第3話
夜が明ける。
悩んで眠れなかった者にも、疲れて起きていられなかった者にも、そもそも仮眠しかしていなかった者にも平等に朝日は注がれる。
そのかわり、朝の優雅な目覚めは最も早く起床した者のみにしか与えられない。
「……んん?」
康大は何かががさごそと動く音で目を覚ました。
近くにモンスターがいても襲われる心配はないし、何より見張りを買って出た圭阿が起こしてくれるはずだ。
「なんだこれ……?」
目の前には二つの大きな果実……ではなく、大きな胸があった。
視線を少し上に逸らすと、その持ち主の顔が視界に入る。
言うまでもなくハイアサースだった。かなり朝が早いのか、まだ目を瞑り寝息を立てている。
寝る時は鎧を脱いでいるので、その暴力的で服からこぼれ落ちそうな胸がこれ以上ないほど存在を主張する。呼吸と共に上下する光景だけで、今まで見てきたどんなエロい動画より上だった。
寝ぼけた頭で康大は考える。
これは揉んでも良いのだろうか、と。
あまりにハイアサースのことを考えていたために見ている夢のようにも思えるし、どちらかの寝相がやたら悪かったという現実にも思える。
しかし、そう考えている内にも身体は本能に正直に行動し、例よってハイアサースの豊かな胸を思い切り鷲掴みにしていた。
(これは……!)
その極上の柔らかさに、康大は再び感動した。
肉球ごしてもその感触はしっかりと伝わる。
「んん……」
ハイアサースが今まで聞いたことのないような色っぽい声を上げる。
その瞬間、これまた例によって康大の脳は現状を正確に理解し、慌ててその場から離れる。
「(どこだ圭阿ァ!)」
ハイアサースを起こさないよう、小声で今回の黒幕の名前を呼んだ。
「(ここでござる)」
同じ小声で返事をし、圭阿は康大の枕元に立った。
「(お前何してんだよ! 思わずおっぱい揉んじゃったじゃないか!)」
「(拙者としてはそのままひん向いて、事に及んでくれると良かったのでござるが……)」
「(だから俺とアイツはまだそういう関係じゃないって言ってるだろ! ていうか今の段階でそんなことしたら、マジで一緒にいられなくなるから止めてくれ!)」
「(はいあさーす殿を見た限り、同じ女としてまず問題ないと思うのでござるが……)」
「(圭阿の基準は偏りすぎだ……)」
「んん……」
そんなことをしている内に、ハイアサースも目を覚ます。
「ん? 何か思いきり移動しているな」
康大と違い寝起きでも頭がはっきりしているハイアサースは、すぐに異常に気付く。
尤も、気付くには気付くが、
「まあいいか!」
拘りはなかった。
ハイアサースは鎧がある所まで移動し、いつものように鎧を纏う。
「ぐぬぬぬ……!」
こめかみに血管を浮かばせながら強引に胸を押し込む姿を見ていると、康大もようやく冷静になり、下半身も落ち着いてきた。
「おはよう」
「おお、おはよう。今日は随分と早いな。私が見た限り、お前が一番疲れていたと思うが」
「まあ起きてからもかなり疲れたけど……」
「なんだそれは? ところでさっきからやたら圭阿とくっついているが、またよからぬことでもしていたのか?」
「ち、違う!」
康大は慌てて圭阿を押しのけた。
自分の怪力も忘れ本気でしたため、圭阿は木にぶつかるまで吹き飛ばされ「ぐげっ!」とカエルの断末魔のような声を上げた。
「あ、悪ぃ!?」
「ぐぐ……あばらもってかれたでござる……」
「何をやってるんだか……」
珍しくハイアサースが呆れる。
それから3人は軽い朝食を取り、再び街に向かって移動を開始した。
今回は村に行った時は違い、ハイアサースも見た目だけなら回復でき、また真人間の圭阿もいるので、森を突っ切るようなことはせず、そのまま街まで続く道を進んだ。人踊りの少ない道であまり警戒する必要も無かったが、それでも人と会う時は会う。
その際、事情を説明するのも面倒なので、康大は道の脇で背中を見せて俯き、ハイアサースと圭阿が応対した。
街に近づいていくとすれ違う人も多くなり、康大を気にする人間も出てくるようになった。
そういう時、何も言えずしどろもどろになるハイアサースの代わりに圭阿が、
「実はらい病を患っていて人に顔を見せられないでござる」
とか、
「病的な人間嫌いで人の顔を見ると発作が起きるのでござる」
と、相手を見ながら折れたあばらで出任せを言っていた。
それで納得した人間もいれば、しなかった人間もいる。
しかし、3人が足早に通り過ぎると、止めてまで聞こうとする人間はいなかった。彼らも旅の途中、厄介ごとは避けたかったのだ。
そんなことを繰り返している内に、時は過ぎ瞬く間に昼になる。
荷物は圭阿に分担してもらっても、康大の体力不足が解消されたわけでもない。予定では街に到着している時間であったが、康大のこれからも考え一端休憩を取ることにした。
康大は一息つくと同時に、袋から干し肉を取り出し、それを水筒の水で流し込む。手持ちの食料はほぼこれぐらいしかないので、後は街でどうにかするしかない。
康大はそう思っていたが、女性陣2人は全く違った。
「食料を調達するか!」
「そうでござるな」
当然のように自給自足を開始する。
元から食が細い康大にはこの程度でも何とかなるし、そんなことをするぐらいなら休みたい。
「コータはどうする?」
「俺はここで休んでいるからいいよ。足を引っ張って済まない」
「こればっかりはどうしようもないでござる。そもそも御屋形様が盗賊に捕まったのも、侍女達が余計なことをして予定通りの旅が出来なかったからでござるから。あれに比べれば進んでいるだけマシでござるよ」
「・・・・・・」
慰めてくれているのは分かっていたが、素直に感謝は出来なかった。比べる対象が蝶よ花よと育てられた少女達では、あまりに情けなさ過ぎる。
「それでは行ってくるぞ」
「行ってらっしゃい」
康大は手を振りながら2人を見送った。
2人を心配したところで杞憂だ。むしろ残された自分の方が危うい。
1人だけのゆっくりとした時間が流れる。
康大はなんとなく寝転んで空を見上げた。
空だけ見れば、こちらの世界も現実の世界も同じだ。
「平和だな……」
現実世界では空を見ても救助のヘリコプターを捜すだけで、そう思うことなど一度も無かった。ゾンビ騒動が起こる前は、そもそも空など見なかった。
自分の心境の変化が、流れる雲のようにはっきりと分かる。
そしてただ待っているだけでは、その内すぐに飽きてしまうことも。
康大は目を瞑った。
ああいうのは暇つぶしには丁度いい。
《人の子よ、またこの偉大な女神に頼るのですね……》
ミーレは例の白い衣を纏い、とってつけたような妙に神々しい景色をバッグに、厳かな態度で言った。今が勤務時間であることは明らかだ。
「いや、ただ暇だから暇つぶしに……」
《マジですか人の子よ……。私が今日はこんなに頑張って真面目に働いているというのに、言うにこと欠いて暇つぶしとは。地獄に落ちますよ》
「女神の世界から地獄に落ちるって、人間の世界に落とされる感じか? 例の羽衣伝説みたいな」
《いえ、別にこっちの世界から人間の世界はみんな観光でよく行きますし、地獄と言うほどでもありませんよ人の子よ。まあ地獄も地獄で観光にいきますけど》
「すごいな女神、女子大生やOL以上に旅行好きすぎだろ」
《しかし人の子よ、暇だというのなら、逆にこの女神を助けようとは思わないのですか?》
「助けるったって、人間から落第したような俺が出来る事なんてないだろう。いちおう、本当にいちおうではあるけどお前ら何か上位存在っぽいし」
《そんなことはありません人の子よ。スタッフの仲が良くアットホームな職場です……》
「あーブラックなバイト募集で良く聞く文言だな」
《ふふ、どこの世界でも考えることは同じですね人の子よ。ちなみにここにある書類を、良い感じでこのパソコンに打ち込んでくれると非常に助かります》
「データ入力か……」
あまりやりたくない作業だった。面倒くさい割に正確さが求められ、やり甲斐もない。暇つぶしを求めて会いに来たとは言え、そんなことするぐらいなら寝ていた方がマシだ。
《そして私は人の子が仕事を肩代わりしてくれている間、スマホで時間限定セールのチェックやたまっている海外ドラマを見ます……》
康大はすぐに目を開いた。
あの女神に構っていると、やはり碌なことは無い。
それからぼうっとしてると意外に早く時間が過ぎ、2人もそれぞれの成果を持って戻って来た。
「とりあえず茸と食える野草をとってきたぞ。……まあ死にはしないだろう」
「そ、そうか……」
田舎暮らしで慣れているから、そのあたりの判断力はかなりのものがあると康大も思う。ただ最後の言葉が不穏すぎた。
一方の圭阿が撮って来た物は食べられることは確実だが、
「うさぎを狩ったでござるが、その場でしめて皮を剥いで血抜きしてきたでござる」
都会育ちの康大にはただただグロテスクだった。
「おお、いい物を捕まえたな。せっかくコータが鍋を持ってきたし、それを使うか」
2人がわいわい言いながらうさぎを捌いてくいく。ハイアサースは短剣で、圭阿は苦無でそれはもう綺麗に捌いていった。
血抜きしたとはいえまだかなりの血が体内に残っており、2人の手は返り血で真っ赤になる。
それを特に洗い流すこともなく肉を鍋に入れ、火を熾して野菜や茸と合わせて煮始めた。
「味付けは適当に塩でも振っておけばいいか」
「そうでござるな」
「・・・・・・」
ある意味女子らしい大ざっぱな味付けをする2人を見ながら、康大は出発の際ダイランドに鍋と一緒にもらった調味料を思いだす。
袋の中を調べてみると、いくつかの小瓶があった。
康大はとりあえず蓋を開け、その臭いを一つ一つかいでみる。
少食で食べることに対して興味はなく料理もしない康大であるが、両親がグルメなので味覚や嗅覚も平均より鋭く、何よりセンスがある。嗅げばどんな調味料で何が作れるかだいたい理解出来た。
(これは……となるとこれと合わせればおそらく……)
康大は調味料の小瓶のいくつかを、何も言わずに鍋の中にぶち込んだ。
「ああ、お前何をするんだ!?」
「うわ……何か妙な色になったでござるな。味噌のようでござるが、臭いが全く違うでござる。これはなんでござるか?」
「カレーだよ」
コウタは言った。
つまり調味料の中にはスパイスがあったのだ。現実の世界とはかなり植生が違うこの世界で、似たような調味料を探し当てた件の転生者は、本当に驚愕に値する。
カレーを食べたことがないハイアサースと圭阿は、随分と怪訝そうな顔をした。慣れないとカレーの臭いも、食欲を促進させるわけではないらいしい。
康大はハイアサースから短剣を借りてかき混ぜ、刃の腹に乗せて味を見る。
(やっぱり日本風のやつより本場の味に近いな。小麦粉も油も入ってないだろうから、スープのままでとろみは出ないだろう。今回は肉に火が通れば充分か)
そう判断し、2人に「もう食べて良いぞ」と言った。
鍋を前に判断に迷う2人。
最初に動いたのは例によってハイアサースの方だった。
覚悟を決め熱々の鍋に手を突っ込む。
「熱い!」
「当たり前だ馬鹿!」
「いや、でもスプーンがないしこれでもがんばればいけるかなと……」
「そういえば持ってこなかったな」
調理器具はあったが、康大も食器にまでは考えが至らなかった。
だが幸いにも、その場には現地調達の達人がいた。
「実は昨日の夜暇だったので、見張りの合間に作っていたでござるよ」
そう言って圭阿は、2人分の木のスプーンを懐から取り出して渡した。
「あるなら私が手を出す前に言ってくれ……」
「さすがにそのまま素手で食べるとは、思わなかったでござる」
「・・・・・・」
ハイアサースは顔をわずかに赤くし、圭阿の手からひったくるように奪ったスプーンでカレーを口に運ぶ。
「……辛い!」
「まあそうだろうな」
慣れていない人間にカレーが辛すぎることは、十分予想できた。
「……拙者は遠慮するでござる」
ハイアサースの反応から、圭阿は身を引く。
しかし――。
「辛い……けどなんか美味いぞこれ!」
ハイアサースが自分から食べ始めたことで、その考えは変わった。
「むむ、そういうことなら拙者も」
ハイアサースの横から手を伸ばす。
それをハイアサースのスプーンが恐ろしい速さで振り払った。圭阿でさえ反応できずに、持っていたスプーンを叩き落とされる。
「え?」
呆気にとられる圭阿をよそに、一人鍋ごとかき込むハイアサース。
結局残ったのはうさぎの骨だけで、他は全てハイアサースの腹に収まった。
「……ああ、辛いが美味かった。圭阿も嫌がらずに食べれば良かったのにな」
「……そうでござるな」
どうやら圭阿を振り払ったのは無意識だったらしい。
恐るべき食い意地だった。
康大は別に食欲もなかったのでいいが、一口も食べられなかった圭阿が哀れでしようがない。
「……かれー」
恐ろしいほど虚ろな目で圭阿は呟く。
「まあ戻ったらダイランドに作ってもらえばいいさ。スパイスがあるって事はレシピも知ってるだろうし」
康大にはそう言って慰めることしか出来なかった。
そんな2人の気持ちなど全く知らず、満足そうに腹をさするハイアサース。
しかしまもなく彼女に天罰が訪れた。
「うへへへへ」
街まで後もう少しになった夕方頃。
不意にハイアサースが薄気味悪い笑い声をあげた。
康大も圭阿も何事かと驚いてハイアサースに駆け寄る。
「これは……」
康大がハイアサースの顔を見ると、楽しんでいるというより錯乱しているようなだらしない顔で、笑い続けていた。
誰がどう見ても異常だ。こうなると美女も何もない。いや、むしろ顔が整っている分余計怖い。
康大は唯一回復魔法が使えるハイアサースの乱心に、本人と同じぐらい取り乱した。
しかし圭阿は一瞥しただけで表情も変えず、
「ワライダケでござるな」
つまらなそうに言った。
「ワライダケって……あの?」
「あの、が何を差しているか分かりませぬが、おそらく採取したきのこの中に入っていたのでござろう。まあその内収まるでござる」
「ならいいんだけど……」
康大はほっと胸をなで下ろす。
ただ圭阿は、康大に聞こえないような声で1人ぼそっと、
「いい気味でござる」
とほくそ笑んでいた。
圭阿の言う通り、ハイアサースの笑いはその内収まり、本人も「笑ったなあ」とあっけらかんとしていた。
そんなハイアサースの図太さが康大には信じられなかったが、その後に言った一言はさらに信じられなかった。
「まあワライダケと知っていてい食ったんだから、先に言うべきではあったな。あれは後で笑うと分かっていても美味いから止められん」
「・・・・・・」
何も言えない康大。
そして康大に様々な衝撃を与えた街までの小旅行は、夜のとばりがおり始めた頃、ようやく終わりを迎えるのだった――。




