、康大は感心しまた同情した。
「ま、拙者はこれ以外の生き方などいまさらできませぬから。それより朝食がてら外に出ませぬか? 安全が確保された以上、いつまでも部屋に閉じこもっているわけにもいきますまい」
「うむ、そうだな!」
力強くハイアサースが賛同する。
康大は今までの色々が本当に馬鹿馬鹿しくなり、
「それじゃ行くか」
鉄仮面で表情を隠してからそう言った。
言うまでもなくこの世界に冷蔵庫はない。
そのため買い物に行かなければ新鮮な食材は用意できず、どの住民も朝から食事を作るということはない。中にはフォックスバード邸のように魔力で貯蔵庫を作ったり、そもそも物が腐らないほど寒い地方もあるが、たいていは昼が最初か店屋物だ。
田舎は前者が多く、この街のようにある程度発展しているところは断然後者だった。
「ここは朝から活気があって良いな!」
ハイアサースが昨日同様、ウキウキした様子で露店を見回る。
康大は彼女の婚約者ではなく保護者のような気分になった。
「あまりはしゃぎすぎて転ぶなよ」
「おらはわらしか! ……まったく、虫ぐらいで取り乱すのに、相変わらず態度だけは一人前だな」
「否定はしないよ」
そう答えるのが康大の精一杯の虚勢だった。
「さて何を食べようか……」
「・・・・・・」
獲物を狙う狩人のような目で露天を回るハイアサースを、康大は不安そうに見ていた。
「先立つものがあるか心配しているでござるな」
康大の内心を圭阿がすぐに察する。
この忍者に仮面はあまり関係ないようだった。
「その点はご心配召されるな。御屋形様より幾ばくかの路銀は頂いているでござる」
「そりゃ良かった。さすがにこれぐらいの街だと貨幣も使えるんだな」
「これから王城に向かうまでの街では、どこも問題なく使えたでござる」
「王城……」
名前の響きからおそらく国王が住んでいるという場所なのだろう。この世界の政治形態はよく分からないので、そこがどういう意味を持つのかまでは分からない。
「結局この国ってどういう感じなんだ?」
今はそれなりに余裕もある。死の館もそこまで急いで行かなければならないわけではない。良い機会だからと、自分よりは多少は封建社会に詳しい異邦人の圭阿に聞いて見ることにした。
「どう……でござるか。こちらの世界も拙者がいた世界とあまり変わらないでござる。王がいてその下に領土を持つ領主がおり、必要に応じて兵を出し戦をする、言ってしまえばそれだけでござるよ」
もっと詳しく言えば、中央集権化はされておらず、国境はあり得ないほど曖昧で、王は領主達の政にまでは口を出せない。結果大規模な工事は行えず、内政という概念すらほとんど浸透していない。また、王という立場も絶対的ではなく、領主達の支えあってのもので、領主の方が力があることも珍しくはない。――そういった事実もあったのだが、圭阿にとっては当たり前すぎて、説明する必要すらないと思っていた。
「ふーん。あと魔王とかいるのか?」
「拙者は聞いたことがありませぬな。ただ元の世界にはいたでござる」
「そっちかよ!?」
意外すぎる答えだった。
「如何様。魔王と自称した鬼のように強い大名がいたでござる」
「ああ、そういう意味……」
圭阿の世界に転生したとしても、それはそれでありがちな話になりそうだった。
「おい2人とも!」
今まで放っておいたハイアサースに急に呼ばれる。そこで話は一端打ち切りとなった。
「一緒に食べないか? というかお金……」
「ちょっと待つでござる」
圭阿は苦笑しながらハイアサースと共に露天に向かう。康大も仮面の下で同じ顔をしながら2人の後についていった。
露天でのハイアサースは康大が危惧したような暴君ではなかった。節度を弁えた注文をし、圭阿を破産のどん底に陥れるようなことはしなかった。
おそらく経済観念はしっかりしており、その分タダで食べられるとなると容赦しないのだろう。
今までの基準から比較すると、腹八分目どころか二分目も怪しい量で朝食を終え、3人はいよいよ街から出る。
このあと、どこにいるか分からない盗賊を見つけて倒し、それをサムに報告する。
(これは大変だな……)
1日がかり、下手すれば何日もこの街に居続けることになる。
康大はそう思っていた。
面は変えても2人が顔を覚えられていたので、入る時と違い何事もなく門を出る。
「ところで2人に話したいことがあるでござるよ」
出て早々、唐突に圭阿がそんなことを言った。
「なんだ?」
「まあ何も言わずについてきてほしいでござる」
ハイアサースの質問に圭阿はそうはぐらかすだけで、1人すたすたと歩いて行った。
釈然としないハイアサースであったが、文句を言う前に、圭阿のスピードに全力疾走でついていく必要があった。それは康大も同じで、2人して速すぎる圭阿の後を追う。
圭阿は街道をそれ、木々生い茂る森の中へと歩いて行く。
目印も無いのに良くそう自信を持って歩けるなと、康大は感心した。自分のスピードに合わせて歩いてくれたなら、もっと感心しただろう。
しばらく歩いていると不意に足を止める。目的地がもう少し先だったら、康大は取り残され森で迷子になっていたかもしれない。
「いったい、こんな、ところ、まで、きて、何を……?」
息も絶え絶えの康大が、仮面を外し恨みがましい目で圭阿に聞く。ハイアサースは遅れそうになったものの、そこまで疲れてはいなかった。
「おお、少し気になって歩みが速すぎたでござるか。これは申し訳ない。拙者の用事はこれでござる」
そう答えた圭阿の視線の先には、猿ぐつわをされ木に縛られた男……シャーマンの盗賊がいた。
つまり。
「実は昨日偵察に出かけた折、怪しい者がいたので捕まえてみたところ、見事に件のしゃーまんでござった。いやあ、これも日頃の功徳の賜」
「捕まえたなら出る前に言えよ!」
康大の心からの叫びは、彼ら以外誰もいない森に木霊した。
「私もコータと同意見だ。なんでわざわざこんな所に隠しておいたんだ?」
「それでござるよ。この盗賊、康大殿の血を飲んだのござるが、こうして生きながらえました。そして見ての通り、ゾンビ化もしているでござる」
圭阿の言う通りシャーマンの肌は土気色で、ハイアサースとほぼ同じ状態だった。やはり聖職者にはゾンビ化が即効性の毒にはならないのだろうか。
「なるほど、ゾンビ化したからまだ死なずに悪事が出来たのか。しかし何故とっと首を切らない?」
ハイアサースの感想に康大も同意する。盗賊がゾンビになろうが、ここで殺してしまえばどうでもいいこと。動く死体が動かない死体になるだけだ。ただ後でゾンビになっていたこと言えば、それで充分だった。
疑問符を浮かべる2人に、圭阿はとんでもないことを言った。
「せっかくだからこの者がどこまで生きていられるか、確認しようと思ったのでござる!」
『確認?』
2人揃って声を合わせ鸚鵡返しをする。
「如何様。はいあさーす殿はぞんびになってしまい、普通の人間と同列には語れなくなりもうした。しかし、逆にぞんびになったことで丈夫になっている部分もあるやもしれませぬ。そこでこの者を切り刻み、果たしてどこまで生きられる確認してもらおうと思った次第でござる!」
笑顔で拷問スタートを宣言する圭阿に、康大とはハイアサースは唖然とした。
その一方で、これから待ち受ける未来を完全に理解したシャーマンの盗賊は、縛られたまま思い切り暴れる。
それからしばらくの間、シャーマンの盗賊のもがく声だけがその場に聞こえた……。
「……そ、その、ハイアサースのことを考えてくれたのは分かった。でもここはそんなことしないでひと思いにやった方が……」
ようやくショックから立ち直った康大がおずおずと切り出す。
けれども、
「拙者、捕まってからこの男に一番手ひどく犯されたでござるよ。もう少しで死ぬかと思ったでござる」
「・・・・・・」
笑顔で言った一言で、康大はそれ以上何も言えなくなった。
ハイアサースも「それなら……」と折れる。
シャーマンの盗賊は目で2人にしきりに助けを求めるが、そもそも康大にもハイアサースにこの男を助ける義理など無い。反対したのは、ただ残酷ショーが見たくなかったからにすぎない。
「あの」
「なんでござるか?」
「俺達見てないと駄目?」
「そこまでしなくてもいいでござるよ。ここまで来てもらったのは、1割は確認で9割はこの男があり得ない希望を抱いた後、さらに絶望に歪む顔が見たかっただけでござるから」
「そ、そう……」
忍者コワイ。
康大もハイアサースもそれをまざまざと思い知らされた。
幸いにもハイアサースはしっかり帰り道を覚えていたので、彼女の道案内に従い、康大は逃げるようにその場を後にする。
それから数分後、背後から明らかに人間のものと思える絶叫が聞こえてきたが、
「猫かな?」
「猫だな!」
2人はそう言って、街へと戻っていった……。