第二話
はっきりとしない意識の中、声が聞こえる。誰だ、これは。少しすると、体が揺れ始めた。声も大きくなる。
「・・・様、お兄様。」
ふと目を開けると、メイド服に身を包んだ少女がいた。
「イリオスお兄様、起きてください。」
「マリアか。わざわらおこひにくるなんれ、どういうかれのふきまわひだ?」
寝ぼけてどうにも呂律が回らない。
「『どういう風の吹き回しだ?』じゃありませんよ。いつも起きられる時間になってもお見えにならないんですもの。心配して見に来たんですよ。」
「わるいわるい。夕べは仕事が長引いてね。ついつい寝過ごしちまった。王宮を制圧するだけの簡単な仕事のはずだったんだが。やることがそれだけじゃなかったもんで。」
「もう、お兄様はおいくつになっても冗談が下手くそなんですから。」
マリアが呆れてそういう。
お兄様と呼ばれてはいるが、俺とマリアに血のつながりはない。彼女は俺の屋敷に仕えるメイドで、奴隷階級の出身だ。屋敷の人間の中では最年少で、年の近かった俺にくっついてくるようになり、いつしか俺を「お兄様」と呼ぶようになった。産まれてすぐ親と引き離されて売り飛ばされた彼女は家族の愛を欲していたのだろう。俺も丁度両親が死んだばかりで、屋敷の中に「使用人」ではなく「家族」を求めていた節があった。お互いに心の拠り所が欲しかったのだ。貴族至上主義者達が発狂しそうな話だが、両親は奴隷階級に寛容で、その影響を受けたか他の使用人で俺とマリアの関係に文句を言う者はいなかった。
「気をつけてくださいお兄様。もともとお兄様達を快く思わない者は少なくないですし、昨日の件もあって益々よからぬ事を企む者もいると思います。」
「わかってるって。昔っから心配性だなお前は。」
「お兄様が不用心すぎるので私が心配しすぎるぐらいでちょうどいいんです。」
マリアがむっとして言い返す。
「わかった、わかった。気をつけるって。」
抗戦しても無駄なようなので、頭を撫でて機嫌をとろうとしながら了承する。
「頭を撫でれば許してもらえると思っているんですか?」
「違うのか?」
「いつまでも子供扱いしないでください!というかそろそろ行かなくてもいいんですか?」
「そうですね。行かなきゃまずいですね。それじゃ。」
ぱっと身を翻して走り出す。
まったく。私が外出の時はわざわざ鎖帷子を中に着込んでいることを知らないはずじゃないのに何がそこまで心配なのやら。
「ダーレム。昨日の一件誠にご苦労であった。」
「身に余るお言葉でございます殿下。」
王宮に着いた俺を待ち受けていたのは、殿下のありがたいお言葉だった。こんな「儀式」はとっとと止めにしないかと言いたくなったが、殿下も頑張って我慢してし、さすがに衆人環視の中でそんなこと言うわけにもいかないのでやめておいた。
「今日までのそなたの勲功に報いるべく、そなたには私が即位次第宰相の位を与えるであろう。」
え?宰相?確かに昨日「なんの位が欲しい?」って聞かれて「なんでもいいけど最終的には宰相を狙いたい」って答えたけどさ。確かに子供の頃から国王に次ぐ国政の頂点である宰相の地位を狙ってたけどさ。まさか本当に貰えるとは思ってなかったんですけど。
もしかしてあれか。そんなに老害達に「あんたらクビだよ」って言いたかったのか?多分そう言うことだと思う。となるとここは。
「恐れながら申し上げます。私のような経験の浅き者が宰相など過分な地位をいただくわけには参りません。私以上の適任がいらっしゃいましょう。何卒ご再考を。」
「ならぬ。私は宰相にするならそなたをと決めていた。そなた以上にこの職がよく務まる者などおらん。それとも私の人を見る目が曇っているとでも申すか。」
「いえ、滅相もございません。殿下がそこまでおっしゃるのであれば、私非才の身ながらお受けいたしましょう。」
「うむ、よろしい。下がりたまえ。」
うん。計画通り。さすが殿下、話がわかる。もう少しで「陛下」にレベルアップするけど。これで老害達に堂々と、「お前らよりもこの若いのの方が優秀だよ」と宣言したことになる。実際、周りを囲む老臣達からは困惑の色がにじみ出ている。
そんな連中に心で舌を出しながら俺は下がっていった。
「殿下。私が子供の頃に言ったこと、覚えていらっしゃいますか?」
「ん、なんか言ってたか。」
「私が宰相になったらって話です。」
「ああ・・・してたな。そんな話。」
例の茶番の後、俺は殿下の部屋を訪れていた。
「本気で言ってたのかあれ?」
「本気でしたけど・・・その・・・よろしいのですか?」
「ああ、構わんよ。どういう結果が出ようが、今更俺がジタバタしたところで変わらん。俺はそこまで意地が悪くはないんでね。」
口ではそう言っていたものの、やはり彼の瞳はどこか寂しげだった。
「はぁ・・・」
覚悟はしていた。だが、完全な平常心ではいられない。悲しく、苛立たしく、なんともむなしい。
「でんかー入ってもよろしいですかー。」
扉の向こうから陽気な声が部屋に入ってきた。
「キャサリンか。構わんぞ。」
本当は一人で居たかったのだが、何故か了承した。
意気揚々と部屋に入ってきた彼女だったが、俺の目を見るや。少し塩らしくなった。
「・・・イリオスと何があったんですか?」
早速すっぱ抜かれた。「何か」ではなくて「何が」だ。既に何かがあったのは確定らしい。実際そうだし。
「イリオスと、エルナさんについて何があったんですか?」
またも大当たり。まったくこいつは・・・
「わかりますよそれくらい。目を見れば。」
「目?」
「気づいていないと思うんですけど、イリオスと一緒にいるエルナさんを見るとき、殿下ってそういう目をするんですよ。だから今回もそうかなぁって。」
ぐうの音も出ねえ。これだからこいつには頭が上がらない。
「よく見ているんだな。」
「当然ですよ。私は殿下のお妃になるんですから。」
「・・・結局、幾つになっても止めなかったよな。そう言うの。てっきり十歳を過ぎたあたりで止めると思ってたんだが。」
「そりゃあ幾つになっても殿下のお妃になりたいに決まってるからじゃないですか。」
なぜだろう。一人で居たかったはずなのに、しかも普段は少々鬱陶しいこいつを、邪魔だとは思わない。むしろ安らぎすら覚える。
「で、どうしましょう。お一人になりたいですか?それとも・・・」
「・・・もう少しここに居てくれ。」
問いかけに対し、そう答える。
「はい。これで寂しくありませんよ。」
後ろから抱きついてきやがったこいつ・・・普通なら邪魔で鬱陶しいはずなのに、やはりそこに安らぎがある。
まあいいか。謎解きなど後でやればいい。今はこの安らぎに身を横たえるとしようか・・・