第13話
扉を開けるとそこは本の山だった。本棚すらない、ただ無造作に置かれた本の密林だった。
「これは私達が当たりを引いたようだな!」
「いや、外れだろ」
本当にここが図書館と呼ばれる場所だったら、本がこのように無造作に積み重ねられたりはしない。どうやら本の部屋という言葉は、そのままとりあえず本はあるという意味で、その本の価値に関してはまた別問題らしい。
念のためやり直しが出来ないかと背後を振り返ると、そこは何もない壁で、入ってきた扉は綺麗さっぱり消えていた。
「そうなるよな」とため息を吐きながら、康大はとりあえず最も近い足元に落ちていたエキセントリックな表紙の本を拾って、開けてみる。
内容はエキセントリックというより子供のらくがきといった方が正確で、ただ適当に色が塗りたぐられているページばかりであった。文字も一切無く、何が言いたいのかさえ分からない。
次に赤い炎をイメージしたような表紙の本を開けてみると、中身もずっと赤い絵の具で塗りたぐられた稚拙な絵のページしかなかった。同じように字はない。
「おいコータ、何か妙なものがあるぞ」
本ではなく部屋を調べていたハイアサースが康大を呼んだ。
声を頼りに本の山をかき分けそちらに行くと、ハイアサースは壁に出来た妙な凹みの前に立っていた。
「なんだこれは?」
「いや、今来たばかりの俺に聞かれても……」
答えようなどあるわけがない。分かることと言えば、この部屋に何かが嵌まりそうだということだけだ。この部屋に掃いて捨てるほどある何かが。
「これ本が入らないか!?」
「そうだな」
大発見のように言ったハイアサースに康大は適当に返事をした。残念ながらその程度の推理、文字の読めない乳幼児でも出来る。この部屋にある本の表紙はてんでバラバラだが、サイズは同じで、そのサイズこそ、この凹みであった。
「それじゃあとりあえずこの本を――」
「――入れる前にまず壁を調べてくれ」
「むむ、そうだな……」
先走るハイアサースを康大は諫める。何かあってからでは遅い。
康大もハイアサースと同じように凹みがある壁を念入りに調べたが、今までの部屋と違い、文字らしきものは一切無かった。凹みがない側の壁も同様で、凹みの周囲にわずかな装飾がされているだけの、無地の白い壁にこの部屋は囲まれていた。
「……何も情報が無いな。ざっと本を見たけど文字すら書いてなかったし、ここはどうすれば出られるんだ?」
「だからこの本を……」
「あのなあ……いや……分かった、やってくれ」
もし本を入れるのが1回きりだけ許されているのなら、今までのケースを考えて必ず注釈があったはずだ。それがないと言うことは、あの椅子のように何回でも試すことが出来るはず。なにより凹みには本が抜きやすいよう、脇に凹みも出来ている。
そう判断した康大はハイアサースにゴーサインを出した。
役に立てると喜び勇んでハイアサースは、適当に適当な本を入れる。
すると康大の予想に反し、入ってきたと同時に消えた扉がすぐに現れた。
「やったぞ!」
「・・・・・・」
素直に喜ぶハイアサース。
しかし康大はハイアサースほど純粋な人間ではなかった。
こんな簡単に扉が現れたことで、逆に深い疑いを抱く。
これは罠ではないのか、と。
「何をぐずぐずしているんだ。とっとと出て2人を追いかけるぞ」
「・・・・・・」
康大は無言のまま、一度嵌まった本を取り出した。案の定本は簡単に抜け、本がなくなるのと同時に扉も消える。
「お前何するんだ!?」
「まあ少し待っててくれ、試したいことがあるんだ」
康大は空いた凹みに先ほどとは違う本を差し込んだ。
すると、再び全く同じ扉が現れる。
ハイアサースは愕然とした。
「これは……どんな本でもただ嵌めれば良いのか!」
「なわけないだろ」
何処までいっても純粋なハイアサースに、康大は盛大なため息を吐く。
「いくら何でも簡単すぎると思ってたんだ。お前が特別運がいいとも思えなかったし。おそらくどんな本を差し込んでも扉は出るけど、その先は正しい本じゃないと即死するような罠なんだろう。たとえば――」
そう言って康大は最初にハイアサースが差し込んだ海が表紙の本を手に取る。
「この本の場合、表紙に書かれている通りの海に連れて行かれ、そのまま溺死する、みたいな」
「まさかそんなことが……」
「確かにもしかしたら違うかもしれない。だがそれを確かめるには、俺達の命がチップとして必要だ。それにこの凹みの周囲の装飾は、出現した扉の枠とも完全に一致する。だからここはそういうもんだと思ってくれ」
「……分かった、コータの考えに従おう」
ハイアサースは重々しく首を縦に振った。
(分かっているのかいないのか……)
康大は心の中で再びため息を吐く。
「そうなると、正解の本はいったい何だ?」
「多分、俺達が今までいた場所が表紙の本だと思う。とりあえず今はそれを捜そう」
「了解だ」
そして2人は、今まで自分達がいた廊下の情景を思いだしながら本を捜す。
この部屋にある本の表紙は大部分が一色で占められているので、まずそういったものは一瞬で除外し、明らかに風景画と言えそうなものをしっかり調べていく。
「これは黄金の絵じゃないか! つまり黄金の都に行けるのか……。そこまで金にがめついわけではないが、少し惹かれるな」
「大方周囲が黄金で、息すら出来ない部屋に連れて行かれるとかいうオチだろう。何か昔そういう小説を読んだ」
「欲張りが破滅するのはどこの世界でも同じか……」
はっきりタイムリミットが知らされていないせいか、2人は軽口を言い合いながら作業を続ける。――というより、単純作業でそうでもしないとすぐに飽きが来そうだった。
また、似たような絵柄の本が作業をより困難にさせる。
ぱっと見は廊下の風景に見えても、壁の色が違ったり向かいの木戸の形が違ったりと、地味に嫌らしい改変で康大達を惑わせた。
「2人は正解の部屋で頑張っているというのに、私達はこんな愚にも付かないことをしなくてはならないとは不甲斐ない……」
「そう言うなよ、これも必要な事さ」
「うう……こんどこそ!」
ハイアサースはそう言って、廊下の風景画と思わしき表紙の本を康大に持ってきた。彼女は廊下の情景をそこまで正確に覚えていないので、答え合わせは康大がしていた。康大も大概だが、それでも壁の色さえ覚えていないハイアサースよりはマシだ。
康大は渡された本の表紙を、注意深く確認する。
「……俺が見た限りでも、この本で間違いはないと思う」
「よし!」
ハイアサースがガッツポーズをした。
康大はなんとなく中身を開いてみると、今までの本は全て絵だけだったのに、その本だけは絵の上にびっしりと文字が書かれていた。康大には読めないが、おそらくこの館の説明でも書いてあるのだろう。
「それでは早速本を――」
「いや、その前にこの本に書いてある内容を読んでくれないか?」
「読む……ふむ、確かにその本は他と違って色々書いてあるな。しかもこれは古語じゃなく今私達が使っているパイソ語だ」
「俺は今初めてこの世界で自分が話している言葉の名称知ったわ……」
日本語という名称でないことはさすがに分かっていた。むしろここまではっきりと名称が違うのに、それ以外の言葉で会話に齟齬が出なかったのが不思議だ。ひょっとしたらミーレが何かサービスを――
(ないな)
――してくれたようにはさすがに思えなかった。
やはりここが次元を除けばそのまま現代日本であることが、1番の理由だろう。
「しかしパイソ後で書かれた本とは珍しいな。だいたい書物とは古語で書かれる物で、パイソ語は日記や防備録で使われるというのがセオリーなのだが」
「じゃあこれはそういうことが書かれているのか?」
「いや、少なくとも日記ではない。そもそも文章の態をなしていないんだ。ただ字を書き連ねているような……」
ハイアサースは首をひねる。
念のため1ページ丸々読んでもらったが、結局ハイアサースの評価は同じだった。
康大の心に何か引っかかったが、その引っかかりを解明するほどの材料に全く心当たりがなかった。
「まあ今はここを出ることが先決か」
仕方なく疑念を頭から追いやり、この部屋をやり過ごすために本を凹みに入れる。
その瞬間、見た目は変わらない扉が例によって出現する。
ハイアサースが真っ先にその扉に手をかけた。
しかし、その直後予想だにしなかったことが起きる。
「やあ」
「なんだべ!?」
突然扉が開いた上、中から平然な顔でフォックスバードが現れたのだ。
ハイアサースは分かりやすいほど分かりやすく腰を抜かした。本当に笑えるほど急な出来事に弱い。
フォックバードに続いて入ってきた圭阿が、倒れたハイアサースに手を貸した。
2人が扉を通った後も、本は差し込まれたままなので扉が消えることはない。
「……どうしてここに?」
気持ちを落ち着けてから康大は聞いた。場合によっては偽物という可能性もあるので、警戒は解かない。
「言うまでもなく僕たちが入った部屋が外れだったから来たんだよ」
「外れ? こっちもそうだったぞ。どんな部屋だったんだ?」
圭阿の助けを借りて起き上がったハイアサースが聞いた。
「図書館というか、空の棚を動かして指定された場所に移動する部屋だった。こっちの本が本来仕舞ってあったような空の棚をね」
(それなんてバ○オハザード……いや倉○番かな……)
康大は心の中で図書館の罠を既存のゲームに当てはめてみた。
「しかし、ふむ。君達の様子から察するにどうやらどちらも外れにようだね」
フォックスバードが顎に手を当てて考え始める。
以前の霧の迷宮と違い、彼が偽物とは康大にはどうしても思えなかった。その姿には、何か口では説明できない威圧感がしっかりとあった。
「最も可能性が高いのは、康大君が読めなかった単語の中に問題の書庫があった場合だね」
「もしそうだったとしたら俺にはお手上げです。いちおう読めなかったのは3つか4つ程度だったんですけど……」
「3つか4つ、か。しかし冷静に考えるとそれ以前の問題かもしれないね」
フォックスバードは少し言葉を選んでから言った。
「そもそもちょっと不自然じゃないかな?」
「不自然……ですか?」
康大は鸚鵡返しに聞き返す。
「ああ。僕には何であの地図に康大君の世界の言葉が使われているのか、どうしても釈然としないんだ」
「罠を仕掛けた奴が、たまたまコータの世界の言葉を知っていてそれを使っただけだろう」
ハイアサースの答えは単純だ。ただ今回に関しては、康大も彼女の考えに反論はなかった。それ以外理論的に説明できる理由がない。
だがフォックスバードは違った。
「状況的に考えるとそうなる。けれど、罠を仕掛けた智者は大分昔の人間だ。もし彼がその言語を知っていたとしたら、今の時代に、それなりに広まっているだろう。そうでなければ彼のような凡人が知っていて、僕が知らないはずもない」
恐るべき自信だが、その場にいる人間達にはそれがすんなり受け入れられた。
「つまり……どういうことなんだ!?」
ハイアサースはその言葉を最後に、考えるのも動くのも止めた。康大の頼みを未だ忠実に守っている。
一方の康大は、フォックスバードの言葉に再び何かが引っかかった。
もちろん凡人云々は関係ない。
「その顔は何か気付いたようだね、康大君」
「気付いたというか、なんというかさっきから胸にあったもやもやしたものが、フォックスバードさんの話を聞いてより大きくなったというか……」
「僕にはそれが何であるかは分からない。ただ、その気持ちをなおざりにしない方がいい。もしその何かがが分かる手がかりが見つかりそうもなかったら、振り出しに戻ることだね」
「振り出し……」
――そう言われて思いつくのは、あの出口を開いた本だ。この気持ちはあの本を見てから芽生えていた。
「……よし」
康大はフォックスバードの勧めに従い、凹みに嵌まった本を再び取る。
当然出口は消え、4人はまたこの部屋に閉じ込めれた。
「ほう、その本をそこに嵌めると出口が出るという仕掛けでござるか」
「ああ、ただ間違った本を嵌めると、間違った場所への繋がる扉が出てしまう。それで問題はこの本の内容なんだけど、フォックスバードさん見てくれませんか?」
「了解」
フォックスバードは受け取った本を、すさまじい速さで読んでいく。
完全な速読だ。無意味な文字の羅列だから、理解するのは普通の本よりはるかに難しいというのに、まったくその様子が見られない。
結局ハイアサースが1ページを読み終えるのと同じ速さで、およそ100ページ全て読み終えた。
「その本が現代語で書かれていて、ハイアサースが珍しいなって言ったことがどうしても気になって。まあ内容は意味不明なんですけど」
「うん、確かにこの本にはまともな文章が書かれていないね。おそらく暗号本だろう。うーん、こんな感じかな」
フォックスバードは手枷がかかっている状態にも拘わらず、平然と呪文を唱え、本にかざす。
すると、ある一部の文字だけが光り出した。
「魔法使えるんですか!?」
「まあね。構造解析して改竄するほど高度な魔法は無理だけど、この程度の魔法なら制御枷をしていても問題ないさ」
「チートすぎる……」
典型的なチート系小説なら、絶対に立場が逆だろうなと康大はしみじみ思った。
「……暗号解析魔法によると、なにやら本に関わる言葉が重要らしいね。ただ光っている場所を見ても、僕にはよく意味が分からない。全部のページが光ってるいるわけでもない。魔法の効果もここまでだ。とはいえ、少し前に見た字の気もするんだけど」
そう言ってフォックスバードは康大に本を返した。
康大が魔法によって加工された本を見ると、
「確かにそのようですね」
光っている部分が、アルファベットであることにすぐに気付く。
その瞬間、光り出した文字の明かりが深くかかっていた靄をも一気に吹き飛ばした。
「そうか……そういうことか!」
「1人で納得しているところ悪いけど、僕にも説明してくれないかな」
「拙者もお願いするでござる」
「当然私も!」
3人に一偏に説明を要求される。
康大は少し慌て、「あくまで個人的推測だけど」と日本人的な前置きして説明を始めた。
「結論から言うと、罠を仕掛けたのは1人の人間じゃない、と思うんだ」
「非常に興味深い話だね」
言葉だけではなく、フォックスバードは態度でも興味を示す。
「そもそも罠を仕掛けた智者が死んだって話ですけど、それをフォックスバードさんは一体誰から聞いたんですか?」
「直接ではなくあくまで伝聞という話で知り合いから、ね。まあその時は実際に館を突破した人間が情報源だと思っていたが、なるほど、君はこう言いたいのか。その事実を知っていた罠を突破した人間が、新しい罠を仕掛けた、と」
「はい。それもかなり最近。それならフォックスバードさんが知らないアルファベットを知っていたり、最近の言葉でこんな暗号本を書いたのも納得できます。そして館に書庫までの道がないのも」
「どうしてでござるか? いちおう今までの話は理解出来たでござるが、その結論に至る理由が分からないでござる」
「まず前提としてこの新しい罠を作ったのは、最初に罠を作った智者と同じような思考回路、知識を独占したいタイプの人間だった。そして、その誰かは罠を突破した後、自分で新しい罠を加え、自分だけが書庫を利用できるようにしようと考えた。その結果、本来あるべきだった書庫へ至るルートが消えてしまったんだ。自分だけが分かる暗号を残してね」
「その暗号がその本という訳か。彼……か彼女か知らないが、おそらく自分だけが言葉を理解していると、高をくくっていたんだろうね。その言葉を読める異邦人がここまで来ることを想定せずに」
「そういうことです。多分この本の暗号も固定されてるんじゃなくて、その都度変わるんでしょうね。そして今はこう書かれていました」
康大はそこで息を吐く。今まで早口でまくし立ててきたので少し喉が渇いた。
「The books are in the graveyard――本は墓場にある」
「墓場!?」
最も関係が深いハイアサースが、裏返った声で聞き返す。
「ああ、ここで言う墓場とは、言うまでもなく墓場が表紙の本のことだろう。結局フォックスバードさんの言う通り、この部屋で正解だったんだよ。それじゃあ早速皆で――」
「これかい?」
「早すぎィ!?」
魔法の力でまたしてもすぐに本を見つけたフォックスバードに、康大はドラ○もんを見ているような気持ちになった。
「それじゃあ僕が入れようか?」
「はい、お願いします。ただあくまで推測なんで、もしもの場合も考えてくださいね」
「分かった」
フォックスバードが本を凹みに入れると、例によって同じ場所に扉が現れる。
「それじゃあ最初に僕が入ろう。順番は康大君、ハイアサース君、圭阿君でいいかな」
「はい」
「異論は無い」
「拙者が殿でござるか、承知」
「それでは――」
フォックスバードが家に帰るような気軽さで扉を開け、中に入る。
康大とハイアサースはつばを飲み、緊張した面持ちでその後に続いた。
最後の圭阿は念の為、扉に苦無を差し込み閉まらないよう細工したが、彼女が入ると同時に扉は部屋から完全にその存在を消すのだった……。