第4話
康大も街道では人目を避けるように振る舞うだけで、ゾンビ化を誤魔化すことができた。
しかし街に入ったらそういうわけにはいかない。人目は常にどこにでもあるのだ。
ただ、その衆人環視を防ぐための装備は、既にフォックスバード邸で整えていた。
ではなぜそれを今までしなかったのかというと――。
「……やっぱりちくちくして痛がゆい」
木の仮面をかぶった康大は、不機嫌な声音で言った。
夕方過ぎ、ついに街まで到着した3人は、中に入る前にそれぞれの準備をする。
圭阿は街に怪しい人間がいないかの偵察を。彼女はそもそもマリアの護衛で、マリアは曰くのある身。慎重に行動を起こさなければならない。
ハイアサースは言うまでもなく回復魔法で顔色を元に戻した。彼女の場合すぐに元に戻れるので楽だ。
そして康大はフォックスバードからもらった仮面をかぶったのだが……。
「これ内面の加工、もっとどうにかしてくれなかったのかな」
「そんなオモチャみたいな物、だれもかぶるとは思わなかったんだろう」
ハイアサースの指摘通り、木の仮面はちゃちな作りで、顔も楕円を適当に組み合わせたようなものだった。とりあえず前が見えて口が開いているだけマシ、と思わなければやっていられない。
「あー早く脱ぎたいわ」
「ま、少しの辛抱だ」
「おーい、でござる」
先に街に入り、様子を窺っていた圭阿が2人の元に戻ってくる。
康大もハイアサースも未だ街に入らず、外で圭阿の偵察が終わるのを待っていた。
「とりあえず問題はなさそうでござる。入口の門の警備も今は平和でござるから、康大殿もあまり厳しく調べられることもないでござろう」
「う~ん、でもなあ……」
ゾンビよりマシとはいえ、出来の悪い木の仮面をかぶった男もかなり胡散臭い。そこを指摘され仮面を脱げと言われたらそれまでだ。
「まあでも最悪、俺だけ外で待っててもいいか」
「いや、我ら3人共にあるべきだ。仮とはいえ、お前は私の婚約者でもあるんだからな」
「!?」
その言葉で康大の心臓が跳ね上がりそうになった。ハイアサースの言い方から昨日の話は冗談で、翌日になれば忘れているものだと思い込んでいたのだ。しかし何気なく言った言葉でも、現代日本と同じようにその意味は重かった。
それが分からなかった康大は恥ずかしさと、まだ婚約者でいられた喜びに顔が真っ赤になる。
「ん、どうした?」
「いや!? なんでもない!?」
康大は裏返った声で答えた。
「……ふむ、確かに康大殿の懸念も尤もでござる。そこで拙者に良き考えがありまする」
珍しく圭阿がアイデアを出す。
「拙者、元の世界では身分を詐称して忍び込む機会が多かったでござるから、こういうことは得意でござる。まずはお互いの立場を決めましょうぞ――」
それから圭阿は2人の偽の身分の説明を始めた。
具体的にどうしたかというとこうだ。
「止まれ」
3人は街の入口で衛兵に止められる。
街は村と違い周囲を高い石の壁で囲まれ、出口の門は厳重で南北に2つある。おそらく1000人以上は住んでいるだろう。康大の懸念通り、さすがに康大のようなあからさまに怪しい人間は、平時とは言え素通りできなかった。
「お前達は3人一緒か」
「ああ。2人とも私の従者だ。私はハイアサース・ビトム・ミルシュバン、ミルシュバンの血を引く者である」
「あのミルシュバンの……」
兵士は彼女の名前を聞いて表情を改める。
まずこれがハイアサースに与えられた役割。彼女は伝説の騎士にして祖先であるイオ・ビトム・ミルシュバンの末裔の騎士という、ほとんど嘘のない身分を割り当てられた。
ミルシュバンの名は伊達ではなく、兵士の態度も明らかに変わった。そして残された絵とよく似ているハイアサースの容姿が、何よりの説得力を持っていた。
ハイアサースの影で、康大と圭阿は何も言わずに頭を下げる。
これが2人与えられた従者という役割だ。
2人の服装から、高い身分の人間には見えない。だからといって素直に旅の者と言えば、目的など根掘り葉掘り聞かれて面倒だ。その点、騎士……つまるところ貴族の従者ということになれば、騎士役であるハイアサースさえ答えればいい。
さらにミルシュバインの末裔と名乗れば、
「イオ・ビトム・ミルシュバンの墓参りの旅の途中だ」
の一言で相手を納得させられる旅の目的のできあがりだ。
圭阿はここに来るまでの間、暇さえあればハイアサースから聞かされていた話から、この物語をでっち上げたのである。
「さ、左様でしたか……。しかし、そのお付きの方の面はさすがに外して頂けなければ……」
「何故だ。この私が信じられぬか」
そう堂々と答えるハイアサースの姿は、まさに伝説の女騎士の末裔そのものであった。彼女も村でしていた司祭の真似事の経験がこんな所で役に立つとは、思いもしなかった。
「いえ、そうではありません!」
兵士は慌てて否定する。
「実はこの近くに盗賊共が出没しておりまして、それが小狡い手を使うらしく、領主様もご立腹で……。私達も念入りに調べないと叱られてしまうのです」
だが、折れたわけではなかった。
「……そこまで言うのなら仕方あるまい」
結局ハイアサースの方が先に折れる。
ただし当然これも予定の内で、もしそこで通れなかった場合の手も圭阿は考えていた。
「ただ先に言っておくが、この男は流行病を患い二目に見られぬ顔をしている。それが故にこんな仮面をつけているのだ。彼は旅は私の世話だけでなく、偉大なイオ・ビトム・ミルシュバンへの病気快癒祈願も兼ねている。彼のためにもあまりじろじろ見ないで欲しい」
「は、はい……」
兵士はつばを飲んで康大に近づく。
康大は打ち合わせ通り、わずかに仮面を取り、まだそれほど腐っていない方の頰あたりだけを見せた。
全部脱げばゾンビでも、一部だけでなら病人で誤魔化せる。それが圭阿の狙いだ。
果たしてそれを見た兵士は、「もう結構!」と自分から顔を背け、再び仮面をつけるように促した。
「理由は分かりました。ですが、その、うつると言うことは……」
「常に一緒にいる私の顔を見ても同じセリフが言えるか?」
ハイアサースは真面目な顔をし、美しく健康的な肌の美貌をこれ以上ないほど強調する。
このあたりは打ち合わせになく、ハイアサースのアドリブだ。圭阿は咄嗟にフォローを入れようとしたが、寸前でそれを止めた。
ちなみにこの話だけは言うまでもなく完全な嘘で、ハイアサースは康大にしっかり感染させられている。
兵士は恐縮し、それ以上何も言わずに3人を街へと通した。
渦中でありながら何も出来なかった康大は、ほっと胸をなで下ろす。
そしてここまで完璧な芝居がで来たハイアサースに、素直に感心した。
「やればできるもんだな」
「・・・・・・」
せっかく褒めたというのに、ハイアサースに反応はない。それどころか、先ほどの自信に満ちた表情すら変えない。
あの兵士から距離をとっても、それは同じだった。
「ハイアサース?」
「いや……緊張……し過ぎて……顔が……固まっ……た」
「・・・・・・」
相変わらず最後は締まらない婚約者だった。
街は村とは違い、往来には露天が溢れていた。この街は交通の要所でさまざまな行商人が多く訪れ、店舗の回転も早いため露天の方が都合が良かった。
売られているものは食料から、衣料、日常品といった生活必需品意外にも、宝石やよく分からない置物など様々だった。ただ、現代日本の情報化社会に毒されている康大には、そこまで興味を惹かれる物もなく、圭阿も任務をまず第一に考え立ち止まることはなかった。
しかし、ようやく表情が戻った彼らのご主人様は違う。
「見てみろコータ! 蛇とか売っているぞ! いったい何に使うんだろうなぁ!」
何か気になる露天がある度に立ち止まり、康大や圭阿に話を振る。
田舎育ちのハイアサースには見る物全てが新鮮で、無視することなど出来なかったのだ。幸いにも金銭感覚はしっかりし、やたら買うことは無かったが、いくら使っても減らない好奇心は、一向に衰えることがなかった。
そんなことをしていたものだから、歩いて5分ほどで到着する目的の場所におよそ1時間もかかってしまい、着いた時にはこの世界では深夜とも呼べる時間になっていた。
「こんなに遅くなって大丈夫か?」
「なに、こういう場所はいつでもやっているものでござるから、心配無用」
フォックスバードから教えられた場所、どう見ても場末の酒場にしか見えない建物の前で、圭阿は平然と答えた。
といはいえ、さすがにハイアサースも責任を感じてか「すまない」と言いながら縮こまる。
「まあとりあえず入ってみるでござるよ」
圭阿はこともなしに答えて扉を開け、康大とハイアサースもそれに続いた。
そこは見た目だけでなく、内装も完全に酒場のそれであった。カウンターにはバーテンダー、いくつかのテーブルには厳つい男達が、他人の迷惑を顧みず騒ぎながら酒を呑んでいる。
だが、場違いな客が入った瞬間、彼らの喧噪が一瞬で静まり、視線が一斉に集まった。
盗賊達よりは幾分マシだったが、誰も彼も脛に傷がありそう人間ばかりであった。
「やっぱりこの仮面は怪しすぎなのかな……」
「拙者はそうとも言えんと思うでござるよ」
「ガキは帰んな」
2人でそんなことを話していると、バーテンダーが客商売を全く理解していないような台詞で近づいてくる。
典型的な押しの弱い日本人である康大はその圧力に負け、思わず店から出て行きそうになった。
けれど典型的でない世界の忍者である圭阿は、全く臆さない。
「拙者達はふぉっくすばーど殿の使いで参った。ぜひ馬車を買わせていただきたい」
「馬車?」
バーテンダーは怪訝な顔をする。
ただフォックスバードの名前は効いたのか、少し待ってろと行って店の奥へと消えていった。
「とりあえず座るでござるよ」
「そ、そうだな」
「(なんか都会だべ!)」
康大とは別の意味で浮き足立っているハイアサースと共に、3人は手近な席に座った。
ハイアサースはきょろきょろとここでも興味深そうに周囲を見ていたが、康大はテーブルを見つめなるべく視線を合わせないようにする。圭阿だけがいつもどうりの泰然自若だ。
やがてバーテンダーではなく、店主らしき50台ぐらいの、やたら派手な服を着た恰幅のいい厚化粧の女性が3人の前に現れる。
「ついてきな」
女は3人にそう言うと、返事も聞かずに店の奥へと歩き出した。
相変わらず客商売をする気がない店員の態度に、康大は心の中で反感を覚えながらも、行動では素直について行く。それにハイアサースが続き、最後に警戒しながら圭阿が続いた。
彼女だけは見逃していなかったのだ。
客達が女が現れるのと同時に、そっと自分の獲物に手を伸ばしていたことを。
店の奥には隠されたような個室があり、全員がそこに入ると中からではなく外から不意に扉を閉められる。
康大もハイアサースもあからさまに驚いたが、唯一圭阿だけが「やはり」という顔で苦笑した。
「証拠はあるのかい?」
部屋が密室になるのと同時に、女が言った。いちおうテーブルも椅子もある部屋だったが、立ったままだ。それは何があってもすぐに対処できる準備であり、康大達同様彼女も3人を警戒していた。
突然の展開にあたふたするだけの康大とハイアサース。
圭阿はこういう交渉事は康大に任せる気でいたが、今回は役に立ちそうもないと判断し、自分が前に出る。
「ふぉっくすばーど殿からは、馬車の代金がその証拠になると聞いているでござる」
そう言って、懐から小瓶を取り出す。
圭阿の言葉通りの物だが、中に何が入っているかまでは圭阿は知らない。ただ馬車と同等の価値がある以上高価な物であることは明らかだったので、旅の間は圭阿が持っていた。
当然康大もこのあたりのやり取りは知っていたが、今は気が動転して話せる状態でもなかった。
女はそれを受け取ると、蓋を開けてその臭いを嗅ぐ。
いや、嗅ぐまでもなく蓋を開けた瞬間、密閉された室内に強烈な香水の匂いが広がった。
予想以上に強い匂いだったのか、女は慌てて蓋を閉じる。
「臭い!」
ハイアサースが状況も弁えず、思い切り素直な感想を言った。
その瞬間康大は仮面の中で顔面蒼白になるが、女は初対面の時とうって変わった朗らかな顔で笑った。
「はははは! まあ、嬢ちゃんみたいな慣れてない子に、この匂いはキツいかもね。確かにこれは先生の調合した香水だ。香りもアタシの注文した通りのもんだ。分かった、アンタらをフォックスバード先生の使いと認めよう。まあ伝書鳩でアンタらの風体も聞いていたし、試すようなことをして悪かったね」
「目的が果たされれば拙者からは何もないでござる」
「・・・・・・」
終始眉1つ動かさなかった圭阿の隣で、康大はほっと胸をなで下ろす。剣呑な空気がなくなったことは、康大にも良く理解出来た。
康大が落ち着いたことを察すると圭阿は、「これからは康大殿が話すと良かろう」と一歩身を引いた。
「取り決め通り既に馬車は用意している。今渡してもかまわない。けどちょっと問題があってね」
「問題?」
康大は嫌な予感がした。
それと同じく、「だろうな」という諦めにも似た納得もあった。
「アンタらもこのあたりに盗賊が出てるって話は聞いたろ? それで困ったことに、領主様が盗賊団の討伐が完了するまで、先生のいる村方面の馬車の数を制限するようにしちまったのさ。聞いたところによると、結構高貴な身分の人の馬車が襲われたことが原因らしいね」
「・・・・・・」
完全に当事者である圭阿は何とも言えない顔をした。
しかし、彼女の話は康大にとっては別になんら問題では無かった。
なぜなら。
「その盗賊団はおれたちが先日ほぼ壊滅させましたよ」
一昨日、そのほとんどが死んだのだから。
大部分は今頃モンスターや獣の餌になっていることだろう。
しかし女は首を横に振った。
「いや、実はその話も先生から聞いてるんだよ。でも出ちまったもんはしょうがない。シャーマンみたいな盗賊がね」
「・・・・・・」
今度は康大が黙る番だった。
おそらく女の言っているシャーマンとは、康大が最初に感染死させたあの盗賊のことだろう。圭阿のとどめの一撃から逃れ、どうやらしぶとく生き残っていたらしい。
(そりゃハイアサースが生きてたんだから、他に生き残ってる奴がいてもおかしくないよな)
アンデッドを浄化できるという共通点があるならなおさらだ。
康大は視線だけで「どうしよう?」と圭阿に尋ねた。
圭阿も圭阿で「どうしよう?」と目が訴えていた。
「ならば再び殺せばいい!」
最も単純で正しい答えは、意外な人物の口からもたらされた。
自信を持って答えたハイアサースの発言に、康大も圭阿も目が点になる。だが考えてみればその通りで、何も原因作ったことを今更負い目に感じる必要もない。むしろそれだけで済んで良かったと、ポジティブに考えるべきだ。
なにしろ、悪いのは完全無欠で盗賊の方なのだから。
未だ生きているというのなら、今度は念入りに殺せば良いだけのこと。
「そ、そうだな。また倒せば良いだけだ」
「ふむ、確かにはいあさーす殿の言うことは尤もでござる」
「へえ、アンタらがまたやってくれるのかい。分かった、そのシャーマンの首を取ってきたら、アタシが上手く領主様に取りなして、すぐにでも出発できるようにしようじゃないか。ただ今の時間はもう門は閉まってる。首を狩りに行くのは明日にしな。それまで、ここでタダで泊めてやるよ」
「有り難うございます。えっと……」
「サム・サー、それが今のアタシの名前さ」
「サムさん」
康大は頭を下げる。
「それとアンタの仮面ももう取ったらどうだい? 事情は先生から聞いているからさ」
「そういうことなら」
康大は言われるがまま仮面を外した。本当に今までずっと痒くてどうしようもなかった。
仮面を外した瞬間、サムの顔が真っ青になり、そのまま慌てて部屋の外へ駆けだしていく。
やっぱりこの顔は初対面の人にはきついかと康大が思っていると、
「顔に蛆が湧いているでござるな、仮面の中に卵でもあったか、知らぬ間に植え付けられたのでござろう」
圭阿の一言でサムだけでなく、康大の血の気と意識も引いていった……。




